プロローグ
深夜、町は濃霧に覆われていた。ここ数年、この街ではこうして夜中になると濃霧が立ちこめ、朝方には晴れる。住民は部屋を締め切り、ベッドで眠りながら濃霧がおさまるのをひたすら待った。それがこの街では数十年も昔から慣わしのように続けられているのだ。
しかしながらそんな事を知らず、ふらふらと出歩く二人の旅人がいた。
一人は長身の青年で、目元が優しく、おっとりとした雰囲気を持った所謂、優男で、長い髪を一まとめにして背中に流している。そして隣の少女は一目見れば忘れられないほどの美少女で、その美しく整った顔は不満げな表情が乗せられていた。
「ひどいな。クレイグ、無事か?」
少女の大きな両の赤目がクレイグと呼ばれた隣の青年に向けられる。その瞳の美しさは、宝石の紅色を彷彿とさせるようだった。
クレイグはちらりと少女を一瞥して頷くと、ポケットからマッチを取り出した。火を灯した瞬間、マッチは瞬く間に巨大な炎へと変貌し、やがて持ち手まで燃やし尽くして灰となり、地面へと散った。
「どうやら…ヴァンパイアの瘴気のようですね。」
「そうだろうよ。微かにだがね、血の臭いがする」
こつりこつりと二人が歩く音だけがしん、と静まり返った街に響いた。住民は数十年前から夜に外に出歩くのを止めた為、外灯などは一切無い。さきほど燃やしたマッチが最後だったため、ランプは小さくなったろうそくを残してぼんやりと闇に溶け込んでいる。
クレイグは少女に振り返り尋ねた。
「シャルロットさん、近いですか?」
「ああ、見たまえ」
少女、シャルロットは細い指先をピッと伸ばして一点を指す。
そこには暗くてよく見えなかったが、赤黒い何かが地面に散らばっていて、酷い悪臭から、人間の血であることが伺えた。
「食事した後みたいですね…。」
「クレイグ、ランプと、我輩の力を少し返せ」
クレイグは、シャルロットに指示されたとおり、ランプを手渡して彼女が差し出した右手を握った。その瞬間、ランプにビビットピンクの炎が燃え上がり、じんわりと地面を照らし始めた。
すると血が広がった先に、ぽつりぽつりと足跡が残っていた。
しかしそれは靴で歩いたとも、素足で歩いたとも取れぬもので、それを見るや否や、シャルロットは顔をしかめてその足跡を視線で追った。
「…どうやらコイツはもう長くないな…人型を保っていないようだ」
「本当ですね。まるで鶏の足跡みたいだ…」
「ヤツはすぐ近くにいる、クレイグ装弾は済んだか?」
「はい、既に教会で済ませました。おっちょこちょいのシャルロットさんとは違いますから」
「…お前、我輩が力を取り戻したら覚えていろよ…」
クレイグを睨み上げ、一歩シャルロットが踏み出した瞬間、ぐん、と目の前に圧力を感じてシャルロットは足を止めた。
鵙をも越すような俊敏さでクレイグを引っつかんで後退すると、
つい先ほどまでシャルロット達が立っていた地面が窪み、レンガがまるで紙のように散らばった。
「おいでましたね」
クレイグはホルスターから長身の拳銃を取り出す。純白の美しいフォルムのリボルバーは、濃霧の中でも、きらりと輝いていた。その中に込められた六発の銀の弾だけが、ヴァンパイアに傷をつけられるとされている。
クレイグはしっかりと狙って、暗闇で姿がまだ見えないヴァンパイアに目掛けて二発発砲する。
シャルロットは身軽にそれをかわして飛び上がると、銃弾を食らって怯んだヴァンパイアにかかと落としをお見舞いさせた。
すたっ、とシャルロットが地面に降り立ったのと同時に、巨体を地面に落としたヴァンパイアのうめき声が響き渡り、木々がほんの少し不安に煽られたようにざわめく。クレイグは銃を構えたまま、ヴァンパイアに歩み寄った。
「ひどい姿だ…本来美しい姿をしているはずのヴァンパイアが…」
鷲のような頭に、人間の血で染まった青い羽。不恰好に大きい体と澱んだ目は、物語に描かれるような怪物のようだった。
長く血を求めてこの街に居座っていたのだろうが、既に、人型を無くしていてこの僅かな攻撃に反撃もできないようだった。
クレイグはグッとその鷲のような頭に銃口を突きつけて呟いた。
「アーメン」
パン!と弾けた頭が、瞬く間に真っ赤な花びらに変わってゆきヴァンパイアはそのまま風に流されるようにして散っていった。
濡れた銃口をふき取り、クレイグはシャルロットに振り返った。
「今回のお仕事はこれでお仕舞いです。帰って飲みましょうか」
「…解せんな…何故我輩の力を使わない?弱っていたとはいえ、銃弾を無駄にすることなくコイツを始末できただろうに、さっさと我輩の力に溺れろ、そして我輩に力を返せ!」
クレイグはふふっ、と小さく笑んで返した。
「いえ、私はあなたの力を行使する時は私の命が危なくなった時だけ、と決めているんです、ご心配なく。それからあんまりオイタを言うと、残り三発をシャルロットさんの脳天にプレゼントしますから気をつけて下さいね」
「ぬうううっ我輩はヴァンパイアの頂点に君臨する、代469の王なのだぞ!人間ごときが銀の弾で我輩を殺せると思うなよ!」
「だから言っているんじゃないですか、さあ行きましょう」
踵を返したクレイグに、シャルロットは怒りを感じて地団駄を踏む。
風に飛ばされたかつての同胞が目の前を散っていき、霧はすっきりと晴れて街は静寂で穏やかな夜を取り戻していた。