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キンモクセイ

作者: 桐錠 桃李

 私はキンモクセイが嫌いだ。

 正確に言うならば、キンモクセイの花の香りは好きだが、その香りが思い出させる記憶がなんとも嫌いな物なのだ。

 もっとも、キンモクセイは私がこの世に存在するずっと前から存在する物であるから、好き嫌いの判断をされても困るだろうが。

 しかし、何故だろう。

 キンモクセイの放つ独特な香りと、冬の凛とした空気を感じるとき。私は、無性に泣きたい衝動にかられるのだ。

 それは何故なのか。そのことの心当たりは、二年前にさかのぼる。


 私は小学校を卒業し、私立中学へ入学した。エスカレーター式ではなく、受験をして受かった学校だ。

 私は帰国生としてその学校に入学した。

 幼い時から中国で暮らし、小学五年生のときに帰国したのだ。帰国生の資格は充分にあった。

 ここで、なぜ受験を決心したのかを書いておこう。

 元々は両親が考えてくれた事であった。私はそれに賛同しただけだった。しかし、賛同した事にも理由があった。

 中国では日本人が通う学校に通っていた。週一の語学の授業だけでは現地の言葉はしゃべれず、私はほとんど日本に住む子供たちと変わらない環境で過ごしていたのだ。

 そのため、帰国した際は大変だった。

 日本の学校では転校生が珍しい事を初めて知った。(中国では期末や進学などでイベントのように頻繁にあった)

 聞くところ、転校先の小学校では生徒の顔がころころと変わる事が無いらしい。つまり私は、五年間の結束のある同級生の群れに放り込まれたのだ。しかも、国内ならともかく外国からやって来た私に対し、クラスのみんなは私の扱いに戸惑っていた。

 前に書いた通り、私は彼らとほぼ変わらない生活を送っていたのだ。それなのに中国語がペラペラだとか、おかしな先入観を持たれてはたまらない。私と大した大差もない彼らに外国に住んでいたというだけで妬みを買い嫉妬された事も多かった。

 結果的に、私には友達と呼べる人間が五人も出来なかったのだ。勿論、重度ないじめにはならなかったが、とても楽しいと思える学校生活ではなかった。

 だから受験をし、新しい環境に身をおく事を選んだのだ。

 日本での約二年間の小学生生活があまりにも辛かったせいか、中学校は実に楽しかった。

 なにしろ、初日はみんなが初対面なのだ。誰も私の過去など知らない。転校生という身分から解放され、私は気軽だった。

 仲のいい友達がたくさん出来た。常に一緒に行動する友達が三人もいたのだ。しかも、彼女達は私が外国にいたという過去も難無く受け入れてくれて、軽蔑もしなかった。

 とにかく毎日が楽しかった。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 あれは、中一の夏休み。昼時に家族で家で素麺を食べている時だっただろうか。

『転校』

 父にその二文字を告げられたのだった。

 後から聞いたのだが、母は私が受験をする前からそのことを知っていたそうだ。それを知っていて受験を進めてくれた両親を凄いと思う。私が小学校を辛い辛いと嘆いていた時期を知っていた母は、中学になり毎日を楽しい楽しいと笑顔で帰って来る私を見て、毎日どう思っていたのだろう。考えると胸が痛くなり、思わず涙してしまう。

 その私に転校を告げたのだ。皮肉な事に、転校先は中国だった。両親は絶対辛かったはずだ。

 だから、私は笑って中国に行くと即答した。

 その時から、友達と過ごす残りの時間が四ヶ月に……。いや、もとから時間なんて、八ヶ月しか無かったのだ。

 そして、中学一年の二学期は始まった。

 ありがたい事に、話を聞いた友達は悲しがってくれた。残念に思ってくれた。

 時間が過ぎるのは遅くて、時が進むのは早かった。気がつくと二ヶ月が終わり、残り二ヶ月となっていた。

 私が思い当たるのはそれだった。その頃になると、校内のキンモクセイは満開で、校内中にキンモクセイのいい香りがしていた。

 私が思い出すのは、みんなと同じ制服を着て、冬の凛とした空気の中、自分はもうすぐいなくなると知りながら、友達と一緒に過ごした日々だった。寒かった毎日。雲が無い透き通った青色の午後の空。紫色の放課後。三日月の昇った冬の空。全部にキンモクセイの香りがしていた。


 どうして私は泣きたいのだろう。

 楽しかった最後の日々を思い出すからなのだろうか。

 もし、理由を述べなければならないのだとしたら、それが答えだ。

 しかし、答えを一つだけにしてしまうのは、あれから二年経った今。十四年の人生では、まだ難しい。

 私は人より多く、出会いと別れを繰り返しているのだ。このくらいの事で、いちいち泣いていたら切りが無いのだ。

 そう、強がりたいから。泣きたい真実から目を背けたいのだ。

 私は強く生きたい。

 そう思っているのだが、いつかこの私に、キンモクセイを見て微笑むことができる十月が来るのだろうか?

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