AIエンジニアが過労死して悪役令嬢に転生したら、全員の行動が読めてしまった 〜断罪フラグ?それ、私が設計したアルゴリズムなんですけど〜
「エララ様、お目覚めの時間でございます」
まぶたを開けると、見知らぬ天蓋付きベッドの上があった。
絹のシーツ。薔薇の刺繍が施された枕元。窓からは朝日が差し込み、部屋中が金色に染まっている。部屋の広さは、前世のワンルームアパートの三倍はある。
私はゆっくりと身を起こし、脇に置かれた手鏡を手に取った。
金色の巻き毛。陶器のような肌。エメラルドグリーンの瞳。
鏡に映った少女は、間違いなく『私』ではなかった。
……いや、正確には、前世の『私』ではない。
記憶が奔流のように流れ込んでくる。
山田美咲。二十八歳。都内某IT企業のAIエンジニア。
担当プロジェクト:乙女ゲーム『星屑の誓い』NPC行動予測AI「アクト」開発。
チーム規模:五人。うち実際にコードを書いているのは私だけ。
平均残業時間:月百二十時間。休日出勤は数えず。
最後の記憶:金曜日の深夜二時、デスクで画面を見つめたまま意識を失ったこと。
死因:たぶん、過労死。
「……はあ」
私はベッドの縁に腰掛けて、ため息をついた。
転生。異世界。悪役令嬢。
ネットで散々読んだ展開だ。でも、自分が当事者になるとは思わなかった。
しかも、転生先がよりによって自分が開発に携わったゲームの世界だとは。
キャラクター名:エララ・ヴォルテックス。
身份:ヴォルテックス公爵家の一人娘。
ゲーム内での役割:ヒロインをいじめ、王子様に断罪され、国外追放される悪役令嬢。
プレイヤー人気:最低。開発チーム内での呼称:「噛ませ犬枠」。
私との関係:バグ報告書を三枚書いた相手。
……自分がバグ報告したキャラに、自分がなるとは思わなかった。
「エララ様? ご気分が悪くございますか?」
心配そうに覗き込んできたのは、メイド長のマルタだ。
五十代半ば。白髪交じりの髪をきっちりとまとめ、エプロンの結び目は左右対称。十五年この家に仕えているという記憶が、エララの記憶の中から浮かび上がる。
私は彼女を見て、瞬時に理解した。
――NPC行動パターンC-3。
主人の体調変化を察知した際の「心配顔+やや前のめり+右手を胸に当てる」。
私が書いた行動ライブラリの百四十七番目の関数だ。
「……大丈夫よ、マルタ。少し変な夢を見ただけ」
「さようでございますか。お顔を洗うお用意をいたしますね。本日は王立学園への登校日でございます。制服をお出ししてございますので――」
「ええ、ありがとう」
「お朝食はいつものようにパンとスープでよろしいでしょうか?」
「……何か違うものが食べたいわ。卵焼きとか」
「卵焼き、でございますか? 珍しいことをおっしゃいますね」
マルタは少し驚いた顔をした。
――行動パターンC-7。「想定外の指示に対する軽度の困惑+笑顔での対応」。
これも書いた覚えがある。NPCがプレイヤーの予期しない行動に対して不自然にならないよう、幅を持たせるための関数だ。
……自分の書いたコードに、自分のメイドが従っている。
この感覚を何と呼べばいいのか、前世の私にはわかるまい。
朝食を済ませ、制服に着替える。
鏡の前でエララの姿を改めて確認した。
美しい。文句なしに美しい。
この容姿で悪役令嬢扱いされるとは、ゲームのシナリオライターに文句を言いたい。
……あ、そのシナリオライターも私が書いたAIの出力結果に基づいて調整したんだった。
つまり、文句を言う相手は自分自身だ。
第二章:登校
ヴォルテックス公爵家の馬車は、黒塗りの四輪馬車に金紋があしらわれた贅沢なものだ。
窓から王都の街並みを眺める。
石畳の道路。レンガ造りの建物。市場で果物を売る商人。広場で遊ぶ子どもたち。門番として直立する兵士。
全員、わかる。
あの商人の客引きの身振りは「NPC商業行動パターンA-12」。
子どもたちの笑い声は「環境音響モジュールG-3」、ランダム生成だが感情パラメータは固定値。
門番の兵士の姿勢は「警備行動ライブラリ第2番」。私が書いたやつだ。開発中、「門番がたまに居眠りするバグ」があって、それを直したのが私だった。
……あの兵士、今まさにあくびしそうになってる。直したはずなのに。本物の世界ではバグが再現されてるのか。
「エララ様、本日はお一人で登校されますか?」
向かいの席に座る従者のトマスが尋ねてくる。
――行動パターンD-9。「主人への日常的な確認行動」。
「ええ。今日は誰かと約束があるわけじゃないから」
「承知いたしました。お迎えは三時でよろしいでしょうか?」
「それでいいわ」
馬車が学園の正門に到着する。
王立エルドラ学園。この国で最も格式高い貴族子女のための教育機関。
降り立つと、周囲の生徒たちがざわめく。
「エララ様だ……」「またあの人が……」「こないだリリィさんに何をしたのかしら……」
噂話。ひそひそ声。視線。
――集団行動パターンH-4。「特定キャラクターに対する回避行動+低音量での情報交換」。
ゲーム内で悪役令嬢の「威圧感」を演出するために設計したモジュールだ。
……自分がその対象になるとは、なんとも皮肉なものだ。
第三章:学習
廊下を歩いていると、背後から声が飛んできた。
「おはよう、エララ!」
伯爵令嬢セレス。エララの友人、ということになっている人物だ。
明るい栗色の髪。人懐っこい笑顔。腕を組んでくる。
――行動パターンF-1。「友好表示+身体接触」。好感度を維持するための定型行動。
「おはよう、セレス」
「ねえねえ、聞いた? 今日の午後、王子様が中庭の薔薇園に来るんですって! それでね、リリィさんっていう平民の特待生が、王子様にぶつかる事件が起きるらしいの!」
「……それ、誰からの情報?」
「え? ああ、セシリアさんから聞いたの。セシリアさんはマルグリットさんから聞いて、マルグリットさんは……えっと、忘れた」
私は心の中でため息をついた。
――情報伝播パターンJ-2。「噂の拡散+出典の曖昧化」。
私が設計した情報拡散モデルだ。学園内のNPCが噂を広める際の、情報の劣化と出典の消失をシミュレートする関数。
セレスは自分が「プログラム通りに噂を伝えている」ことに、まったく気づいていない。
「ふーん」
「エララ、興味ないの? カエル王子様よ? 学園一の美男子!」
「ないわ」
本心だ。
なぜなら、王子様の口説き文句は全部私が書いたからだ。
「君のような人と出会ったのは初めてだ」
――好感度アルゴリズム第7番。初期反応パターン。深夜二時に書いた。
「側にいると心が落ち着くんだ」
――同第15番。中期親密パターン。レッドブル三本目で書いた。
「君を守りたい」
――同第28番。終盤クライマックスパターン。徹夜明けに書いた。コードレビューで「ありきたりすぎる」と指摘されたが、プロデューサーが「それでいい」と言った。
……あの時のプロデューサー、今ここで殴りたい。
教室に入る。席に着く。
隣の席の侯爵令嬢イゾルデが、私を見て微妙に身を離す。
――回避行動パターンH-6。「対象との物理的距離の確保」。
私自身がパラメータを設定した。「エララとの距離は最低80センチ」。
……80センチ離れられて、地味に傷つく。
午前の授業が始まる。歴史の授業だ。
教壇に立つデュボア教授が、この国の建国史を講義している。
「我がエルドラ王国は、初代王エルドラハルトが三百年前に建国……」
教授の講義パターンは「教育行動モジュールK-1」。知識伝達型の単調な話し方。
私は途中から聞くのをやめた。
なぜなら、この授業の内容も、この教授の口癖も、黒板の字の癖も、全部私が作ったデータベースから生成されているからだ。
この世界の全てが、私の仕事の成果物でできている。
……なんて空しい達成感だろう。
第四章:予測
昼休み。中庭。
私は予定通り、薔薇園の近くの木陰にいた。
エララの記憶によれば、ここでリリィへの嫌がらせを行うのが「原作」の展開だ。
もちろん、そんなことはしない。
ただし、見物だけはさせてもらう。
予定通り、事件は起きた。
「きゃあっ!」
平民の少女――リリィが、石畳の段差で足を滑らせ、ちょうど通りかかった王子様の胸に飛び込んだ。
――行動模倣モジュールB-2。「可憐なアクシデント」。
発生条件:対象の好感度が初期値、かつ周囲に目撃者が三名以上。
設計意図:プレイヤーに「守ってあげたい」感情を喚起する。
私が書いたシナリオだ。発生タイミングまで秒単位で予測できる。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
カエル王子の声が、中庭に響く。
優しい低音。適度な心配そうな表情。完璧なタイミングの微笑み。右手が自然にリリィの肩に添えられる。
……好感度アルゴリズム第7番。初期反応パターン。
私が書いたやつだ。深夜二時。バグで三回直した。二回目は「手の位置が不自然」というQA報告だった。三回目は「笑顔が creepy 」という外部テスターの意見だった。
周囲の令嬢たちがため息を漏らす。
「素敵……」
「リリィさん、幸運ね……」
「王子様が平民に手を……でも、あの優しさ……」
私は木陰から冷静に観察していた。
そして、予定通り、次のイベントが来る。
リリィが顔を上げ、涙目で王子様を見つめる。
それから、私のほうを見て――
「あ、エララ様……ご、ごめんなさい! 私、わざと王子様にぶつかったわけじゃないんです……! エララ様、怒らないでください……!」
――はい、来ました。
行動模倣モジュールB-5。「挑発的謝罪」。
表面は謝罪。実態は、周囲に「悪役令嬢が日常的にいじめている」と認識させる行動パターン。
リリィが私を名指しすることで、周囲の注目を私に向け、「怖い」という単語を使うことで聴衆の感情を誘導する。
私が書いた。
そして、バグ報告も書いた。
「B-5の挙動が不自然。リリィがいきなりエララの名前を出すのは、文脈として唐突。修正を推奨」。
プロデューサーに却下された。
「それでいいんだよ。プレイヤーがモヤモヤするから。モヤモヤが課金に繋がるんだ」。
……あの時のプロデューサー、やっぱり殴りたい。
私は木陰から出て、リリィの前に立った。
「リリィ。私は何もしてないわよ。あなたが勝手に転んで、勝手に私の名前を出しただけ」
「で、でも……エララ様がずっと私をにらんでいて……」
「にらんでいた? 私はあそこで本を読んでいただけよ。セレス、見てたでしょう?」
セレスがきょろきょろと視線を泳がせる。
――行動パターンF-3。「対立場面の回避行動」。友人同士の対立に巻き込まれた際の中立姿勢。
「え、ええ……た、たぶん……見てなかったからわからないけど……」
役に立たない。でも、それが想定内だ。
私はリリィの目を見つめた。
「リリィ、あなたに聞きたいことがあるの」
「な、なんでしょう……」
「あなた、今日で三回目ね。王子様の前で転んだの」
「え……?」
リリィの瞳が揺れた。
「一回目は先週の月曜日。廊下の曲がり角で。あの時はカエル王子が通りかかったタイミングで足を滑らせた。二回目は木曜日の食堂。イスが壊れて倒れた拍子に、隣の席の第二王子にもたれかかった。そして今日、三回目」
「そ、それは偶然……」
「偶然? 三回とも、王族が半径二メートル以内にいた時だけ?」
中庭が静まり返る。
私は続けた。
「それに、あなたが転ぶ時のパターンも面白いわ。いつも右手をかばうように左側に倒れる。それは、手を怪我すると学園の筆記試験を受けられなくなるからでしょう? 平民の特待生にとって、成績は命だもの。怪我をするなら利き手じゃない方。……とても合理的な転び方だこと」
リリィの顔から血の気が引いていく。
「ち、違います……私は本当に……」
「それに、謝るタイミング。毎回コンマ五秒遅いの。これはね、心理学的に『誠実そうに見える』間なの。即座に謝ると慌てているように見える。一拍置いてから謝ると、深く考えてから謝っているように見える。……あなたが自分で計算したのか、それとも誰かに教わったのかは知らないけど」
沈黙。
周囲の令嬢たちが、リリィではなく私を見ている。
噂話をしていた者たちも、口を閉ざしてこのやり取りを聞いている。
「うう……エララ様、ひどい……みんなの前で、私を犯人扱いするなんて……」
リリィの目に涙が浮かぶ。
――防御パターンC-1。「涙による同情誘発」。
これも私が書いた。最終手段として組み込んだ関数だ。
「リリィ。涙は武器になる。でも、相手がその武器の設計図を知っている人間には効かないの」
私はそう言って、リリィから離れた。
「王子様」
「……ん、何だ?」
カエル王子が我に返ったように私を見た。
「リリィのことは優しくしてあげてください。彼女は平民としてこの学園で生き残るのに必死なんです。……でも、『偶然』を装った計算は、いつか自分を傷つけますよ」
私はそれだけ言って、中庭を去った。
背後で、王子様が黙り込んでいる気配がした。
――王子様の反応パターンには「沈黙」は入っていなかったはずだ。
私の行動が、アルゴリズムの予測範疇を超えたということか。
……いい傾向だ。
第五章:未知数
午後。学園の図書室。
午後の授業が終わってから、私は一人図書室にこもっていた。
この世界の「魔法理論」の本を読んでいた。ゲーム内では魔法は単なる戦闘システムだったが、実際の世界では学問として体系化されている。
……面白い。ゲームの仕様書には書かれていなかった知識が、ここにはある。
私が作ったAIが「近似」しきれなかった、この世界の奥行きだ。
「……その本、逆さまだけど大丈夫か?」
突然の声に、私は本をひっくり返した。
目の前に、一人の青年が立っていた。
銀色の髪。鋭いグレーの瞳。黒い制服の上に、図書管理補佐のバッジ。
私は瞬時に記憶を漁る。エララの記憶。ゲームのキャラクターデータベース。NPCリスト。イベント分岐表。
……いない。
この人物は、どこにも存在しない。
「……あなたは?」
「レン・アッシュフォード。学園の図書管理補佐だ。君は……エララ・ヴォルテックス。最近、変わったな」
「え?」
「半年前の君なら、あの場でリリィを平手打ちしていただろう。王子様の前で取り乱して、断罪されていたはずだ」
心臓が跳ねた。
「なぜわかるの」
「図書室の窓から中庭は見えるからね。……それに」
レンは私の向かいの椅子に座り、腕を組んだ。
「君はずっと前から知っていたんだろう? この世界の人間が、何かに従って動いていることを」
息が止まる。
「君は何者?」
「図書管理補佐だよ。それ以上でも、それ以下でもない」
「嘘よ。あなたは私の……私の予測の外にいる」
「予測、か。面白い表現だな」
レンは微笑んだ。
その笑顔は、どのアルゴリズムにも属していなかった。
私が作ったどの感情モジュールにも当てはまらない。
不揃いで、不完全で、予測不可能な笑顔。
「エララ。君が何者かは知らない。だが、一つだけ言えることがある」
「何?」
「君は今日、リリィを論破した。あの場で泣き叫んで、王子様に断罪されることもできた。だが君は『言葉』を選んだ。それは……この世界の誰にもできなかったことだ」
「……それはただ、私が頭を使っただけよ」
「頭を使える人間は、この世界にもいる。だが『全員のパターンを知っている前提で行動する』人間は、君以外にいない」
レンは立ち上がり、本棚から一冊の本を抜き出した。
「これを貸すよ。『世界の理についての考察』。千年前の哲学者が書いた本だ。……君なら、面白く読めるはずだ」
私は本を受け取った。革装丁の古い本。ページの端が黄ばんでいる。
「……ありがとう」
「どういたしまして。また来いよ、エララ。図書室は、静かでいいだろう?」
レンはそう言って、本棚の奥に消えていった。
私は一人、椅子に座ったまま、胸の鼓動を聞いていた。
――行動パターン? わからない。
反応テンプレート? 該当なし。
感情推定モデル? 出力不能。
この人は、私のアルゴリズムの外側にいる。
……これが、「本物」?
第六章:再構築
その夜。ベッドの中で天井を見上げていた。
ヴォルテックス公爵家の寝室。星の見える天窓。絹の布団。
前世のワンルームアパートでは味わえなかった贅沢な環境で、私は考え事をしていた。
この世界は、私が作ったAIで動いている。
王子様の優しさも。リリィの可憐さも。令嬢たちの嫉妬も。セレスの人懐っこさも。マルタの心配顔も。
全部、私が書いたコード。私が作ったモデル。私が設計したアルゴリズム。
でも、レンは違った。
レンにはモデルがない。
パターンがない。予測ができない。
だとしたら、この世界は「ゲーム」じゃないのかもしれない。
私が作ったAIは、この世界の人々の行動を「近似」していただけで。
近似式の向こう側には、ちゃんと「本物」が生きていて。
私が作ったモデルが、たまたま表面的な行動を再現できていただけで。
レンのように、モデルの外側にいる人間も、ちゃんといる。
……そして、リリィも。
リリィの行動は確かに私の書いたモジュールB-5に近似していた。
でも、今日の彼女の最後の涙は――防御パターンC-1の出力結果だったのか?
それとも、本当に悔しくて泣いたのか?
……正直に言えば、わからない。
私のモデルが正しかったのか、それともリリィという個人があの瞬間に genuinely 悔しかったのか。
近似式と現実の境界線は、思っていたより曖昧だ。
「……面白い世界ね」
暗闇の中で、私は笑った。
前世では、AIを作って、人に使われて、過労で死んだ。
コードを書いて、バグを直して、またコードを書いて。
人間の行動を数式に落とし込んで、「らしさ」をシミュレートして。
結局、私自身が「人間らしい生活」を送れなかったというのに。
今度は違う。
AIを知り尽くした私が、AIの外側にいる誰かを見つける番だ。
断罪フラグ?
そんなもの、私が書いたバグだ。
修正パッチはもう不要。この世界は、私が思っていたよりずっと広い。
枕元には、レンが貸してくれた本がある。
『世界の理についての考察』。
私は本を手に取り、最初のページを開いた。
一行目に、こう書かれていた。
『世界を支配する法則を知った者は、法則の外側に立つことができる。
しかし、法則の外側に立った者だけが知ることが真実がある。
――それは、法則に従う者の中にも、法則を超えた心が宿っているということだ』
「……千年前の人も、同じことを考えてたのね」
私は微笑んで、ページをめくった。
明日から、モデルを全部書き直そう。
――この世界を、「予測」じゃなくて「体験」するために。
(了)




