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深瀬怪譚  作者: 奈々
第一章 蒼き川の流れる先は
2/2

2 蒼茫川

「――ああ、かったりい。民話や伝承なんて、いくら歴史的価値のある村だろうが興味ねぇよ」


 頭を掻き、机に突っ伏しながら不満を垂れるのは、この学校にたったの三人しかいない同級生の内の一人、美波愁(みなみしゅう)だ。端々の口の悪さは否定できないが、根は良い気質の人間である。三つ年下の妹にも優しく、人付き合いは意外にも悪くない。

 

 そんな愁が睨みつける視線の先には、分厚い本の山に古い新聞紙、数枚の模造紙があった。


 地域を知るという目的で行われた特別学習。松葉が提示したいくつかの資料の山には、全て深瀬村にまつわる逸話や民話、古き歴史の数々が記載されていた。その中から興味を持った事柄を取り上げ、それらを模造紙へ簡潔にまとめるという課題を与えられたのだ。

 

 夏休みの自由研究と比較すれば、主題はかなり限られている上、調べられるのが堅苦しい昔話だけとなれば、頭が疲弊するばかりなのは目に見えていた。比較的には真面目な蒼太でも、さほど逸話や民話になどは興味がなかった。バレエ作品の歴史や背景を学ぶことは好きだが、三ヶ月前に引っ越してきたばかりの蒼太には、深瀬村という土地にまだ思い入れはないに等しかった。それでも、やれと言われればやるしかない。


「香織、君なら詳しいんじゃないか?生まれも育ちも深瀬村だろう?」


 蒼太が視線を向けたのは、もう一人の同級生である綾瀬香織(あやせかおり)だ。清楚で奥ゆかしい見た目とは裏腹に反骨精神が強く、早く村を出たい、都会に行きたい、などといった言葉が口癖であった。蒼太と愁は深瀬村の出身ではないが、香織は正真正銘この村で生まれ育った。深瀬村についても、香織はかなり詳しい。


 香織は砂を噛むような表情で資料を眺めていたが、小さくため息を吐いて言葉を返した。


「そうね。この村の昔話なんて、おばあちゃんから飽きるほど聞かされていたけれど。どれも退屈であんまり記憶に残っていないのよ。――あ、でも」


「でも?」


 蒼太は小さく首をかしげた。

 香織は乱雑に置かれた本の中から一冊を手に取ると、パラパラとページをめくる。開かれたページを指して、二人に見せた。


「見て、この写真」


 蒼太は愁と共に覗き込むような形でページを見た。そこには、随分と色褪せた小さな川の写真が載せられていた。奥には川を取り囲むようにして壮大な山々が写っている。香織は口を開いた。


「これは『蒼茫川(そうぼうがわ)』って名前の川よ。たしか神社の近くにあって、上流には祠もあるの」


「へぇ。けどよ、普通の川じゃねぇか。これがどうしたって言うんだ?」


 愁の問いに、香織は二人の顔を一瞥したあと、口角を吊り上げて微笑んだ。


「よく見て。昔の写真だから色褪せて少し分かりにくいけど、かなり緑の強い蒼色でしょ。水の透明度が高いと、太陽光の散乱によって、川が蒼く見えるらしいの」


「だから蒼茫川って名前なんだね。綺麗な色だ」 

 

 遠い昔に踊ったバレエ演目である『海と真珠』の衣装と似た色に、蒼太は思わず素直に言葉を吐いた。

 

 愁は蒼太と対象的に鼻から小さく息を吐き、味気がないとでも言いたげにあくびをする。


「それで、肝心の逸話や民話はないのかよ?その蒼茫川ってのにまつわる話はさ」


「あるわよ。ちゃんと。逸話や民話ってより、かなりあやふやな伝説に近いものだけど」


 香織は再び本に目を落とし、その内容を読み上げた。


 ――蒼茫川は、河神(かしん)が創ったとされている。

 

 かつての深瀬村は、慢性的な水不足に悩まされていた。周囲を山脈に囲まれた内陸部では、雨の日が少なく、痩せこけた土地では作物も育たなかった。村人は選りすぐりの舞手を集めて雨乞いの儀式を行ったり、過疎化を恐れて移民族を受け入れたりと奮闘したが、村は滅ぶ寸前まで追い詰められていた。

 嘆き、悲しむ人々の声が、天に届いたのだろうか。

 突如として空から舞い降りたのは、紛うことなき河神だった。

 河神は村人を憐れみ、大地を切り開いて川を創った。

 水不足に困らなくなった村人たちはたいそう喜んだ。そして河神を崇めるようになり、進行の証として蒼茫川の上流に祠を作り、毎日供え物をした。そうして蒼茫川の河神は、何世代にも渡って語り継がれるようになった――。

 

「はい、終わり。これが蒼茫川の伝説よ」


「つまり、村が滅ぶ寸前に神が現れて全部解決。めでたしめでたし、てことか」


「要約するとそうだね」


 香織は本を閉じて肩肘をつく。


「私、こういう話って嫌いなの。超常的存在に縋る話。神様なんて人間が作った創作物よ。そして、存在しないものが助けてくれるはずがない。理不尽がまかり通っているこの世界で、自分を助けられるのは自分だけなんだから」


 確固たる意思を感じさせられる香織の言葉に、蒼太は小さく頷いた。香織の意見にはおおむね同意だったからだ。仮に神様がいて、この手に収まる幸福を享受できるというのなら、蒼太は他の全てを捧げてでも、またバレエを踊れるようになりたいと願っていることだろう。

 

 自分を助けられるのは自分だけ。だが、最初から助かる気のない自分には、救いも希望も廃っている。だから今日も、息をするフリをして、本当は窒息しながら生きている。しかし、確固としてそれを悟らせない。器用なようで、不器用な術だった。

 

 愁は椅子に深く座り直し、天井を仰ぎ見た。


「でも、これだけじゃ物足りないよな。なんつーか、物語が足りない。もっと共感とか感動とかを感じれる、そういう話はないのかよ」


「愁も案外、感傷的なのね。残念ながら、蒼茫川の伝説はこれだけ。他を探しましょう」


 香織は本を閉じ、他の資料に目を通す。愁は気だるげに深く椅子に座り、頭を掻きながら新聞紙を手に取った。

 それに倣い、蒼太も適当な本を取って読む。そうすると、先程の話などすぐに忘却してしまう。


 今とは違い、困窮した歴史を持つ深瀬村。そこに現れた河神という超常的存在。蒼茫川の伝説。


 ――川ならば、激流に飲まれて苦しんで死ぬのだろうか。


 蒼太にはまだ、そのような感慨しか思い浮かばなかった。 

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