ゼロ・イン
狙撃訓練第27日目。午前五時、起床。
吐く息はまだ白く、砂漠の夜の冷気がわずかに残る中、私はまたスコープを覗いていた。
教官の声が、無線越しに届く。
「ターゲット、距離850。風は左から、秒速4.5。何秒後に撃てる?」
私は即答した。「11秒後。風の揺れが一瞬収まる」
「正確に」
照準線が目の奥に焼きついてくる。標的はスチールプレート。だが、その先には“人間の命”があると想像しろ、と教官は言っていた。
風が止んだ。私は息を吐き切り、そして、引き金を引いた。
「命中。だが、0.2秒遅れたな」
「……すみません」
「いい判断だが、判断が遅れたら意味がない」
彼はそれ以上何も言わなかった。
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訓練は過酷だった。標的の素材、距離、風、光、地熱、精神状態――すべてが撃つべき瞬間を惑わせた。
だが、教官の指導は一貫していた。
「撃つな。狙え。目で殺せ。心で殺せ。最後に引き金を引け」
理屈ではわかっていても、心がついてこなかった。
ある日、私は聞いた。「なぜそこまで“撃つな”と?」
教官は答えなかった。ただ遠くを見ていた。
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訓練最終日。最後の試験は“実環境シナリオ”だった。
対象は動く。こちらも移動を伴う。制限時間内に“撃てる状態”まで持ち込めなければ、即失格。
私はギリギリで間に合った。スコープ越し、対象の心臓が上下する。呼吸を止め、指が冷えるほど慎重に引き金に触れる。
その瞬間、教官の声が聞こえた。「……撃て」
銃声が響いた。
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訓練を終えた晩、教官と二人だけで話す機会があった。
彼は缶コーヒーを開けながら言った。
「俺が“撃つな”と教えたのはな……俺が撃ったせいで死んだ奴がいるからだ」
「誤射……ですか?」
「いや、命令通りだった。正しかった。……だが、奴は“殺さなくてもいい奴”だった」
月明かりが、彼の顔を照らす。
「撃つ前に、もう一歩踏み込んで考える勇気があれば、あるいは違った」
「……」
「スナイパーはただの引き金じゃない。“考える武器”でなきゃ、ただの殺人者だ」
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彼の言葉は、心に焼きついたままだ。
引き金を引くたびに思い出す。
今、自分が照準を合わせているのは──“本当に撃つべき敵”なのかどうかを。