表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
語り部旅譚─頁牢に眠る神話たち─  作者: 御歳 逢生
第1章 雨降る谷と沈黙の巨神
9/20

6 スクレイプ街~仮面市場~


ルカとハーリィは詩の解読を終え、次の鍵となる情報を求めて、消去された言葉の都の奥へと進む。

古びた石畳が濡れている。誰が落としたか分からない仮面が、雨のしずくを受けて傾いていた。


ルカとハーリィは、灰と声と嘘のにおいが混じった都市の入り口に立っていた。


「ここが……スクレイプ街?」


ルカの問いに、ハーリィは肩をすくめる。


「言葉を売って生きるやつらの墓場だよ。今はただの物真似市場だけどね。」


門をくぐると、景色が一変する。

屋根という屋根に仮面が吊るされ、路地には帳のように詩の断片がひらひらと風に舞っている。

人々は声を張り上げ、「神語に近い」と称する謎めいた語りや断章を競い合うように披露していた。


――だが、どれも妙に軽い。音だけが浮いていて、意味が追いついてこない。


ルカは、ふとした瞬間に聞こえた響きに足を止めた。


それはどこか懐かしいような、胸の奥が軋むような音だった。


「……今の、神語に似てた。」


「聞き覚えがあるって顔してるな。でも、残念。ここの“似てる”は全て“まがい物”さ。」


ハーリィは目線だけで仮面屋の方を指した。

そこでは猿芝居のように仮面を被った男が、奇妙な抑揚で詩を読み上げていた。

観客は笑い、金を投げる。


「本物が売られてると思うかい? ここは“真似すること”が全てなんだ。」


その言葉に、ルカの喉が詰まった。


本物が消え、偽物だけが消費される世界。

語ることすら、商品として劣化していくこの街で、自分は何を差し出せるのか。


「……それでも、確かめてみたい。」


ルカはそう呟き、仮面たちのざわめきへと足を踏み入れる。


目指すは、街の中心にあるという“仮面(マスカレイド・)市場(バザール)”。

そこでは、語ることに飢えた人々が、日々「声」を売り、「語り」を買っていた。


仮面(マスカレイド・)市場(バザール)は、まるで呼吸しているようだった。


屋根のない広場を囲むように、言葉の売人たちが仮面を掲げ、語りを売り込む。

無数の仮面が天幕から吊るされ、風に揺れては笑い、泣き、囁き、叫ぶ。

仮面を被った演者たちの声が、囁きとなって耳の裏にまで貼りつく。

誰かの夢、誰かの嘘、誰かの神話。全てが売られ、安く鳴っていた。


仮面(マスカレイド・)市場(バザール)は、夜の劇場のようだった。


「さあ見ていけ、“神の夢”を語るマスクド・ミューズ!」


「“雨を止めた男”の真似語り、三文銀貨だよぉ!」


――けれど、どれも耳をすり抜けていく。


ハーリィがぽつりと漏らす。


「“語り”じゃない。“模倣”だよ、ここにあるのは。あの神像に唾吐いてるようなもんだ。」


ルカは無言で見ていた。

まがい物ばかりが響き合い、騒がしく鳴っているこの市場で、なぜか空白を感じていた。


そのとき。


ルカはそのざわめきの中で、どこか引っかかるような感覚に足を止めた。


――音が、死んでいない。


誰も見ていない隅で、一人の仮面がルカを見ていた。

仮面は静かに揺れながら、周囲の音を食うようにして沈黙していた。


仮面は灰色。装飾も塗りも剥げかけており、ただの古道具にしか見えなかった。

だが、仮面の向こうから感じる目線は、ぞっとするほど鮮明だった。


「……足が止まったね。理由は聞かない。

 けれど、君がこの場所で“黙って立っていられる”なら、ちょっとした逸材だ。」


仮面の男が、ルカに話しかけてきた。

声は低く、やや乾いていたが、耳に残る奇妙な重さを帯びていた。


「この市場じゃ、誰もが語りたがる。無理にでも叫び、泣き、笑いの仮面を被って生き延びようとする。

 君は違う。君は、静けさを持ってる。」


ルカは、どう返していいか分からず首を傾げた。


「……誰?」


「名乗っても偽物扱いされるだけさ。だから、ただの商人でいい。

 灰の仮面商ヴァイス、とでも呼べば足りるだろう。さて……語る気はあるかい、語り部の君?」


「……なぜ僕が語り部だって!?」


「響きさ。“言葉”よりも深く、“意味”よりも手前にあるものだよ。君は、それを持ってる。」


ルカは戸惑った。けれど気づく。

彼の仮面だけが、“音”を遮っていた。

まがい物たちの喧騒の中で、ヴァイスの周囲だけが無音だったのだ。


「……語ってもいい。でも、それは僕の言葉だ。」


「もちろん。誰かの借り物なら、興味はない。」


ヴァイスが手を鳴らすと、まるで舞台の幕が上がるように、広場の中央が静まり返った。

誰が呼んだでもないのに、周囲の喧騒が一瞬止まり、観衆が自然と集まり始める。


「今日は少しだけ変わり種をご紹介しよう。見ての通りの旅人、“語り部”らしい。だが、さて……。」


仮面の奥の目が、ルカを真っ直ぐに射抜いた。


「この市場において、語る者は“本物か否か”を試される。さて、君の語りは──売り物になるか?」


ルカの胸がざわついた。観衆がざわめく。

誰かが「やれよ」「タダで見れるんだろ?」と冷やかした。


「……無理だよ。こんな場所じゃ、何も……。」


「なら去れ。それもまた、観察には値する。だが、君の目は、まだ諦めていない。」


その言葉に、ルカの喉が乾いた。


雨に濡れた街の空気。ざらついた足元。

舞い散る仮面の裏にある、見えない“本物”を探す視線。

無言の圧がルカに向けられる。


――語らなければ、意味がなかった。


ルカは一歩、前に出た。

そしてゆっくりと口を開く。



   雨の谷に、沈黙の巨神がいた――

   彼は声を失い、雷を忘れ、ただ空を仰いでいた。


   その前に、旅人が立った。

   名もない者、けれど語りを持つ者。

   巨神に届いたのは……声ではない。“語り”だった。



ルカの言葉が終わる頃、広場の仮面たちが静まり返った。

何かが、呼応したように。


静かに語られた一節。

それはどこか壊れかけた物語の断片で、誰も聞いたことのない詩だった。


その瞬間、市場の空気が凍り、閉じられていた“何か”が、ゆっくりと、目を開けた。

吊るされた仮面たちが、一斉にこちらを振り向いた。


「……おい、仮面が!?」


「なんだ、これ……。声が、染みてくる……?」


ルカの言葉が、空気に、土に、骨の奥にまで沁み込んでいく。

ヴァイスが、静かに口角を上げた。


「やはり、だったか……。」


仮面商はゆっくりとルカの前に歩み出た。

そして、こう言った。


「君は、“本物を語る”声を持っている。……売る気はあるか?」


ルカは答えなかった。

その代わりに、うつむいたまま、次の言葉を呟いた。


「売れないよ。……これは、僕のものじゃないから。」


ヴァイスは深く息をつき、仮面をほんの少し外して言う。


「……いいね。そう答えられるやつ、十年に一人もいない。」


そして仮面を戻し、観客に向かって淡々と宣言する。

静寂は長くは続かなかった。


「本日の語り、以上!これ以上の品は、しばらく入らない。」


「ふざけるな!」


「何が“語り”だ、あんなのただの……。」


誰かが叫び、誰かが怒鳴る。

市場の空気がざわめき、ねじれ、ざらついた嫉妬と苛立ちが広がる。


仮面たちがざわついていた。

吊るされた無数の顔が、どれも微かに震え、ルカの方を睨んでいる。

まるで、誰もが自分の居場所を奪われたと感じているように。


「おい仮面商! あんたが連れてきたのか? 客をバカにしてんのか?」


「なんだよ、あの声! あれが本物? 冗談だろ?」


ヴァイスは何も言わない。


ただ、黙って仮面を撫でる仕草をしながら、周囲の怒号を受け流すように立っていた。


「売らねえなら、壊してやるさ!」


一人の男が仮面を被ったまま、ルカに向かって駆けた。


足音が鳴る。砂埃が巻き上がる。

ルカは、動けなかった。


――ああ、まただ。


また、物語の重さに、追いつけない。


けれど、


「……待て。」


その声は、静かだったのに、地を打った。


ヴァイスが仮面を外していた。

その素顔を誰も見ないまま、彼の声だけが市場を制した。


「“偽物”は怒る。“本物”を前にすれば、必ず怒る。……それだけが、真理だ。」


男が立ち止まる。足元の地面が、まるで息を呑むように沈黙した。


ヴァイスは、灰の仮面を高く掲げる。


「……この声は、買い取らない。市場の外にある語りだからだ。」


彼はルカに背を向け、観衆に宣言する。


「これは商品ではない。飾りでもない。仮面でも、演技でもない。

 だからお前たちはそれを“壊せない”。」


観衆は沈黙し、やがて、散っていく。

一部の者は舌打ちをし、仮面を地面に投げて去った。


ルカは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


ヴァイスが、ゆっくりと戻ってくる。


「……怖かったか?」


ルカは、正直にうなずいた。


「怖かった。でも、それより……。」


「それより?」


「……話したくて仕方なかったんだ。なんでだろう。」


ヴァイスは、少しだけ目を細めた。

それが微笑みだったのかどうか、ルカには分からない。


「語る者には、二種類いる。

 一つは、語って“安心”したい者。もう一つは、語らずにいると“壊れて”しまう者。」


「……僕は、どっちなんだろう。」


「それを知るには、まだ物語の外すぎるな。」


ヴァイスはそう言って、背後の帳をくぐる。

そして、小さな巻物をルカに放った。


「……これは鍵だ。

 次に道が塞がったとき、それを開け。たぶん、君にだけ読めるようになっている。」


ルカは、受け取った巻物を見つめる。

巻物には“語るな、記せ、伝えるな”という呪詛のような言葉が刻まれていた。

それを見た瞬間、初めて“語ることの代償”に怯えた。


「言葉には命が宿る。語りは、それを喰らう覚悟がなきゃできない。

 君の語りが、いずれ“本物を語りたい”誰かを救う。……だから覚えておけ。」


ヴァイスは、最後にこう言った。


「語り部は、“声”を持つ前に、“目”を持つ者でなければならない。

 街の地下にある旧神殿市場(アンフォールド)へと向かえ。」


このあとルカは巻物を胸にしまい、仮面(マスカレイド・)市場(バザール)を後にする。

霧雨のように冷たい風が吹き抜け、彼はひとつ息を吐く。


そして、小さな声で呟く。


「僕は……語りたいのか。……それとも、知りたいのか。」


その答えを探すように、ルカはまた歩き出す。


そして角を曲がると、そこに――


ハーリィがいた。

肩に仮面を一つ引っかけて、退屈そうに待っていた。


お読みいただきありがとうございます。


もっと読んで見たいと思っていただけましたら、広告の下にある【☆☆☆☆☆】評価ボタンでお気軽に応援していただければ幸いです。

また、ブックマーク登録や感想も日々のモチベーションアップになります。

よろしくお願いいたします✐☡✐☡✐☡


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ