16. お見合い相手は、癖あり令嬢
次の日、トラスター公爵の言葉通り、ブロワ伯爵令嬢のマリアナ様が公爵邸へやって来た。公爵の元へと呼ばれたルーカスがぶつぶつ文句を言っているのを見て、内心ホッとしてしまう自分が情けなかった。仮に私の気持ちがぐらついているとしても、ルーカスと結婚してはいけないことは頭では分かっている。……それなのに、だ。
マリアナ様は、噂通りの美しい令嬢だった。舞踏会で会った令嬢たちも綺麗だったが、マリアナ様ほどの女性はいなかっただろう。明るいブロンドの髪に、透き通るような白い肌。華奢で折れてしまいそうな女性っぽい体。どれをとっても、私が勝てるものなんて一つもない。
マリアナ様はルーカスを見て、にこっと微笑んだ。まるで天使や女神みたいなこの笑顔に、女の私でも見惚れてしまう。ルーカスだって鼻の下を伸ばして……
いない!?
なんと、ルーカスはにこりともせず、刺すような瞳でマリアナ様を見ているのだ。ルーカスは趣味がおかしいのだろう。この、極上の美人マリアナ様を、全力で拒絶しているなんて!
「ルーカス。ブロワ伯爵令嬢のマリアナだ」
トラスター公爵に紹介されると、マリアナ様はドレスを軽く持ち上げ、優美な所作で頭を下げる。
「はじめまして、ルーカス様。マリアナと申します。
お会い出来て嬉しゅうございます」
こんなマリアナを華麗に無視して、ルーカスはトラスター公爵に怒りをぶちまけた。
「だから、俺はセシリア以外とは結婚しないと言っています!」
こんなところでセシリアの名を出されるなんて、恥ずかしすぎる。誰がどう見ても、セシリアよりもマリアナ様のほうがいい女性だろう。おまけに、私には罪人の娘という曰くまでついている。そんなこと分かっているが、胸が痛むのはなぜだろう。
「ルーカス、お前ももうそろそろ現実を見よ」
トラスター公爵は厳しい顔でルーカスを見る。
「私は今からブロワ伯爵と話がある。お前もブロワ伯爵に挨拶をしてから、マリアナと若い者同士自由にしていなさい」
ルーカスはトラスター公爵に続いて部屋を出て行ってしまった。それで私は、不覚にもマリアナ様と二人きりになる。マリアナ様はいきなりルーカスの酷い態度を見て、幻滅したのではないか。それとも、ルーカスの言葉を聞き、悲しんでいるのではないか。そう思った私は、思わずマリアナに話しかけていた。
「マリアナ様、ルーカス様が酷いことを言って、申し訳ありません。
ああ見えても、ルーカス様は仕事もお出来になり、いい方なのです」
するとマリアナ様は天使のような笑顔……ではなく、先ほどのルーカスのような無表情で私を見た。さっきまでの優美なオーラも、氷のようなオーラに変わってしまっている。その変貌に驚くばかりだ。
さらに、マリアナ様は無表情のまま、冷たい声で告げた。
「あなたみたいな使用人が、気安く話しかけないでくれる? 」
「も、申し訳ありません」
私は深々と頭を下げていた。私のせいでマリアナ様を不快にしてしまったら、使用人を辞めさせられるに違いない。きっと、ルーカスは笑ってくれるが、トラスター公爵が許さないだろう。
そして、マリアナ様を見てつくづく女性は怖いと思った。公爵やルーカスの前ではお淑やかにしているが、本性はこれだ。マリアナ様は使用人の私に媚を売っても意味がないと思い、邪険に扱ったのだ。
気まずい沈黙が続き、だるそうに座るマリアナ様の後ろに、ただ私はぼーっと立っていた。だが、ルーカスがブロワ伯爵と話を終えて戻って来た瞬間、マリアナ様はぴしっと背筋を伸ばす。そして、嬉しそうに立ち上がって、ルーカスに駆け寄るのだ。
「ルーカス様、お待ちしておりました」
マリアナ様はにこにこしてルーカスに手を差し出すが、ルーカスは気付かないふりをして横を向く。マリアナ様とルーカスはお似合いだと分かっているのに、そんなルーカスの様子にホッとしてしまう自分がいた。
マリアナ様は見た目とは違い、強い女性らしい。ルーカスが手を差し出してくれないことが分かるや否や、ルーカスの腕にぎゅっと掴まる。そして体を擦り寄せ、上目遣いでルーカスを見た。
「ルーカス様、明日は花祭りですわね。
わたくし、明日もあなたに会えることを、楽しみに思っております」
ルーカスは無視を決め込んでいるようだ。だが、マリアナ様も強い。
「少しあちらを散歩したいですわ。
もしよろしければ、ご案内いただけますかしら? 」
ブロワ伯爵も来ている手前、ルーカスも断れなかったのだろう。相変わらず嫌そうな顔をしながら、マリアナ様に引っ張られるように外へ出て行く。
美男のルーカスと、美女のマリアナ様。並ぶとまるで恋の様子を描いた絵画のようだ。お似合いという言葉は、まさしくこの二人のためにあるのだろうか。それくらいお似合いなのだ。私なんかが出る幕ではない。そもそも、気が強い者同士ぴったりだと思うのに、胸が引き裂かれたように痛い。
……そうか。これが嫉妬というのか。ルーカスとマリアナ様がお似合いだと思えば思うほど、私がいてはいけないと思えば思うほど、どす黒い気持ちになり心が悲鳴を上げる。私があそこに行くことが出来れば、幸せになれるだろうと思う。
認めたくないけど、認めるしかない。私はいつの間にかこんなにも、ルーカスに惹かれていたのだ。
ルーカスを好きになっていたのだ。
ルーカスを見送ったあと、そろそろマッシュの散歩の時間であることを思い出した。今日の夕方の散歩は私がしようかな。と思った時、ルーカスとマリアナ様が消えた外から、けたたましい叫び声が聞こえてきた。
女性の甲高い悲鳴と、それに続いてかすかに聞こえた犬の唸り声。その唸り声を聞いて、まさかと思った。そして私は悲鳴のした方へと走っていた。
随分と傾いた太陽の光を浴び、花の咲き誇る中庭に、彼女たちはいた。マリアナ様は半ば怯えた顔で、ルーカスのシャツを掴んでいる。そして、マリアナ様の足元には、眉間にしわを寄せてマリアナ様を睨む小さなマッシュがいた。
「マッシュ!何やってるの!? 」
慌てて止めに入る前に、ルーカスがマッシュを抱き上げる。すると、マッシュは急にしっぽを振りながらルーカスの顔を舐め始めるのだ。優雅な見た目とは違って元気いっぱいのマッシュだが、人に牙を剥いて唸るところなんて初めて見た。そして、いつの間にかルーカスはすっかりマッシュに慣れているのだ。
「だ、大丈夫でしたか!? 」
二人の邪魔をしてはいけないと思いつつも、気になってしまってルーカスに聞く。すると、ルーカスはマッシュを抱き上げたまま、無表情で頷いた。
「……あぁ」
そしてルーカスは、イラついたようにマリアナ様に告げる。
「もうすぐ陽も落ちる。貴女もそろそろ、伯爵と家へ帰ったらどうか? 」
「そうですわね」
マリアナは笑顔で告げて、ルーカスの元を去ろうとする。だが、名残惜しそうに振り返って告げた。
「ルーカス様、明日の花祭り、楽しみにしていますわ」
それに対してルーカスは何も答えない。興味がないのは分かるが、あまりにも露骨すぎて不安になる。
だが、マリアナ様もマリアナ様だ。ルーカスに背を向けて歩き始めた時には、その顔は怒りに満ちた鬼のようになっていた。そして、私のほうへずかずかと歩いてくる。あまりの気迫に、逃げたい気持ちでいっぱいになる。だが、ここでヘマをして、ルーカスに迷惑をかけるわけにはいかない。そして、マリアナ様はすれ違いざまに、小声で告げた。
「あの犬、始末しておいてね」
……え!?
「私は近々ここに住むのだから、あんな猛獣がいたら暮らせないわ」
そして、何事もなかったかのようにすたすたと歩いていってしまった。そんなマリアナ様の後ろ姿を、私は信じられない気持ちで見ている。
始末ってなに?
マリアナ様は、本気でマッシュを始末して欲しいわけ!?
やっぱり私、この人無理だわ。
胸が嫌な音を立てる。私はルーカスと結婚するつもりなんてないのに、マリアナ様とは結婚して欲しくないと思ってしまう。ここでルーカスがマリアナ様を気に入れば、私は目的を果たせたことになるはずなのに。それなのに、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。
「おい、クソチビ」
ルーカスの声ではっと我に返る。慌てて背筋を伸ばし、平静を装って振り向く。すると、そこにはあからさまに不機嫌な顔でマッシュを抱いているルーカスがいた。
「言っておくが、マッシュは何も悪くない。
あの女が、マッシュを蹴り飛ばそうとしたから……」
ルーカス、ちゃんと見ていたんだ。そして、マリアナ様の外面の良さに惑わされていないんだ。ルーカスの言葉を聞いて、ホッとしてしまう自分がいた。
そんなルーカスに、恐る恐る聞いてしまう。
「あの……マリアナ様は……駄目でしょうか? 」
するとルーカスは、恨みのこもった瞳で私を睨み、はっきりと告げた。
「駄目に決まっている」
その言葉を聞いて、ホッとしてしまったのは言うまでもない。
私はルーカスを相応しい令嬢と結婚させるためにここへ来た。マリアナ様なら、性格の悪い者同士ぴったりだ。それなのに、いつの間にかルーカスの虜になってしまっていた。好きだと思えば思うほど、この恋心はむくむくと膨れ上がっていく。叶うことのない苦しい恋になるのに、止められないのだ。
「俺にはセシリアしかいない。
セシリアと結婚出来ないのなら、一生独り身でもいい」
そんなこと、言わないで欲しい。ますます逃げられなくなってしまうのだから。
ルーカスの本性を暴きたいだとか、相応しい令嬢を見つけたいだとか、変な理由をつけて、潜入しなければ良かった。ルーカスは確かに暴君だったが、正義感が強いところとか、意外と優しいところとか、知りたくないところまで知ってしまった。それに、無条件に私を好きでいてくれる。セシリアへ向けて語られる愛が、いつの間にか心地よくなっていた。ルーカスにこんなにも愛されて、幸せだと思うようになっていた。
「そうだ、クソチビ。明日は花祭りだ。今からセシリアを迎えるための俺の服だとか、部屋の片付けだとかを頼む」
「承知しました。……ですが、ルーカス様……」
私は口ごもりながら、ルーカスに告げる。
「今夜は私も実家へ帰りたいのです。
……じ、実家にいる家族が、体調を崩したようで……」
我ながら、なんて嘘つきな女なのかと思う。もちろん実家へ帰るのは、家族が体調を崩しているわけではない。明日朝、ルーカスが家へ迎えに来るからだ。そこで私は、セシリアになって、花祭りには行けないと言うつもりだ。これ以上、ルーカスにのめり込んではいけないから。
「……はぁ!? 」
ルーカスはイラついたように私を睨む。さすがの私でも、無茶な話だと思う。ルーカス自ら準備した花祭りの、最後の準備を手伝わないなんて。だが、セシリアになるためには、セリオでいるわけにはいかない。もちろん、花祭りに行くつもりはないため、セリオとして途中参加する予定ではいるのだが。明日、私はどうなってしまうのだろう。