15. 物騒なことが怒りそうだ
マッシュと散歩を終え、部屋に帰ると、相変わらず忙しそうなルーカスがいた。業務があまりにも詰まっているからだろうか、愛読書の指南書が無造作に床の上に落ちていた。それを見て、お兄様の言葉を思い出してしまう。
『ルーカス様は、ご自身でしかしていない』
私は思わず首をぶんぶん振っていた。ルーカスが何をしようが、私には関係ない。そして、そんな関係になるはずもないのだから。
そんな私を、ルーカスは怪訝な目で見た。そして、相変わらずぶっきらぼうに告げる。
「遅かったな」
どきりとする。
「ちょ、ちょうど知り合いに会いまして」
そう告げると、
「マルコスか」
ルーカスはさほど興味も無さそうに吐き出した。
どうやら、私がセシリアだということは、全然バレてもいないらしい。だが、ルーカスは仕事の合間で私を監視していたのだろうか。私がお兄様と話していたことも、見られていただなんて。
「マルコス、顔もいいし強いからな。
セシリアの兄だというだけで嫉妬してるが」
「えっ!? ルーカス様が嫉妬されることなんて、あるんですね!? 」
思わず口が滑ってしまい、慌てて口を押さえる。やばい、ルーカスはまた怒るのだろうか。だが、意外にも彼は冷静だ。
「マルコスも不憫だな。爵位剥奪された瞬間に、縁談も白紙になってしまって」
「……え? 」
思わずルーカスを見ていた。
お兄様に、縁談なんてあったの? そして、爵位剥奪のために縁談が白紙になったの? そんなこと、全然知らなかった。お兄様はもしかすると、その縁談相手が好きだったのかもしれない。それでさっきもあんなことを……
「だからお兄……マルコス様は、寂しさを紛らわすために、ご令嬢たちと遊ばれているのですか? 」
お兄様のことはよく知っていると思っていた。だが、お兄様には私の知らない辛さがあったのだ。お兄様は後腐れなく楽しくやっているのかと思っていたが、実は必死にもがいているのかもしれない。私はお兄様のよき理解者だと思っていたのに、酷いことを言ってしまった。
「マルコスがどういうつもりなのか、俺は知らないけど」
ルーカスは窓の外をちらっと見て告げる。
「でも、マルコスはセシリアの幸せを誰よりも願っている。
そして俺は、セシリアをマルコスみたいな目には遭わせたくない」
そういう直球はやめて欲しい。また胸が疼いて止まないから。こうやって素で優しいことを言われると、意識しないではいられなくなる。
「で、ですが!やっぱりルーカス様は次期公爵ですので……」
「立場など関係ないと言っただろう」
ルーカスは急に大声を出し、机をガンと叩く。最近落ち着いていただけに、久しぶりに荒ぶられると心臓に悪い。しかも、その内容が私の話なのだから。
ルーカスは刺すような瞳で私を睨んだ。
「それ以上セシリアを侮辱するのなら、いくらクソチビでも許さない。
代々俺の使用人はセシリアを侮辱した。それで俺がブチ切れるから、愛想尽かして去っていった。
お前なら分かってくれると思ったが、やっぱりお前も俺を理解してくれないのか」
その言葉が胸に突き刺さる。まさかとは思ったが、ルーカスの歴代の使用人は、セシリアの件で揉めて去って行ったのだ。ルーカスがそこまで私を大切にしてくれるのは嬉しいが、申し訳なくも思う。これではルーカスの悪い噂は、私のせいではないか。だから私はこれ以上ルーカスを悪人にさせないためにも、セシリアの悪口はもう止めようと思う。
「いえ、ルーカス様」
私はルーカスに頭を下げる。
「確かに私はルーカス様とセシリア嬢の結婚に反対でした。だが、ルーカス様のお気持ちを知った今、私に止める権利はありません。
ルーカス様が幸せになられることを、私は祈っています」
ばーっと出まかせを言ってしまったが、これでは予定が狂う。私はルーカスが他の令嬢と結婚することを祈っているのに。ルーカスが他の令嬢と幸せになればいいと思っているのに。
……だけど、今も心からそう思っているのだろうか。
ルーカスは私を値踏みするような目で見た。そして、わざとらしく大きなため息をつく。ため息の次に吐き出された言葉がまた衝撃的で、ひっくり返りそうになる。
「それなら、お前にセシリア役をやってもらおう」
「せ、セシリア役、ですか? 」
なんとか吐き出した声が震えていた。ルーカスはまた、何を考えているのだろうか。嫌な予感しかない。
ルーカスは獲物を狙うような瞳で私を見て、意地悪そうに口角を上げて告げた。
「お前、女みたいだから、ちょうどいいだろう。
まあ、お前とセシリアなんて、月とスッポンだろうが」
私がセシリアだとはバレていないが、女っぽいとは思われているようだ。そして、今の私は散々な言われ様だ。私をセリオだと思っているルーカスは、きっとキスなんかはしないだろうが……セシリア役だなんて。嫌な胸騒ぎしかしないのだった。
ルーカスは、花祭りのメイン会場へと私を連れていった。花祭りは街中の至る所で行われるが、主な出し物は、この広い花畑に作られたメインステージで行われるらしい。満開の花畑を見て、思わずわあっと声が溢れた。
花畑には、色とりどりの花が綺麗に咲き誇っていた。そして、太陽の光を浴びて輝き、風に吹かれてそよそよと揺れている。まさしく圧巻の景色だった。そしてこの花畑の奥には広いステージが設けられ、人々が飾り付けなんかをしている。花で盛られたタワーみたいなものを運んでいる人もいる。
思わず見惚れてしまった私に、
「お前、マジで女みたいな反応するな」
冷めたルーカスが言う。だから慌てて口元に当てた手を下ろす。しまった、私としたことが本心を出してしまった。つい、花畑のスケールが予想以上で綺麗だったから……
「まあいい。お前、セシリアみたいに振る舞え」
無茶振りをされて、どうすればいいのか迷う。私がもしセシリアみたいに振る舞って、ルーカスにバレてしまっては元も子もない。
ルーカスは、考え込む私の手を不意に取った。急に触れられるものだから、体がどきんと音を立て、
「ひゃっ!」
なんて変な声まで出る。こんな私を見て、
「お前、やけに演技が上手いな」
ルーカスは言う。いや、演技ではない。ルーカスが不意打ちをするから、本性が出てしまっただけだ。ドキドキする私は、真っ赤な顔でルーカスの腕を持つ。
「セシリア。今日は来てくれて嬉しい。会えて嬉しいよ」
甘く優しい声で告げられ、胸がいちいちきゅんと鳴る。
「え、ええ。私も嬉しいですわ」
敢えて私は棒読みの台詞を発するが、その声は震えている。
「この祭りはお前のために準備した。お前の喜ぶ顔を想像して……想像しまくって、夜もムラムラして眠れなかった」
……は!? やっぱりこの人最低だ。
ルーカスはないと、自分に言い聞かせる。そしてルーカスは、本気で私にこの台詞を吐くつもりなのだろうか。
「ここは人が多い。……公爵邸の庭園には人がいないだろうから、そこでゆっくり話でもするのはどうか? 」
「で、ですがルーカス様。わ、私にこの祭りを見せてくださるのではないですか? 」
震える声で聞くと、ルーカスは口元を歪めて吐いたのだ。
「そんなこと、口実に決まっているだろう。
セシリアが俺を認めてくれたら、祭りなんて抜け出して、朝から晩まで抱き潰す」
背中がゾゾーッとした。ルーカスはあれだけ私のために祭りの準備をしたのに、本心は抱くことで頭がいっぱいなのか。色々とときめいてしまって損した。ため息をつく私に、ルーカスは告げる。
「は? まさかクソチビ、本気にしているのかよ? 」
えっ、むしろ本気ではないの!?
「マルコスには黙っていろよ。
あいつシスコンだし、俺がセシリアを想って妄想しているのを知ると、激怒するだろう」
いや、お兄様は遊び人だから何も思わないだろう。そして、お兄様に言うつもりもない。そして、私はルーカスに襲われないないよう、花祭りのメイン会場を絶対に離れないと心に誓った。
複雑な思いの私は、きっと無防備だったのだろう。不意にルーカスに抱きつかれた。体がぼうっと熱くなり、ルーカスの香りに頭がクラクラする。そして私は反射的に悲鳴を上げ、ルーカスを力いっぱい突き飛ばしていた。
私に突き飛ばされたルーカスは、驚いた顔で私を見ている。そして、私は心臓をばくばく言わせながら、半泣きの顔でルーカスを見ている。
「も、申し訳ありません……」
震える声で謝るが、無意識のうちに両手で胸の辺りを庇っていた。そんな私を、ルーカスは頬を染めて目を見開いて見る。
「お前……マジで女みたいな体だな」
「きょ、虚弱体質なので……」
そう告げるのが精一杯だった。
迂闊だった。ルーカスに抱きつかれてしまったなんて。そして、いちいちドキドキして、悲鳴まで上げてしまっただなんて。私は今、セリオだ。セシリアだとバレてはいけないし……ルーカスに惚れてはいけないのに。
真っ赤な顔の私と、それをぽかーんと見るルーカス。このまずい状況を変えたのは、
「ルーカス」
低くて渋い男性の声だった。滅多に聞くことはないが、私はこの声の主を知っている。そして、この声を聞いた瞬間、背筋をピシッと伸ばしていた。
「お前のおかげで、今年の花祭りも無事終わりそうだ」
低くて渋い声の男性は、ピシッとスーツを着た四十代後半ほどの男性だった。渋くてかっこいい、イケオジという言葉がぴったりだ。そして彼の背後には、お付きの者が数人並んでいる。そんな男性に向かって、
「それはどうも」
ルーカスはツンとして答える。
「お前はやれば仕事も出来るし、お前のおかげで色んな事業も成功している。
私は今すぐにでもお前に公爵の爵位を譲ってもいいが、一つだけ懸念がある」
厳しい顔のトラスター公爵に、同じく厳しい顔のルーカスは告げた。
「俺はセシリアと結婚します。それだけは譲れません」
その言葉に飛び上がりそうになった。
ルーカスは馬鹿じゃないの!? 仕事も出来る。事業も成功。だが、私のせいで親子仲は悪く、公爵の爵位も継げないのかもしれない。
嫌な胸騒ぎが止まらない。そして、これ以上私の話をして欲しくないと思うのに、ルーカスはトラスター公爵を見て低い声で聞いた。
「父上は、セシリアの家柄が気になるのでしょう?
もし、ロレンソ元伯爵が無罪だったら、俺はセシリアと結婚してもいいんですよね? 」
トラスター公爵は何も言わなかった。きっと、否なのだろう。お父様が無罪だったとしても、今や爵位すらない。トラスター公爵は、ルーカスと平民の結婚を望んでいないのだろう。そして、お父様の無罪だって、今となっては証明しようがないのだ。
そんなこと分かっているが、実際にこうやって目の前で話されると堪える。ルーカスなんて願い下げのはずなのに、胸がこんなにも痛むのはなぜだろう。
「セシリア嬢にこだわるのなら、ロレンソ元伯爵の代わりに伯爵になった、ブロワ伯爵令嬢のマリアナ嬢なんてどうだ? 」
「嫌です」
ルーカスはピシャリと言ってのけるが、私の胸はまだズキズキと痛む。分かっていることだが、トラスター公爵をはじめ、ルーカスと私の結婚を望んでいる人なんて誰もいないことを思い知る。こんなにも周りから反対されて結婚しても、幸せになれるはずがない。それはルーカスも然りだ。ルーカスは私と結婚すると、一生後ろ指を指されることになる。
「お前は嫌だろうが、マリアナ嬢に会ってみたらどうだ?
彼女は容姿端麗で、社交界でも人気がある。
明日、マリアナ嬢に公爵邸に来てもらうよう手配している」
トラスター公爵は、そう言い放ってルーカスに背を向けて去っていった。その後ろ姿を睨みながら、
「クソオヤジめ!! 」
ルーカスは怒りに肩を震わせていた。そんなルーカスを見ながらも、私の胸はただ泣きそうな悲鳴を上げるのだった。