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13. 少しずつ絆されている

 私はセリオとして、いつからこうもルーカスに大口を叩くようになっていたのだろうか。そして、ルーカスも私のことをクソチビとは言うものの、いつから言うことを聞くようになっていたのだろうか。


 今日もマッシュは大暴れだ。そのおしとやかな外見とは裏腹に、やんちゃすぎる性格なのだろう。マッシュは楽しいことがしたくて仕方がないのだが、ルーカスはすでにへとへとだ。今朝なんて、小型犬のマッシュと散歩に行き、マッシュに引きずられて帰ってきた。どっちが主人なのだろうか。


 餌だって、ルーカスがもたもた準備をしていると、マッシュがワンワン吠えて急かしている。ルーカスはもはやマッシュの下僕と化しているのだ。


「ルーカス様。マッシュは、ルーカス様の手に負えないかもしれません。

 もう少し穏やかな犬に変えてはいかがですか? 」


 と、他の使用人に突っ込まれ、ルーカスは顔を真っ赤にして怒っていた。


「このクソ犬一匹手懐けられなくて、セシリアに顔向けなんて出来ない!」


 いや、意味が分からない。そして、マッシュにこだわる意味も分からない。だが、ルーカスが完全にお手上げのため、マッシュは私が責任を持って躾けている。今も、トイレで排泄が出来て得意げなマッシュを、


「マッシュ、すごいね!」


私は褒めている。


「トイレをすぐに覚えるなんて、マッシュ実は頭がいいんじゃないの? 」


 そんな私とマッシュを見て、ルーカスは不貞腐れたようにケッと吐き出す。


「クソチビとクソ犬は、気が合うんだな」


「もしかして、嫉妬されているんですか? 」


 思わず聞くと、


「なはずねぇだろ」


怒りと共に吐き出された。


 マッシュは、ルーカスを同類とでも思っているのだろうか。ルーカスの前ではいたずらっ子なのに、私の前では幾分大人しくなる。そして、甘えるように膝に乗って頬をすり寄せてくるのだ。そんなマッシュが可愛くて、思わず抱きしめてしまう私。そしてブラッシングをしてあげると、気持ちよさそうに目を細める。


「クソチビは、犬が好きなんだな」


「はい。マッシュを見ていると、実家の犬を思い出しまして」


 マロンも昔はマッシュみたいな子犬だったなぁと懐かしくも思う。だが、今やマロンは立派な成犬だ。もう数年すると、老犬になってしまうだろう。


「犬は人間よりも寿命が短いです。

 私の実家の犬とも、マッシュとも、いつかはお別れの時が来ます。

 その時まで、幸せだったなと彼らが思えるような一生を送らせてやりたいのです」


「そうか……」


 ルーカスは静かに私に歩み寄り、私の持っているブラシを取り上げた。そして、そっとマッシュの毛をブラッシングする。不意にルーカスとの距離が近くなり、ふわっといい香りもして、私は頭が真っ白になりそうだ。今すぐにルーカスの側から離れたいと思うのに、膝の上にマッシュがいるため、身動きも取れない。


「お前は優しいんだな」


 ルーカスは低い声で静かに告げる。その声が、胸を甘く震わせる。


「俺がお前みたいな男だったら、マッシュも懐いてくれただろう。

 ……セシリアだって惚れてくれただろう」


 そんなこと、甘くて切ない声で言わないで欲しい。セリオはセシリアなのだから、私が惚れるはずがない。それに……こうやって、ルーカスの意外な一面を見るたびに、胸が熱くなる。好きなはずがないのに、胸がじーんと甘く震える。


「わっ、私は!ルーカス様のいいところもいっぱい知っていますよ!

 せっ、セシリア嬢も、ルーカス様にそんなにも好きになってもらえて、嬉しいでしょう」


 我ながら、なんて出まかせを言っているのだろう。私はルーカスと結婚するつもりはないし、ルーカスだって他の令嬢を見つけることを願っている。それなのに、どうしてセシリア()との関係を後押しするようなことを言ってしまったのだろう。


 私の言葉に、


「だといいんだがな」


ルーカスは穏やかに答える。


 ルーカスには、いつもの狂気じみた態度で接して欲しい。こうやって穏やかに接されると、あの日のことを思い出してしまうから。忘れかけていたが、あの日の優しいルーカスや甘いキスを思い出してしまうから。また、ルーカスに触れたいとさえ思ってしまう。


 いつもの乱暴者で嫌なルーカスに戻って欲しい私は、必死にルーカスに告げる。


「きょ、今日のルーカス様は、い、いつもと違って穏やかですね」


 ルーカスは怒ると思った。はっと我に返って嫌なルーカスに戻ると思ったのに、


「そうかもしれないな」


ぽつりと私に告げた。


「正直、お前を見ていると、すげー劣等感が押し寄せる。

 お前はクソチビのくせに、キノコも食べられるし犬の世話も出来る。

 おまけに、性格もいいときた」

 

「と、とんでもございません!」


 どぎまぎする私。酷く罵られるのは慣れているが、こうも持ち上げられるのには慣れていない。しかも、こうやっていきなりやられるなんて、防御の仕様もない。


「お前の前で弱音なんて吐きたくないが、今日だけは吐かせろ。


 ……正直、参ってるんだよ」


 ルーカスは余裕のない声で告げた。落ち込んでいるルーカスを見ているのが辛くて、いつもの暴君に戻って欲しくて、思わず言ってしまった。


「私だって、ルーカス様が羨ましいと思うこともあります」


 ルーカスは驚いて私を見る。至近距離でその瞳を見ると、不覚にも胸がときめいてしまう。だけど、いけないと言い聞かせる。


「自分の気持ちに正直なこととか、人に媚びを売らないとか……」


 そして付け加えた。


「ずっと、セシリア嬢だけを好きでいらっしゃることとか……」


 正直、それが厄介でもあった。だけど、こうもいつも気持ちを押し付けられると、正直胸が痛い。ルーカスのセシリアへ向けた言葉は、嫌いなものを好きになろうとする態度は、少しずつ私の心を蝕んでいるのだ。……少しずつ、時間をかけて。


 ルーカスと結婚しても、幸せになれないだろう。それなのに、いつしかその気持ちが嬉しいとさえ思うようになってしまっていた。


 夕方。マッシュの散歩の時間だ。ルーカスは一日中仕事で忙しそうにしていたが、散歩の時間になると仕事の手を止め、マッシュのリードを手に取る。その瞬間、狂乱し始めるマッシュ。その美しく白い毛を振り乱し、キャンキャンワンワンいって走り回る。挙げ句の果てに、興奮しすぎてルーカスに激突している。ルーカスはマッシュが激突したすねをさすりながら、


「このクソ犬……」


イラついたように吐き出す。犬を飼うといった責任を自分で取っているルーカスはすごいと思うが、ルーカスだって仕事が大詰めだ。花祭りはもう数日先にまで迫っている。


「ルーカス様。もしよろしければ、私が夕方の散歩をしても構いませんか? 」


 そう聞く私を、驚いた顔で見るルーカス。


「いや、俺が行く。

 このクソ犬を飼うと言い始めたのは俺だ。俺が責任を持って面倒を見ないと」


 その責任感は素晴らしいし、見習わないといけないとさえ思う。だが、この状況でルーカスがマッシュの散歩に行かないといけないのもおかしい。手が空いている私がすれば、ルーカスだって業務に集中出来るはずなのに。


「ルーカス様……」


 どう言えば、ルーカスが業務をしてくれるか必死で考えた。そして私は告げたのだ。


「私だって犬が大好きです。私だってマッシュと散歩をしたいのに、いつもルーカス様ばかりずるいです!」


 ルーカスは怒るだろう。そして、我ながらいつの間に、ルーカスに大きな口を叩くようになったのかと驚くばかりだ。ルーカスは殺気を込めて私を睨んだが、次の瞬間、ホッとしたような顔になる。


「それなら、夕方の散歩はお前に任せる」


 そう吐き捨てて、書類に目を落とした。


 ……ほら。ルーカスだって、一人で抱え込んでいたわけじゃないの。そして、私を頼ってくれて嬉しくも思えた。


 狂乱するマッシュを捕まえて、慣れた手つきでリードを付ける。そして部屋を出ようとした私を、


「クソチビ」


ルーカスは呼んだ。思わずビクッと飛び上がり振り返る私を、ルーカスは優しげな笑顔で見た。


「ありがとな」


 そういうの、やめて欲しい。礼なんて、いらない。私は今セリオなのに、どうしてそんな顔をするのだろうか。ルーカスに惹かれたくないのに、そうやって優しくされるたびにどきんとする。もっと笑って欲しいと思ってしまう。私は、完全にルーカスに毒されている。



 マッシュと中庭に出た私は、真っ赤な顔で足早に歩いている。そんな私の頭の中を、笑顔のルーカスが行ったり来たりを繰り返す。最近のルーカスはおかしい。使用人の私にも優しいし、私を褒めることさえする。初めて会った時のように、豪快に暴言でも吐いてくれれば私だって気楽なのだが。


 そもそも、私はルーカスを遠ざけるために、この公爵邸へ来た。ルーカスが他の令嬢に惚れてくれるのが目的で、私がルーカスに惚れるだなんてあり得ない。ミイラ取りがミイラになってはいけない。これ以上ルーカスに惹かれてしまうのなら、早々に辞職するべきだろう。


「ねえ、マッシュ。

 マッシュはこの家に来て、幸せ? 」


 マッシュは首を傾げ、丸い瞳で私を見て尾を振っている。マッシュは幸せだろう。ルーカスだって犬嫌いなのに、マッシュをすごく大切にしている。


「私は……」


「幸せじゃないのか? 」


 不意に声がして、飛び上がってしまった。おまけに変な叫び声まで出てしまった。声のする先には、騎士服を着た笑顔のお兄様が立っていて、


「び、びっくりさせないでよ」


私はヘナヘナと地面に座り込んでいた。そして、相手がお兄様だと分かっても、胸はまだバクバクと音を立てている。

 お兄様を見ると、あの舞踏会の日のことを思い出してしまった。私はこんなにも拗らせているのに、お兄様は令嬢たちと一夜の恋を楽しんでいた。あんなこともこんなこともしているのだろうと思うと、顔が真っ赤になる。


 そんな私の胸の内を知らないお兄様は、笑顔で告げる。


「ルーカス様と仲良くやっているんだな。噂で聞いてるよ」


「噂!? 」


 思わず聞き返してしまった。確かにルーカスとは険悪な仲ではないが、噂になるような仲でもない。


「ルーカス様も、セリオのことを気に入っていらっしゃるようで」


「いや、気に入るも何も……私はクソチビだし、相変わらずこき使われているだけで……」


 でも、最近は少し優しくしてくれる。私のことを褒めてもくれる。嫌な男なら徹底的に嫌な男になって欲しいのに、そういうところがあるから困るのだ。


 俯く私に、お兄様は唐突に告げた。


「もう、結婚してしまえばいいだろう? 」


 ……は!?


 私は口をあんぐり開けて、頬を染めてお兄様を見ていた。そういう冗談は、口が裂けても言わないでいて欲しい。


「ルーカス様も最近はご機嫌で、仕事にも身が入っていらっしゃると噂だ。

 

 俺も色々考えたが、一番は可愛い妹には幸せになって欲しい」


「その気持ちは嬉しいけど……」


 でも、お兄様だって、ルーカスとの結婚反対派だったよね? いつの間に、ルーカス側の人間になってしまったの? そして、いくらルーカスと私が相性が良かったとしても、忘れてはいけない壁がある。


「ルーカスは次期公爵で、私はただの平民だから……」


 だからやはり、ルーカスと結婚しても幸せになれないのだ。



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