10. 彼の言葉と甘い口付け
煌びやかな夜会に、煌びやかなルーカス。まるで私はシンデレラにでもなった気分だ。だが、魔法がいつか解けてしまうことは知っている。ルーカスもいつかは私に興味がなくなるだろうし、平民という立場は魔法でも変えられない。
「ご、ごめんね、ルーカス……」
結婚出来ない、なんて言葉を、彼は華麗に遮った。
「一緒に踊ってくれないか? 」
いや、この綺麗な令嬢だらけの間で踊るなんて、狂気の沙汰だろう。ダンスだって、学院を去ってから公の場では踊っていない。騎士であるお兄様の練習相手にはなっているのだが。もし、ルーカスのダンスの腕が一番なのだとしたら、私はただの見せ物だろう。
「ご、ごめん……ダンスは……」
無理と言おうとした私の腕を、ルーカスはぎゅっと引く。そして倒れそうになった私を、ルーカスはそっと支えてくれる。手を合わせ体が密着する形となり、胸が熱くドキドキという。やめてもらおうとルーカスを見上げるが、至近距離でその碧眼と視線がぶつかり、かあっと顔に血が上る。
「ルーカス……だめ……」
苦し紛れに吐く私に、そっと身を寄せるルーカス。
「何が駄目だ? 」
低く甘い声に、身も心も溶かされそうになる。
「だめ……なんだか、ドキドキする。
……ルーカスなのに」
「それならもっとドキドキしてくれ」
「だめよ……やめて、ルーカス……」
皆がいるというのに、皆が見ているというのに、ルーカスはふらふらする私を支えて踊りながら、そっと額にキスをする。ルーカスの唇が触れたとこほが、焼けるように熱い。
平民のシャツとスカート姿で踊る私と、正装姿のルーカス。そんなちぐはぐな私たちを見て苦笑いする人もいれば、敵意を込めて私を睨む人もいる。令嬢に敵視されることは避けたかった。だが、ルーカスに絆されている今、私の思考能力は完全に停止していた。ただひたすらドキドキと胸を高鳴らせている。……ルーカスなのに。ルーカスなんて、嫌いなのに。
数曲ダンスを終え、そろそろ疲れてきた私。私が疲れているのに、ルーカスも気付いたのだろう。私の手を引いてホールの中心部を去った。肩で息をしている私に、
「セシリアと踊れるなんて、夢のようだ」
ルーカスは甘ったるい声で告げる。
「学院の頃、ずっとセシリアとダンスをしたかった。だが、お前はいつも人気で……」
「いや、平凡だから相手に選びやすかっただけよ」
私は苦笑いして答える。
そう、学院時代、度々ダンスの練習があった。そして、確かに私には踊る相手がいた。だが、それは決して恋などという甘いものではない。セシリア相手だと緊張しないだとか、好きな人とは踊れないからセシリアと踊りたいだとか、そんな理由で私を選ぶ相手ばかりだった。まさかあの時、ルーカスが私と踊りたいと思っているだなんて、思いもしなかった。
「でも、一つ願いが叶って良かった。
これから俺は、一つ一つセシリアとの願いを叶えていきたい」
ルーカスはそう告げ、頬にちゅっとキスをする。私はルーカスがキスした場所を押さえ、また真っ赤になるのだった。
このままルーカスといると危険だ。ルーカスは予想以上に本気で、予想以上にぐいぐい迫ってきて、そして予想以上に好きになってしまいそうだ。私はこれ以上、ルーカスにきゅんとしたくない。
「それじゃあ私……」
帰るね。そう言ってそそくさと去ろうとした時だった。
「君がセシリア嬢? さっき、シャワールームにいたかたですね」
笑顔で私に歩み寄ってきたのは、なんとジョエル様だ。ジョエル様の後ろには、目をハートにした令嬢が連なっている。ルーカスが無愛想であるだけに、ジョエル様は大人気だ。
そして私は、ジョエル様を見てビクッとする。私がセリオであることは、バレていないだろうか。ここでセリオだとバレてしまったら、一貫の終わりだ。
「……シャワールーム? 」
ルーカスは怪訝な顔で私を見る。それで私は反射的に吐き出していた。
「あっ、足を洗いに行っていて!」
そして、慌てて口を塞ぐ。私としたものが、やってしまった。ルーカスが足を洗って出直せと言うから、私は足を洗いに行ったのだ。背中がゾゾーッとした。
だが、ルーカスは不思議そうに首を傾げたまま言う。
「そういえばクソチビ、見ないな。あいつまさか、俺が足を洗って出直せと言ったから、本気で足を洗ってるわけないよな? 」
飛び上がりそうになる。まずい、これはまずい。そして、私は本気で足を洗っていたのだが。
「セリオさん、お兄様に怒鳴られすぎて、どこかで泣いてるんじゃない?
それか、今日を持って退職するとか」
「……マジか。クソチビ、いい奴だったのにな」
ルーカスは残念そうに言う。そんなルーカスを見ながら、セリオのことを嫌いではないのかと驚きを隠せない。あの悪魔なような対応をするから、ルーカスはセリオが嫌いなのかと思っていた。
いずれにせよ、はやくセリオの話題をやめて欲しい。セリオの話をすればするほど、私がセリオだとバレてしまいそうで怖くなる。
そんななか、
「セシリア!こんなところで何してるんだ!? 」
また新たな声がした。いつの間にか近くにはお兄様がいて、お兄様は驚いた顔で私を見ているのだった。
「お兄様!」
助けてください!と目で訴える。お兄様は私とルーカスを、驚いたように交互に見た。そんなお兄様に、ルーカスは聞く。
「マルコス、どこに行っていたんだ? 」
「ご令嬢と、シャワールームで致しておりまして」
お兄様は爽やかな笑顔で答える。まさか、シャワールームから私を締め出したのは、お兄様だったの!? そして、お兄様は清純派だと思っていたのに、騎士になって汚れてしまったの!? なんだか酷くショックだ。
そんなお兄様の横には頬を染めた令嬢がいて、お兄様の腕をぎゅっと握っている。まさしく大人の世界だ。私はついていけない……
「いいなぁ、お前は」
ルーカスは遠い目でお兄様を見る。そして、考えたくもないが……考えても私には関係ないが、ルーカスも令嬢を抱いたことはあるのだろうか。考えるだけで胸が痛くなる。……いや、私には関係ないのだが。
「セシリアを呼んでくれたのは、マルコスだろ? 」
私がセリオだと疑ってもいないルーカスは、そんなことを言う。そして調子のいいお兄様が、
「仰せの通りです」
笑顔で答える。そのままお兄様は、ジョエル様に告げたのだ。
「ジョエル様、私たちは向こうでワインでも飲みに行きませんか? 」
えっ、ちょっと待って。お兄様はまた、ルーカスと私を二人きりにするのだろうか。お兄様って、私の味方ではなかったの!?
ジョエル様は笑顔で頷く。そして、令嬢たちを連れて、お兄様と向こうへ行ってしまったのだ。こうして私は、またルーカスと二人きりになってしまった。
お兄様がシャワールームから私を締め出して、令嬢と致していたことにはショックを隠せない。だが、ルーカスのこのキャラ変には、さらにショックを隠せない。これ以上ルーカスといると、私がおかしくなってしまいそうだ。私はルーカスと、シャワールームで致したりなんて、死んでもしたくない。
「セシリア。室内は騒がしいから、少し外でも歩かないか? 」
ルーカスは静かに告げる。
ルーカスと二人きり!? それは避けたい。
このホールにはたくさんの人がいるため、ルーカスも変なことはしてこない。だが、二人きりになった瞬間、襲われるのではないかと思ってしまう。普段のルーカスを知っているからこそ、尚更だ。
「そうね。……でも、やっぱり私、帰らなきゃ」
必死で逃げようとする私の手を、ルーカスはぎゅっと掴む。不意に優しく掴まれるものだから、また私の鼓動はドキドキと速くなる。
「君が良ければ、今夜はうちに泊まってもいい」
「いや、それは絶対にないでしょう!」
どぎまぎして答えた。ルーカスはやはり、その気なのだ。隙さえあれば、私に手を出すつもりなのだ。だけど私は絶対に嫌だ。これ以上ルーカスに惹かれると、のめり込んでしまいそうで怖い……
「セシリア。花祭りが近付いているから、館の庭園も花でいっぱいなんだ。
今はまだ五分咲きだけど、花祭りの頃には満開になる」
私は逃げようとするのに、ルーカスがそっと肩を抱いて歩く。それで逃げることも出来ず、ルーカスの言う通りホールから庭園へと出た。
もちろん、この庭園を知っている。だが、いつも忙しくしていて、庭園を横目に通り過ぎるだけだ。加えて、夜の庭園はライトアップされており、暗い中照らされた花々が幻想的に浮かび上がっている。満開でないとはいえ、とても綺麗だ。思わず見惚れてしまうほど……
「どうだ?綺麗だろ? 」
ルーカスは私の肩を抱いたまま、甘く優しい声で告げる。いつもの声とは全然違うその声を聞き、また胸がきゅんと鳴ってしまったのは言うまでもない。
「俺は、この庭園をセシリアと見ることが出来て嬉しい。
……もし良かったら、花祭りにも来て欲しい」
ルーカスが、花祭りの準備に汗を流しているのは、私を呼ぶためだと知っている。それを知っているからこそ、花祭りの話題を出されるのがキツい。私のために花祭りを成功させようとしているルーカスに、さらに惚れてしまいそうだ。
「でも私……遠くで見物しているだけでいいわ」
私はぽつりと告げる。
「私は平民だし。私なんかがいると、周りの人たちも嫌だろうし」
ルーカスがいくら私を呼びたいと言っても、立場という壁がある。それに、私は平民というだけでなく、犯罪者の娘だ。もちろん、お父様の無実を信じているのだが。
「そんなの関係ない!! 」
ルーカスが不意に大きな声を出すから、思わずビクッと飛び上がってしまう。ルーカスは私の言葉にイラッとしたのだろう。いつもの乱暴者のルーカスを思い出させるような、大きな声だった。
だが、少し怯えた顔をした私を見て、ルーカスはぐっと口を噤む。そして、静かに告げる。
「俺がお前を呼びたいんだ。……分かってくれ」
ルーカスなのに。乱暴で自己中なルーカスなのに。演技でもそうやって優しくされると、コロッと落ちてしまいそうになる。セリオに対する態度を思い出し、この人の本性は違うと必死で言い聞かせる。
「セシリア」
甘く優しい声で名前を呼ばれる。暗闇で私を見つめるその瞳が、きらきらと光を反射して柔らかく輝いている。
「好きだ。……ずっと好きだったんだ」
ルーカスは、消えてしまいそうな声で囁いた。
ルーカスは静かに話しながら、そっと私の髪に触れる。ルーカスの触れた部分が、ちりちりと熱を持つ。
「お前は知らないと思うけど、俺はずっとお前が好きだった」
知っている。セリオの時に、ルーカスに聞いたから。だが、改めてこうやって言われると胸がきゅんとする。何しろ、セリオとセシリアに対する、ルーカスの態度が違いすぎる。
「子供の頃は、恥ずかしくて好きだと言えなかった。バレないように必死だった。
でも、お前は急に俺の前からいなくなった」
ルーカスは悲しそうに私を見る。暴君ルーカスが、こんなにも切なげで泣いてしまいそうな顔をするなんて。そのギャップにもくらくらする。
「俺はお前がいなくなってから後悔した。お前は新たな地で恋に落ち、新たな男と結婚するのだろうと思って。
……でも、俺は諦められなかった。
どんな女を見ても、無意識のうちにセシリアと比べてしまう。お前しか俺にはいないと分かった」
ルーカスは手に取った私の髪に、そっと唇を落とす。そして甘く優しい声で、そっと話す。そういうの、やめて欲しい。いつもとは違うルーカスの様子に、不覚にもドキドキしてしまう。
「そんな時、俺はマルコスが国の騎士団に応募しているという話を聞いた。
俺は国の騎士団から、マルコスを引き抜いた。それで俺は、マルコスにお前の様子をたくさん聞いた」
ルーカスに引き抜かれたという話は、お兄様から聞いた。だがお兄様は、私の味方……だと思う。私の味方ではなかったら、変装して屋敷に潜入したら? なんて馬鹿げた提案はしないだろう。屋敷に潜入したからこそ、ルーカスには別の姿があることが分かった。暴君という、今の紳士な態度からは想像出来ないほどの姿が。
「お……お兄様は何て? 」
思わず聞くと、ルーカスは暗闇の中、儚げな笑顔で笑う。
「セシリアは恋人おらず、森の外れで寂しい生活をしていると。
それは俺にとって、大チャンスだと思った」
だから求婚の手紙を送ってきたのか。ルーカスのその気持ちは嬉しいが、ルーカスとの結婚には障害が大きすぎる。私と結婚することによって、ルーカスも多大な影響を受けてしまう。それに、今はこんなに甘やかしてくれるが、明日セリオになった瞬間に、この甘い気持ちは吹っ飛ぶのだろう。
「ごめん、ルーカス。……ルーカスの気持ちは嬉しいんだけど……」
だけど、結婚は出来ない。そう言おうとした。だが、私の言葉をルーカスは遮る。
「嬉しいなら、どうして結婚したくないんだ!?
俺は、お前を手に入れるなら、何でも捨てる覚悟はある。それくらい、お前しか見えていない!」
ルーカスの素直な言葉が、ぐいぐい胸を抉る。そして、ルーカスから目が離せなくなる。ルーカスのその綺麗な目鼻立ちに見惚れてしまうだけでなく、その必死で優しげな声だとか、甘い瞳だとか、全てに狂わされっぱなしだ。これ以上ルーカスといたら、身が持たない……
「セシリア……」
低く甘い声で名前が呼ばれる。そして髪に触れていた手は、いつの間にか私の両肩を優しく、だがしっかりと掴んでいる。
「好きだ、セシリア……」
その澄んだ瞳から、目が離せなくなる。
「俺と結婚してくれ」
すがるように切ない声で告げ、ルーカスはそっと唇を重ねる。私の気持ちだって伝えていないのに。結婚出来ないと言おうとしたのに。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。ただ、頭がぼーっと真っ白になる。そして、キスされていたと思った時には、キスは深いものへと変わっていた。
ちょっと待って!
息が出来ないし、いきなりそんなこと……!!
私の意識が飛ぶ寸前、ルーカスはようやく唇を離した。熱い吐息が漏れ、ルーカスは熱っぽい瞳で私を見る。まるで獲物を狙う猛獣のようなその瞳に、私の心は危険信号を発している。
私は肩で息をして、唇を手で覆った。
「初めてだったのに……」
その声は震えている。
「初めてなのに、あんなキス……ひどい……」
ルーカスは頬を紅潮させて私を見ている。そして、低い声で静かに言った。
「俺だって初めてだ」
「それなのに、随分慣れているのね」
ルーカスは嘘でもついているのだろうか。ルーカスのことだから、嘘ということも十分あり得る。私を落とすためなら、ありとあらゆる手段を使ってきそうだ。ルーカスはそういう人だということを忘れていた。
ルーカスは頬を染めたまま、口元を歪めて告げる。
「初めてだが、イメージトレーニングはよくしている」
「……はぁッ!? 」
「指南書もよく読んでいる」
「あぁッ!! それ以上もう言わないで!」
私は真っ赤になって顔を覆った。もう……ルーカスの変態!! ルーカスと結婚だなんてことになったら、早々と私の処女は奪われるのだろう。その指南書に沿って。やっぱり無理だ。
「わっ、私、もう帰るね!! 」
一刻も早く逃げようとする私に、
「また手紙を書くから」
ルーカスは甘く切ない声で告げる。
「それに、花祭りも待っているから」
ルーカスは再び唇にキスをした。だが、次は軽くて爽やかなキスだ。少し唇が触れただけで、酷く動揺してビクッとしてしまう私がいる。それに……さっきのキスだって、不思議と嫌ではなかった。むしろ体が熱を持ち、ルーカスに触れたいだなんて思ってしまう。私の体はおかしくなってしまったのだろうか。
「本当はお前をはやく抱きたいよ」
恥ずかしげもなく吐き出されるその言葉に、もう黙って頷くしかなかった。
私は確実にルーカスに毒されているのだろう。