新入生歓迎会
校舎内にあるエリート御用達のレストランで香りの良い生ハムにかぶりつく。店内には木の香りが漂っており、ランプシェードの程よい明かりが雰囲気を作っていた。相席の女は下唇を噛みながら、俺を睨んでいる。
「あー最悪。あんたみたいなデリカシーの無い男が横に座っていたなんて」
「誰のおかげで居眠り新入生代表のレッテルを回避できたかわかるか」
「知らないし」
想像していた金髪清楚系美少女ではなく、かなり面倒くさいタイプのようだ。とりあえず、生ハム美味い。
「お前、もっと高貴な感じだと思ってたのに、全然違うな」
「ざんねん、あんたの理想的な女は妄想の中だけだよ。あと、お前じゃなくて私には名前があるの」
俺のこと、あんたって呼んだやつがそれを言うか?と反射的にツッコむのを我慢する。
「はいはいわかったよ、エリさん」
「適応能力の高さ的に女たらしね」
「暴言に聞こえるのは俺だけなのか」
「心が汚れている証拠だね、しぬ?」
「もろに言ったじゃねえか」
各コーストップ成績で国内有数の名門学園に合格したとは思えない頭の悪い会話。これではこの国の将来も危ぶまれる。美味そうにフルーツタルトにかぶりつく彼女。まともに主食に手を出さずにスイーツばかり頬張る姿を見て、ほんとにこいつは腕が立つのかと甚だ疑問に思うばかりである。はい、今度はチョコのパフェに手を出しました。
幸せそうな顔でクリームをスプーンですくいあげた彼女を見ながら、ポケットから取り出した携帯端末の液晶画面で時間を確認する。
「じゃあ俺はそろそろ帰るよ。歓迎会に来いって言われてるから」
「歓迎会?え、なにそれ」
何も聞いてなかったのかこいつ。
「…ずっと寝てた人は知らなくていい」
「蹴るよ?」
「蹴るなよ、お祭りみたいな歓迎会開くって話。屋台とか催しも開かれるらしいぞ」
クロノス第一学園新入生歓迎会。入学式後の夜から行われる、一般客も参加可能の大きなイベントである。屋台やら催しが多く開かれ、その様相はお祭りといったところらしい。
「へえ、面白いの?」
「わかんないけど、皆で騒ぐのとか好きなら面白いと思う」
「ほうん」
彼女は頬を膨らませながら、何やら意味ありげな目を向けてくる。てか食べながら喋るな。
「私も、同行させてもらってもいい?」
相手を伺う不安そうな目で返答を待つ彼女の様子は、少し大人びて見える。さては友達作りに必死だな。こいつ。
「わかったよ。友達、できるといいな」
「うっさい」
すねに特大の蹴りを食らって悶絶した。
「人多い…」
エリがそう言うのも納得できる。焼き鳥、たこ焼き、わたあめといったお祭りの代表的な店は人だかりを作っており、行き交う人も経験したことのないくらい多かった。
「遅い、もう一通り食っちまったぞ。まあ、お前が食ったのは…女ということかクフフフ」
木陰であぐらをかいた姿勢で笑う奴が待ち合わせした男だ。制服にグレーのロングコートを着ている。変な笑い方に若干エリは引いていた。
「この人があんたの友達?やばい人なの、ひょっとしてヤバい人なの」と耳打ちされた。
「ちょっとヤバいけど悪い奴じゃない。紹介するよ、クオード・ガルファン」
「えーっと。私、エリ・リオネルです。よ、よろしくお願いします」
人見知りが発動したらしい。普段は強がるくせにコミュ障とかギャップになんのかそれ。
「おお、君が主席か。敬意を込めて首席様と呼ばせてもらっていいかな」
「…エリで大丈夫です」
「では、エリ。よろしくな。にしてもエリートお二人さんが一緒とは豪華だ」
たしかに先ほどから周りの視線を集めている気がする。変な噂が立つのも時間の問題だろう。面倒だな…と思いながらエリを見ると、彼女はもじもじしていた。
「トイレはあっちだぞ」
「ちっがう…その…一つもらって…いい?たこ焼き」
視線の先はクオードが抱えているたこ焼きだった。どんだけ食うねんこいつ。さっきレストランであんなに食ったばっかりだろ…。
「お、いいぞ。たくさん食べる人は強くなる」
初対面の男に餌付けされるエリという絵面を半ば白けた目で見ていた。
クオード・ガルファン。俺を幼少から知る数少ない一人だ。口癖は一日五食。その通りがたいはいいが食事を上回る運動量で、ほとんど全てを筋肉に変換している。
「これから挌闘大会ってのが始まるらしいんだが、お二人さんどうよ」
「面白そうだな」
「私はパス」
エリはたこ焼きの中の熱さに悶えながらも即答した。
「意外だな、こういうの好きじゃないのかよ」
「あいにく私は筋肉バカの男友達は求めてないの。でも、そうね…あんたの無様な戦いは見たいかも」
「とことん馬鹿にしてくるなお前…」
「お前じゃなくてエリ」
「はいエリ」
分散していた客たちが、片手に酒を持って大会ブース近くに集まってきた。まだエントリーが始まったばかりだというのに、良い席を確保しようと人だかりができていた。近くにいた酔っ払いがエリを見る。
「なんだ、代表の女は高みの見物かよー」
「やめてやれって。どうせ金でも献上して点数貰ったんだから」
そんな声がちらほらと聞こえてくる。彼女の表情を覗くと怒りの感情よりも呆れているような素振りが見て取れた。ただ、どことなく悲しそうにも見える。
「こんなことなら適当にやっておけば良かった、試験」
彼女は聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟いた。ここは隣に立っている男として輩にガツンと言うべきなのかもしれないが、そもそも演習科における試験内容で女性が高得点を取るのは難しいと言われており、彼らが素直に実力を認めない気持ちもわかる。ここで反抗するのは安易だと感じた。
「ちょっ、どこ行くの」
そんな声が聞こえた気がするが、足は止めない。
時刻は二十時。外はすっかり闇に包まれる頃だが、大量の照明で囲まれた円形の格闘大会会場は夜を覆した。周りには生徒や見物の一般客が飲み物やら串刺しの肉などで両手を忙しくして騒いでいる。司会と思われる生徒がテンションを無理やり上げたように叫ぶ。
「只今からぁ!恒例の挌闘大会を開始します!」
「うおおおおおおー!」
観客の雰囲気が一気に盛り上がる。
「今大会にエントリーしてくれた新入生勇者は十五名っ!さらに前回大会チャンピオンを含めた十六名でのトーナメントとなりまぁす!それではルール説明と注意事項の説明を、審判の方に説明してもらいます!」
チャラそうな司会の半歩後ろから出てきた女子生徒が慣れた様子で話し始める。
「まず、スキルの使用は一切禁止。原則素手での戦いです。決着は上着に着けたダメージ判定機器をもとに算出されるダメージ量が一定に達した時点で決まります。前回チャンピオンのゲイザー・カインはハンデとして、自身に二割から八割までのHP削減を試合直前に独断で決めてもらいます。今大会は歓迎会の枠の中での催しですので、ケガには十分注意していただきたいと思います」
「ハンデの具合で公開処刑じゃん。あんた八割宣告されるね、ああ可哀そう」
「エリは人を煽る大会に出たら余裕で優勝するよ」
「褒めてる?」
「うん褒めてる」
足のつま先をガンっと踏まれ、悶絶している中、周りの視線は一点に注がれる。
「それでは、第一試合、はじめ!」
クロノス第一学園、新入生へ洗礼を浴びせる挌闘大会は幕を開けた。
「ごめん、正直あんた雑魚だと思ってた。少しだけ見直した」
一回戦第三試合を終えた俺に向かって微笑まじりにそう言うエリは、屋台で買った焼き鳥を頬に膨らませていた。
「こりゃ決勝まで行ったらお前俺に惚れるな」
「私おまえ呼びする男が一番嫌いなの。わかったら出直してきて」
「わかったよエリ」
「逆に気がありそうだからやめて」
席払いをして、カッコよさげに言ったのが余計にさわったらしい。
「クオードってあんたの友達も、なかなかやるじゃん。二人で仲良く実技試験受ける流れにはならなかったの?」
「まあ色々あってさ」
投げやりに言い放った俺の様子で、彼女なりに何かを悟ったらしい。
「そっか。スキルか。あれは正直運だからね」
先ほどよりトーンを落とした声で、明らかに気を遣っているエリを尻目に俺は自分の運の悪さを呪う。あのとき受けた注射は俺の夢を叶えてはくれなかった。数秒の沈黙が流れる。
「ちょ、この空気どうにかしてよ」
「誰だろうなこの空気にしたのは」
「あんたでしょ」
「俺なのかよ」
他愛もないやりとりの間に、どうやら行われていた一回戦第六試合が終ったらしい。大きな歓声とともに、勝者の名前が叫ばれた。
「間もなく一回戦第七試合を始めます。第八試合に出場されるエリ・リオネルさんは大会本部へ来てください」
「は?」
呆けて間抜けな顔をしている彼女を見て笑いがこらえきれなかった。だがその間抜けな表情もだんだんと理性を取り戻していき、宙に注がれていた視線は俺を捉え、ギロッっと睨まれる。
「あんた、ころすよ?」
「その闘志があれば優勝だな。頑張ってこい」
「このまま棄権する選択肢もあるけど。私に何をさせたいの」
明らかに嫌がっている様子だった。このままだと棄権しかねないと思った。
「…気に入らねえんだよ。連れがコネで首席とったとか、高みの見物とか言われてすげえむかついた」
「別に私は気にしてないし…」
気にしていないわけがない。あの不安そうで、悲しい瞳は本物だ。
「じゃあ俺の為に出てくれ。科学科はこの先闘うことはないと思う。そしてその最後かもしれない場に、同学年最強のやつがいたら後悔はないな、っていうことだったら」
考えればこれが俺の本心なのだ。いずれにせよ、彼女が行動する理由になれさえすればいい。
想いは届いた。背筋をだるそうに伸ばして「しゃーないなー」と前置いた。
「決勝で待ってなさい。負けたら許さないから」
微笑を浮かべながら、人込みへと紛れていく彼女の後姿は離れない。
相手が前回チャンピオンとか聞いてないんですけど、と言わんばかりにこちらを見てくる彼女の視線を逃げるように反らす。
「性格悪いなレン」と腕を組んだクオードが言った。
「相手のことあいつに言うの忘れてた……」
歓迎会のほとんどの種類の食い物を腹に入れてきたクオードを横に、土質の戦闘エリアに立つ華奢なエリと、大柄な男に視線を送る。
「あれが前回大会王者のゲイザー・カインか。怪我しなければいいんだが…」
「歩くドーピングだろあれ。脳まで筋肉に支配されてそうだな」
マッチョを具現化したような男だった。客観的に見れば、これからエリが男にリンチされる絵が簡単に想像できる。それは誰が見ても同じだった。これから行われるのは心理ゲームでも、じゃんけんでもない、単なる殴り合いだ。ゲイザーが最大のハンデを背負っても割に合わないと思った。何せ一撃の重さが違いすぎる。
参加者は全員黒色の特殊スーツを着用しており、中に判定機器のようなものが埋め込まれている。受けた攻撃はダメージとして換算され、ある一定まで相手に攻撃を与えることで勝利する。解説席横に置かれた大型のモニターに双方のhpが表示されている。そのまま数値化するのではなく、攻撃が大きいほど後の攻撃に対する判定の倍率が大きくなっていくような傾向があったように思われることからも、力の弱い方が不利になることは間違いない。
「それでは一回戦最終試合、エリ・リオネルとゲイザー・カインの試合をはじめます。ゲイザー氏はハンデをご提示下さい」
前回大会を優勝した彼に課せられる、二割から八割までの裁量型hp削減ハンデ。小柄なエリを見て、彼は何を思うのだろうか。雑魚だと思い込んで八割削減を選択してくれれば勝ち目は見えてくる。
着用している黒いスーツが筋肉で圧迫されるほどガタイの良いゲイザーは、エリを一瞥して即答した。
「二割だ」
野太い声から発せられる内容との齟齬が、一瞬観衆を麻痺させた。
「まじか」と驚くクオード。
「うそだろ」と俺も声が出る。
思わず声を発したのは我々だけでなく、困惑するような声が周りからも溢れた。しかし、彼を責めるようなブーイングは起こらない。それだけ彼が認められているということだろう。ゲイザーはチャンピオンとして自分の勝てる範囲でハンデを設けるに違いない。ただ今回は最小限のハンデを提示した。つまり、エリをかなりの強敵だと認識したということだ。
観客も先ほどの比ではなかった。ゲイザーと新入生主席の戦いを聞きつけた人々がぞろぞろと集まり、囲んでいた円を一層大きくさせた。試合ムードの高まりが頂点に達した辺りで、司会の男が出てきた。
「それではぁ!前回大会王者と今期首席入学者との熱い一戦を始めます!」
試合開始のシンバルの合図とともに、歓声は怒号が飛び交うように大きくなる。
仕掛けたのはエリだった。一般的な構えから左右にジャブを打ち、高速でストレートを続ける。相手にカウンターの隙も与えず、一方的に殴っていく様を見て、観客から「おお」という声が飛ぶ。何発かはヒットするが、ゲイザーも受け身をとって消耗を防ぐ。エリの攻撃が緩まってきたタイミングを見計らって、ゲイザーはバックステップで少し距離を稼ぎ、お互いに仕掛け時を見計らう。
今度はゲイザーの番だった。その巨体から繰り出されるとは思えない速度の右ストレートが風を切り裂く。それを引き付けながら躱すエリ。さらにカウンターでふっと体を浮かせて回し蹴りを見舞う。右頬を狙われた蹴りを右手のみで耐えるゲイザーは衝撃で二メートルほど後ずさりし、辺りを砂埃が包んだ。一旦振り出しに戻る。観客からは「おお」と歓声が上がった。
「まずは謝ろう。輩どもが、君の首席合格を疑っていたこと。これで証明された。君の潔白が」
「どうでもいいですね、人の実力を推察できない人たちに誤解されたままでも私は構いません。あなたが彼らと違う事だけはわかりました」
毅然と言い放つ彼女の言葉に、観客が静まり返った。ゲイザーは笑った。
「粋のいいのが入ってきた。正直君とはハンデ無しでさせてもらいたいくらいだ」
「買いかぶっていただけて光栄です。お望みなら今からでもhp同じに調整しますか」
「いいや、これがルールなんでね。ハンデを背負って勝つのが、チャンピオンってやつだ。さあ、始めよう闘いを」
眼前のエリを敵だと認識したゲイザーの気迫から、こちらまで緊張が伝わってくる。エリもゲイザーに対して半身の構えをとるが、やけにはまっている様子だ。
静寂を破ったのはゲイザーだった。強い踏み込みで距離を詰め、ほとんどモーション無しで放たれた右ストレートが顔面を捉える。だがエリは涼しい顔で攻撃をギリギリまで引きつけながら体を右側に反らし回避し、ゲイザーの巨体を左手でプレス。よろめいて体重が後方に乗ったのを逃さずに回し蹴りを見舞う。胴当たりにクリーンヒットし、表示されているhpバーが目視でわかるほど大きく下がる。
だが、回し蹴り後から着地までの僅かな硬直を逃さなかったゲイザーは大きさに見合わぬスピードで足払いし、エリの細い足元をなぎはらった。防御体制を全くとれなかったエリは衝撃で数メートル吹っ飛び、どうにか体制を立て直して着地する。hpが三割ほど減った攻撃を受けたエリの眼には、余裕は無いように思えた。砂埃が舞う中、間髪入れずに殴って来るゲイザーの攻撃をどうにかあしらいながら、カウンターで軽い攻撃を加えるのが精一杯のようだ。有利だったhp表示はいつの間にかゲイザーと互角に見える。しかし、動きのキレは明らかに違った。
「エリのやつ、消耗が少なくないか」
俺の言葉にクオードは食いつく。
「ああ、最小限の動きで攻撃を捌いてる。動きに無駄が無い」
防戦一方の少女だが、劣勢では決してない。攻め続けることは、ある意味でリスクを伴うのだ。攻撃側には、相手を撃破することが最終目標としてあるが、攻撃が当たらない、もしくは効いていない時間が進むほど、迷いや焦りが生じる。きっとエリの勝利条件は最初から決まっていた。ゲイザーを、動きに衰えが感じられるまで疲労させること。
明らかに攻撃の速度が遅れてきたゲイザーの様子を察知したエリはカウンターの威力を上げ、ノックバクが大きくなるその一瞬を狙っている。
——ここか。
ゲイザーの渾身の一撃をしゃがんで躱したエリは、勢いを相手の身体の方向に持っていき、間合いに入る。そして、胸元目掛けて強烈なパンチ。
着用しているスーツが破れ、宙に舞う。ゲイザーは大きな音を立てて倒れる。
勝hp表示バーは、エリだけの欄がほんの少しだけ明かりを灯していた。
周囲の大歓声を浴びながら、こちらに寄ってきた少女の表情は明らかに不機嫌だった。
「んじゃ、レン。ちゃんと謝っとくんだぞ」
何か危険を感じたらしいクオードは、すぐに反対方向に駆け出していく。おい、ちょっと待て…。
俺の二メートル先で止まった美少女は、腕を組み、怖い顔をして立っている。こういうとき、どうするべきか俺は心得ているはずだ。そう、相手が欲している言葉をかけて誤魔化す作戦。
「お疲れ様。いやーすごかったわ。エリめっちゃ強いんだな、すげーわ、いやまじすげーわ」
「誤魔化さないで。なんで初戦からラスボスと戦わされるの」
「申し込みぎりぎりで、初戦ゲイザーになるけどいいかって言われたから快くお願いしますって言っといた」
「……はあ」
怒るのも馬鹿馬鹿しくなったのか、エリはただため息を漏らすだけだ。
「ボスは倒したんだから、ちゃんと上がってきなさいよ」
「お、おう」
その後俺たちは特に危なげなく順当に勝ち進み、決勝に進出した。
準決勝のエリとクオードの戦いは、なかなかに見物だったが、結果的にはエリの圧勝だった。「接近するとめっちゃいい匂いがしてくるのはずるい」とか変態めいたことを言いながら本気で悔しがっていたクオードに、エリが哀れな視線を向けているのが面白かった。
そうして、一年生対一年生の異例の決勝が始まる。
明らかに観客の声援の大きさに差を感じた。エリちゃーんだの、お嬢~だの、そんな男(俺のことだろう)ぼこぼこにしろ!だの言葉が飛び交う中で、俺は完全に悪者扱いだ。
そんな状況をまんざらでもなく楽しんでいるエリは、ニヤッと笑顔を浮かべている。
「せっかくだし、何か賭けない?」
「そうだな、じゃあ俺が勝ったら、毎日背中流してもらおうか」
「きっも。そのレベルの賭けするなら、あんたはミロリエとクロノスの国境を一日三往復することになるよ」
「殺す気か。賭けのレベルが平等じゃねえよ」
「私とあんたの間に平等なんてものが存在すると思っているの」
「……ないな」
この理不尽もなんだか慣れてきたような気がする。
盛大な歓声とともに、既に聞きなれた試合開始の打楽器の鈍い音が場内に響いた。
エリに比べると筋肉量は勝るが、俺もゲイザーのような一撃が重いタイプではない。反応速度で相手の出方を伺ってカウンターを狙う戦い方をする、言ってしまえばエリと似た戦型である。
攻めたほうが不利になるという気がするが、意外にも突っ込んできた。
傍から見るよりも、自分が攻撃対象となった視点で見る彼女の攻撃速度は異常に早い。
シュっと風を切り裂く右手のパンチに反射がどうにか追いつき、頬をかすめる程度で躱す。無駄のないモーションで突き付けてくる左肘に対して躱す余裕はなく、右手の甲で受け止める。骨を砕かれるような鋭い痛みを感じながら足を振り上げてエリの注意を誘導し、右手で押さえていた肘を前方向へ強く押す。同時にがらあきとなった背中をぶん殴る。HP二割ほど削った。しかしバランスを崩しながらも転倒は免れた彼女を見て、少し違和感を覚える。
一瞬気をとられていたうちに態勢を整え終えた彼女の反撃に反応が間に合わず、右ストレートが腕に直撃する。言葉にならない痛みと共に観衆のところまで投げ飛ばされた俺のHPは振り切れていた。
「第八回挌闘大会、優勝者はぁ!演習科代表、期待の新入生、エリ・リオネル!」
「うおおおおおお」
歓声を一身に受けつつも何一つ気にしない様子で毅然と立つ彼女は美しかった。俺も未だ痛みが残る両手を精一杯叩いた。催しにしては豪華な優勝トロフィーを受け取って掲げたエリに、しばらくカメラのフラッシュは続いた。時間が経ち、観客がそれぞれ散っていくなかで、その場に立ち続けた俺に気づいた彼女はこちらに向かい正面に立った。
「わざとでしょ、あの被弾。しかもあの攻撃でhpを削りきれたとは思えない。何をしたの」
「べつに何も」
彼女は呆れたような表情をする。
「私をなめないで。それくらいは分かる」
明らかに機嫌を損ねた彼女を見て、これ以上はぐらかしては余計に面倒くさいことになるだろうと確信した。
「……ウィークポイント。それを合わせた」
「弱点?そういうのが設定されてるってわけ?」
「ああ。特に腹部のあたりはダメージ判定の倍率が高いんだ」
聞き手は「ふうん」と言いつつ、納得していない様子だ。
「なら、なんで負けたの」
「怪我してる女を吹っ飛ばすのは趣味じゃない」
「……気づいてたんだ」
転倒するのを踏ん張る際の、右足をかばうような一瞬の動作をみて確信に変わった。おそらく、ゲイザー戦で既に痛めていたのだろう。それでもなお、準決勝でクオードを負かせた実力は侮れない。
「今度は、万全な状態できっちり勝敗つけよ」
「ああ。といっても、学科違うからな。また来年か」
「何言ってんの、背中毎日流すんでしょ?」
「お前はMなのか。なんで自ら罰ゲームをうけようと」
「ちっがうし。これは借り。負傷に気づいて、傷つけずにその場を収めてくれたお礼。だから、背中流すのは無理だけど、何かさせてよ」
なんなんだ一体。冷たい悪魔みたいな人だと思っていたやつが急に態度を変えたようで、裏があるのではと脳をフル回転させて探る。
「なに、そんなに何させるか迷ってんの」
心なしか機嫌もかなり良い。だが返答次第では彼女の機嫌も損ねかけないので、慎重に返答を探す。
急な提案に対して、必死に考え抜いた末にひとつの案がよぎった。
「じゃあ……」