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自殺は正義である証明

作者: 羽柴

自殺と聞くと良いイメージがないかもしれない

病みアピール?

勝手に死ね?

アピールでもないし、言われなくとも死ぬ人は死ぬのだという合理的根拠を解説

死とはすなわち動力活動の停止、脳神経機能の完全停止である。と身体、脳神経双方言えば説明は簡単だが厳密に言うとなると遠回しだしややこしい。身体の一部一部を死だと定義すると死への概念はより複雑医学化してしまう。私は死とは時間の停止だと考えている。時間の停止=死であればあらゆる要素を含有した概念になるからだ。

生とは呼吸をしていること。とすると無呼吸時間は仮死状態はどうなるかなどあらゆる諸問題が発生してしまうため、生も時間の継続だと考えている。

死は時間の停止、生は時間の継続でのみ観測される。死という言葉にそれ以上も以下の価値もない。生きている、死んでいるというのは個人の時間的概念状態の指標にしかならない。

ゆえに私は自殺を悪だと考えない。自殺とは時間の停止をしているだけであり、遅かれ早かれ必ずやってくる死を先に遂げているだけだ。

よくある反自殺の偽善文句トップ5を並べる


自殺は逃げだ

自殺も殺人だ

甘えるな

命を粗末にするな

生きていたら必ず良いことがある


まず、自殺を逃げだと定義するならば人生そのものが監獄であると解釈せざる得ない。生を監獄だと考えているならば自身の苦しみを他者にも味合わせるだけという解釈すらできる。監獄が人生ならば逃げて当然である。なぜなら我々は生まれながらにして無罪だからだ。


自殺は殺人ではない。そもそも殺人とは何か。自分を人間と認知するならば自殺などしない。自分を見失った瞬間、自分や人生の価値を真剣に考えて自殺するのだ。しかしこれを個人的感想だと言う者もいるだろう。ゆえに殺人の定義を明らかにせねばならない。まず車と人間が「無自覚の内に」接触した場合「事故」であり「殺人」ではない。しかしそれが「意図的な接触」だとしたら「殺人」である。ここから解ることは「無自覚な殺生」は「事故」だと言うこと

つまり、自殺は「他者或いは社会環境による圧力が原因」であるから(他の要因はないので)「無自覚な殺生」に該当する。自殺は事故である。


甘えて自殺する人間はいない、甘えられたら精神的圧力を緩和できるので自殺しない。自殺が人生プラン上合理的だと考えて自殺するのだ。甘えがあるなら、むしろ自殺するまで「自殺者に甘えた社会」にある


命を粗末にすると言う言語が不明瞭である。誰でも動物を間接的に殺生して生きている。それこそ病死は「粗末」ではないのかと言う疑問が上がる。病死こそ本人は「死にたくない」と考えている人が多いであろうから「命を粗末」にしている「医療機関」を弾劾すべきでなかろうか。自殺者はむしろ「命を考え抜いたからこそ自殺する」命を最も重視した人間は自殺するのだ。


良いことがある代わりに悪いことが何倍もある。これは「良いこと」「悪いこと」がどこからかによって判断される。勝手に自分が判断した「良いことの定義」を他者に押し付け無責任なことを言うな。


つまり自殺はアラームである。生きているという夢から覚めるアラームであって、遅かれ早かれ至る時間の停止を選択してるに過ぎない。

自殺して合理的、幸福ならばすべきだ

死は時を停止させるだけ。自殺は時間を止めるだけだ。時間を止めてはならない法律はそもそもない。

正義の死だ。


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