王太子とその婚約者に絡まれてたら幼馴染に助けられました
「どういうおつもりですの、ジブリール様。近頃、殿下と親しくし過ぎではなくて?」
「そうですわよ。殿下の婚約者はこちらのグレース様ですわ。わきまえてくださいませ。」
「いくらカエロドラスコ公爵令嬢と言え、殿下にまとわりつくのは非常識ですわ!」
ジブリール・カエロドラスコ公爵令嬢はグレース・ティーギリス侯爵令嬢と彼女が率いる複数の令嬢に囲まれていた。
日射しや弱い雨なら防げる程度の屋根が柱に支えられた、外とも中ともつかない通路の中央で足止めされている。
新緑の香りを運ぶ穏やかな風が顔を撫でた。
学園での講義を終え、迎えの馬車が来るまで自習をしようと図書館へ向かっているところだった。
図書館は校舎と馬車乗り場とのほぼ中間に位置しているので馬車を待つのにうってつけの場所だ。
下校時には多くの馬車が学園へ向かい混雑するので、ジブリールの迎えはその時間を避け少し遅れてやってくる。
学園では、身分に関わらず最低限のことは自分でできるようになるという方針の元、従者や侍女はつけてはいけない決まりになっている。必然的にジブリールは放課後の一人の時間が長くなる。
グレースはその時間帯を狙ってやって来た。共にいる令嬢方は、あくまで学友の括りであって侍女ではないので校則違反には当たらない。
対してジブリールは1人だった。
下校する生徒は玄関ホールを通って馬車乗り場へと向かうためか、こちらの通路には生徒の姿はない。教授陣も姿はなかった。
高位貴族の子息子女も多く通うため、生徒の身の安全を確保する目的の騎士が学園のいたるところに配置されている。
だがグレースたちに囲まれた場所は、数人の護衛騎士の目に入れど声は届かない位置だと思われた。
囲まれているからトラブルなのは分かるかもしれないが、学園に配属される騎士は下級貴族や平民出身の者が多いため、生徒とはいえ貴族同士のいざこざに自ら進んで首を突っ込む者はいないだろう。
学園が推奨する『自分のことは自分で』というのはこういったトラブルへの対応も含まれるので、そもそも護衛騎士が動かないかもしれない。
自分で対処するしかなさそうだとジブリールは彼女たちに目を向ける。
このところ些細な嫌がらせ―――羽根ペンが精巧なお菓子の羽根ペンに変えられてメモが取れなかったり、乗馬の授業で使うブーツがサイズの合わない新品の物に変えられて靴擦れする羽目になったり―――が続いていた。
嫌がらせの犯人は恐らくこの令嬢方だろう。
それを指示したのはティーギリス侯爵令嬢ということか。
「その歳でまだ婚約者が決まってないどころか、候補者の名前も挙がっていないと伺いました。そのような方と仲睦まじいなどと噂が広がっては殿下の醜聞になりかねませんわ。」
彼女らの言う殿下とは、この国の王太子であるシンダリアン・ドラゴデウスを指している。
この頃シンダリアンが隣の席に座ったり、彼の誘いで昼食を伴したりと話をする機会が増えていた。
やたら親しげに話しかけてくるシンダリアンに失礼がないよう躱すのに苦慮している。
その苦労も知らずに好んで仲良くしていると思われるのは甚だ心外だ。ましてグレースを出し抜いて婚約者の座に収まろうとしているなどと勘違いされるのは以ての外。
気づかれないよう小さく溜息をこぼしながらも少し口角を上げる。ここは毅然と主張しておかねばならない。
「私はカエロドラスコ家の次期当主という身です。この学園で過ごす間もそれを忘れたことは一度たりともございません。殿下とのお話も公爵家の人間としての視点で意見交換をしていただけなのです。皆様が勘ぐるようなことはございません。」
ジブリールにとってはそれだけだが、シンダリアンが不意に見せる柔らかい笑みや細やかな気遣いはジブリールに想いを寄せていると推察するに足る。極めつけは何かと理由をつけて贈り物をしようとしていることだが、それを口にすることもない。
「それよりもグレース様。身分が上の私が声をかけてもいないのに挨拶なしで話しかけてくるのは些かお行儀が悪うございますわよ。他の皆様もですわ。」
「あらぁ! 私とあなたの仲じゃありませんか。見逃してくださいませ。」
それを聞いた後ろの令嬢方がクスクスと笑うのをキッと睨みつけて黙らせる。
「簡単なマナーすらなっていないのだから殿下のお心が離れていくのではありませんか? こんなところで油売ってないでご自身を磨かれる努力をなされてはいかが?」
ジブリールは淑女の振る舞いは美しい。グレースも他の令嬢よりは美しいが、ジブリールには及ばないというのは自他ともに認めるところである。
「…行きますわよ。」
痛いところを突かれたグレースが苦々しげに令嬢方を率いて立ち去ろうとしたその時、声がかけられた。
「騒ぎが起こっていると聞いて来てみれば…グレースとそのご友人はジブリール嬢とどんな話をしているのだ? ぜひ私も仲間に入れていただきたい。」
誰から聞いたのか、間の悪いことにシンダリアンが怒りを滲ませて側近候補たちとともに現れた。こちらも側近候補はあくまで学友の括りだ。
「随分と貴女想いのご学友がいるのだな、グレース。」
シンダリアンが手を上げると騎士科と思われる側近候補がご令嬢方に囲まれたジブリールをシンダリアンの側に連れていく。グレース対シンダリアンという構図ができあがってしまった。
「…お褒めに預かり光栄ですわ、殿下。近頃ジブリール様と殿下との距離が近いようでしたので、殿下の婚約者である私から苦言を呈していたのですわ。」
淑女の礼をとりながら質問に答えるグレースの声は硬い。だが不思議と動揺は見られなかった。皮肉に皮肉を返す余裕もあるようだ。令嬢方も落ち着いた様子でグレースに倣っている。
「そうか、だが必要ない。ジブリール嬢に非はないからな。彼女と意見交換するうちに、どうしようもなく惹かれてしまったのは私の方だ。ジブリール嬢から色良い返事はもらえていないがな。ジブリール嬢が私に構うのではなく、私が何かと理由をつけて側にいるのだからその苦言とやらは私に言うがいい。」
ジブリールは内心焦っていた。「色良い返事はもらえていない」などと表現してはシンダリアンがジブリールに求婚したみたいではないか。
「…殿下がジブリール様に惹かれていらっしゃると、こうも軽々しく口にされるとは…」
グレースもジブリールと同じように捉えたのか、少し青ざめた顔でシンダリアンを窘める。
令嬢方はシンダリアンの心がすでにジブリールに向いていることを聞かされ、青ざめたり口に手を当てたりと動揺を隠せていない。
求婚に心当たりがないジブリールは必死に記憶を辿っていたが、それを表情に出さないように務めることに注力して口を挟む余裕はなかった。
「ジブリール嬢の婚約者はまだ決まっていなかったと記憶している。私たちが交流ことも何も問題はないだろう。」
「お忘れですか? 婚約者同士でない未婚の男女が交流を深めるのはマナー違反ですわ。殿下の醜聞につながります。」
「ならばグレースとの婚約を白紙にし、新たにジブリール嬢との婚約を結ぶ。それで問題ないだろう。」
その宣言に一斉にジブリールに視線が集まる。グレースとその取り巻きは大層驚き、ジブリールの反応を伺っているようだ。
側近候補たちは近頃の振る舞いから察していたのか動揺はなかった。本来、こういう場面ではシンダリアンを諌めるべきなのだがそれもない。
婚約破棄は双方の経歴に傷を付けることになる。
シンダリアンは穏やかな婚約解消を望むが、それができないなら輝かしい経歴に傷を付けてでもジブリールと婚約したいということだ。
シンダリアンの本気度合いが伺える。だからこそダメだ。
国王が女性に入れ込めば国が傾くと歴史が語っている。
ジブリールは国を傾けた悪女として歴史に名を刻むことは避けたい。というか王妃になぞなりたくない。
あまりのことにどう反応していいか分からず、現実逃避しているとシンダリアンが言葉を続けた。
「グレースよりもジブリール嬢の方が博識で民のことを考えているように思える。そのような方が王妃になるのが国のためではないか。」
顔色が良くないご令嬢方と比べても一段と青い顔をしているグレースは今や悔しそうに唇を噛んでいた。
「お待ちください! 確かにジブリール様は優れていらっしゃいますが、私も負けず劣らず優秀なのです。すでに王妃教育も始まっております。すぐに王妃に必要な教養を身につけてみせます。
ですから婚約の解消はお考え直ください。政治的繋がりや王家との距離など様々な事情が加味された上での婚約を簡単に白紙に戻せないのはお分かりでしょう?」
グレースは言い募るが、シンダリアンは静かに耳を傾け微笑みを浮かべているばかりだ。
その笑顔を崩さぬまま幼子を諭すように口を開く。
「何も婚姻だけが家の利益ではないはずだ。私が王位に就いた暁には数多の事柄でティーギリス侯爵家を優遇し、損害を被ることがないよう配慮しよう。私は私の想いを蔑ろにしたくはない。彼女は家格も資質も優れているのだから王妃となるのも問題ないだろう。」
自身の気持ちに従うのにジブリールの気持ちは全く考慮されていない。ジブリールは密かに呆れていた。
誰もが言葉を発するのを躊躇うほど張り詰めた空気の中、間の抜けた声が響いた。
「あぁ、ここにいたんだね。迎えに来たよ、ジブリール!」
見ればウィリアム・ルーブラムパッセ公爵令息が大きく手を振ってこちらに向かってくるところだった。
胸には入校許可証が付けられているので正式に手続きをして来ているようだ。
「なっ!? なぜウィル兄様が迎えにいらっしゃるんですの!?」
筆頭公爵家次期当主であるウィリアムの突然の登場に言葉を失う一同。張り詰めていた空気がガラッと変わり、グレースはホッとしたようだ。
「殿下、こちらの礼儀知らずは私の幼馴染で頓珍漢なウィリアム・ルーブラムパッセ公爵令息様です。ここは学園ですので多少の失礼はお目こぼしいただけますでしょうか。」
「もちろん、彼のことは知っている。無礼も問わない。」
ウィリアムは近くへ来るとシンダリアンに正式な挨拶をした。グレースとも目礼を交わす。
シンダリアンは挨拶を受け、ウィリアムに尋ねる。
「なぜルーブラムパッセの次期当主殿がジブリール嬢を迎えに?」
仕事はどうしたとでも言いたいだろうに、それを堪えたようなシンダリアンにちょっとだけ評価を上方修正する。
「ジブリールを訪ねたら今から学園に迎えに行くというので馬車に乗せてもらってきたのです。今だけはカエロドラスコ家の執事の一員です。」
「そうか…普段からよく会っているということか…? それだけでわざわざ学園まで…?」
その困惑は最もだろう。公爵家の次期当主は多忙なはずだ。それが仲がよいというだけで迎えに来る事例は聞いたことがない。ジブリールは困ったように額を抑えている。
「それにしても制服姿のジブリールもかわいいなぁ!」
「なっ!? 何を仰っているんですの!? 殿下の御前ですのよ! 今仰って良いこととそうでないことの区別をつけてくださいませ!」
「あらあら、まぁまぁ…」
ボンッと音が聞こえそうなほど照れて顔が赤くなったジブリールにグレースは愉快そうに目を輝かせる。
その場にいる令嬢方は皆同じ制服を纏っているというのにウィリアムが褒めるのはジブリールだけ。それが何を意味するのかは考えなくても分かるというものだ。
一方、シンダリアンは複雑そうな表情を浮かべてウィリアムとジブリールを見比べていた。
「ジブリール嬢は貴方の前ではいつもこのような…?」
「そうですね、幼い頃からよく一緒に遊んでいましたから気心が知れているせいですかね。今でも時々一緒に出かけることもあります。学園まで迎えに来たのは初めてですがね。」
ウィンクしながら茶目っ気たっぷりに答えるウィリアムに大きく溜息をつくジブリール。先程の張り詰めた空気が嘘のようだ。
顔色がよくなったグレースが、いいことを思いついたというよう指を立てた。
「そんなに仲がよろしいのなら、おふたりが結婚するのがよろしいのではなくて?」
「婚約もしていないのに結婚するわけにはいかないでしょう?」
「それなら婚約なさいませ! おふたりとも婚約者がいない方がおかしい年齢と身分なのですから、手続きは早く済ませるべきですわ!」
「確かにまだ婚約者がいないことは八方からせっつかれて煩わしいと思っていたところだよ。」
「グレース様、何を仰っているのですか!? ウィル兄様もです!」
普段の完璧な淑女の振る舞いをしているジブリールはどこへやら、ウィリアムを窘めるジブリールからシンダリアンは目を離せないでいた。
「やはり私はジブリール嬢と結ばれたい。」
折角話が逸れたところにこんな呟きがこぼされてしまったのだからウィリアム以外の、どこか安堵していた皆の表情が凍りついた。
ウィリアムは心底不思議そうに口を開く。
「殿下も冗談を仰るのですね。」
シンダリアンは一瞬ばつが悪そうな顔をしたがすぐに微笑みを貼り付ける。
それに気づいているのかいないのか、ウィリアムはさらに続けた。
「婚約者殿の前でその冗談はいただけませんねぇ。そのつもりがなくとも婚約者殿との信頼関係にヒビが入りかねません。現にティーギリス侯爵令嬢は真っ青ではありませんか。」
「…冗談ではない。」
シンダリアンは意を決したように口を開いた。
「私はここに宣言する。シンダリアン・ドラコデウスはグレース・ティーギリス侯爵令嬢との婚約を破棄し、ジブリール・カエロドラスコ公爵令嬢と婚約する。」
その宣言に全員が息を飲む。ただ一人を除いて。
「ジブリールのどこに惹かれたか伺っても?」
他に言うことがあるだろう!と全員の気持ちが一致したのではないだろうか。周囲の人間を置いてシンダリアンはウィリアムの質問に恍惚とした表情で答える。
「初めは目だった。黒く見える瞳は太陽の下では紫に輝くのに気がついて…どうしようもなく焦がれたのだ。その紫黒の瞳に私だけを写してほしいと…。」
「確かに陽の光で紫に輝く様は美しいですね。以前誕生日に瞳の色に似ているブラックベルベットを贈ったら叱られたのはいい思い出です。」
ブラックベルベットの花言葉は『危険な愛』だ。ウィリアムから贈られたそれを目にした使用人が、2人は密かに蜜月関係にあると勘違いし大騒ぎになったことがある。
「黒い花は忌避される傾向にあるから仕方のないことだな。瞳に合わせたプレゼントは宝石がよさそうだな。髪は白藤色なのだから素敵な色合いの花束が作れそうだ。まぁ艶があって手入れの行き届いた髪が風になびく美しさの前では花も霞むが。」
「今日のように手の込んだ髪型も似合いますが髪を下ろしていてもジブリールの美しさを引き立てるのです。髪を下ろすと緩くウェーブしたそのくせっ毛で可愛らしさが増すのですよ。」
「まぁそれはぜひ見てみたいですわね。学園ではいつも髪をまとめていらっしゃいますもの。」
ウィリアムの言葉に反応したのはグレースだ。シンダリアンも同意するように頷く。
「可愛らしいという印象はあまりないな。少し吊り目のせいか意思が強そうな印象だ。その思考に柔軟性も持ち合わせていると知ったときはなんて素晴らしい女性なんだと魅力を再確認してしまった。」
「柔軟性ですか…むしろ頑固で困りますよ。カエロドラスコ公爵が正式に決定する前から当主を継ぐと意気込んで、幼い頃から淑女と公爵家当主に必要な勉強を詰め込んでいるのです。無茶をすれば体を壊すというのに譲ろうとしないのです。今でも公爵家の使用人たちは休息を取らせようと必死だそうですよ。」
余計なことを言わないでくださいませ!
喉まで出かかった言葉を何とか飲み込んだが、グレースはこちらを見てくつくつと笑っていた。
「自身の成長のため努力できるのは素晴らしいではないか。」
シンダリアンが好いてる点をあげる度に合いの手を入れるようにコメントを寄越すウィリアムのせいで、ジブリールは恥ずかしさが募っていく。そしてそれはまだ終わらない。
「ジブリール嬢は国の将来について話せば、民の生活をよく知りそれを守るだけでなく発展させることを考えているのが伝わってくる。その視点があればこの国はより豊かになれる。現在大臣を務める者より国が見えているのではないだろうか? 奴らは私欲にまみれているからな。」
「そうでしょうか。ジブリールはあくまでカエロドラスコ公爵領民の生活を豊かなものにするという前提です。それは国を治める殿下をお支えせねばならない王妃が持つべきものとは相容れません。王妃教育を受けているティーギリス侯爵令嬢の方が優れているでしょう。」
すでに王妃教育を受けているグレースと比べると敵わないのは当然である。当人も認めるところであるがシンダリアンは食い下がる。
「グレースにはない行動力があるおかげで民の生活をよく知っているのだろう?」
「確かにそれはあるでしょうが…ジブリールはこっそりと抜け出して街に降りているので使用人たちが困っているのですよ。未来の王妃がそのような分別のない行動をとる方ではなくて安心しました。
ジブリールは幼い頃は引っ込み思案なところがありましたが、いつの頃からか1人で出かけるようになってしまって…。」
2人の会話は、気がつけばウィリアムの思い出話になってしまっていた。話を聞いているシンダリアンは微笑んでいるものの、心なしか気分を害しているように見える。
どうしたものかと思案していると、グレースと目が合った。にこりと微笑むとシンダリアンとウィリアムに声をかける。
「お二方ともいい加減にしてくださいませ。ジブリール様が素晴らしいお方であることはここにいる皆が存じていることですわ。」
その言葉にシンダリアンとウィリアムは…というよりも思い出話をしていたウィリアムが口を閉ざす。
「それにしても随分とジブリール様のことをご存知なのですね。幼少の頃より仲が良いことは十分に伺えましたわ。」
「本当にその通りだ。当人の気持ちが大事といっても、初めから私が適う相手ではなかったのだな。」
シンダリアンがどこか寂しげでいて吹っ切れたような笑顔を浮かべ「ではこれで」という言葉を残して去って行った。この短時間でどういう心境の変化だろうか?
側近候補たちは戸惑いながらもその後を追っていき、残った者は礼を取って見送った。
「さすがルーブラムパッセ公爵令息様ですわ。殿下の暴走を止められない側近候補たちには見習っていただきたいものです。これで殿下がジブリール様に構うことも減るでしょう。
それにしても…本当にいつもジブリール様を訪ねていらっしゃるのですね?」
ウィリアムとジブリールとの仲の良さが気になって聞いているようだが、それにしては確信を持った言い方だ。
その言い方に少しの引っかかりを覚えながらもジブリールが答える。
「えぇ、ウィリアム様は毎日のように我が家の庭へやってきては私のお茶の時間の邪魔をして楽しんでおりますの。困ったものですわ。」
「それでは正式な婚約者ではないだけで実態は婚約者と同じではありませんか! しかも政略的な婚約の方々よりも親密な関係を築いていらっしゃって…羨ましい限りですわよ。」
確かにそうかもしれない。シンダリアンとグレースの仲は良いとは言えなさそうなのを目の当たりにしてしまった今なら素直にそう思う。
と考え込んでしまったジブリールの代わりにウィリアムが答える。
「ただの幼馴染ですよ。主に私がジブリールを妹のように可愛がっているだけなのです。」
「そういうことにしておいて差し上げますわ。
ルーブラムパッセ公爵令息様、よくお越しくださいました。本日ここにお会いできましたこと心より感謝申し上げます。おふたりがご婚約される際には私も喜んで協力いたしますわ。では失礼いたします。」
グレースはお手本のような淑女の礼をすると満足気な笑みを浮かべて馬車乗り場へと向かっていった。
グレースと共に来た令嬢方も三々五々に散っていく。
半ば呆けて皆の後ろ姿を見送るジブリールはグレースの言葉で、グレースとウィリアムに助けられたことに気が付いた。グレースは単にジブリールを排除しようと動いていただけではなかったようだ。
よくよく考えるとシンダリアンが訪れたこともウィリアムが迎えに来たことも都合がよすぎるし、グレースはやけに冷静だった。
「まさか…ウィル兄様はご存知でしたの?」
「何がだい? …まぁ、今日ジブリールのために迎えに来てほしいと匿名の手紙を受けとったから来たんだよ。」
男性の短髪にしては長い煉瓦色の髪の毛を風が撫でていく。思い返せばグレースのカナリア色の髪は後頭部できっちりまとめられていて風で崩れることはなかった。
ジブリールの白藤色の長い髪は編み込みに編み込みを重ねて、多少の風では簡単に崩れないハーフアップになっている。今朝、侍女が気合いを入れて編み込んでいて美しい仕上がりだ。
「少なくとも、どこで事が起こるか知っていなければ私に髪型のアドバイスなどしないはずですわね?」
前日もジブリールの元を訪ねていたウィリアムは、去り際に「明日は風が強くなるみたいだから」という言葉と共に今の髪型を勧めていたのだ。
「アドバイスを素直に聞いてくれて嬉しいよ。それにとても綺麗だ。さすがはジブリールの侍女たちだね。完璧な仕上がりだ。」
「もう! 誤魔化さないでくださいませ!」
降参を示すように肩を竦めるとウィリアムは答える。
「匿名の手紙には細工がしてあってね。どこで何をするか、その行動により起こる事態の予想が記されていたんだ。」
細工とは恐らく魔法のことだろう。
この国の伯爵位以上の貴族の大半は魔法が使えるのだ。ただその事は下級貴族以下の国民には秘匿されているので明言は避けなければならない。
「念のために僕から父とカエロドラスコ公爵に報告しておく。そうすればティーギリス侯爵の耳にも届くだろうし、ジブリールの婚約に影響が出ないように処理されるはずだよ。」
確かに公爵2人と侯爵が協力すればどう転んでも殿下の思惑通りにはならないだろう。それがなくとも無理な婚約が持ちかけられることはなさそうだが。
「卒業パーティや社交シーズンの舞踏会のような場で先程の宣言をされるなんてことにならなくてよかったよ。」
「…いきなり皆様に宣言されたら引くに引けませんものね…。でもそうなれば廃嫡は免れないのでは?」
「その通りだ。今回のことも危ういだろうね。公の場ではないから廃嫡は免れるだろうけど、第二王子派の貴族の耳に入ればますますアルバート殿下を王太子にという声は大きくなるだろうね。」
めんどくさい事に巻き込まれなければいいなぁとこぼすウィリアムに内心同意するジブリールに手が差し出される。
「さぁ、帰ろう。思っていたよりも遅くなってしまったから今日のお茶会は諦めた方がいいかな。」
差し出された手に手を重ね…握りしめられる。
エスコートとして失格のそれに安心感を覚えた。
「今回は感謝しますわ。でも学園に迎えに来るなんて金輪際おやめください。それからお茶は1杯だけならご馳走しますわ。」
そう言いながら手を握り返すジブリールにウィリアムは微笑みで応えたが、明確な返事をしていないことに彼女が気がつくのは先のことである。
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