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商業化作品

【コミックアンソロ収録】双子聖女の入れ替わり 〜「私と替わってくれない?」とねだられて妹の婚約者の辺境伯と結婚することになりました〜


「あー、姉様。私と替わってくれない?」

「ええっ?」

「ホラ、こないだ姉様ってば、コンヤクハキ? されたでしょ? だから、ちょうどいいかなーって」


 コンヤクハキ。……婚約破棄。


 双子の妹はわたしとお揃いのふわふわのくせっ毛を手で弄りながらこともなげに言った。


 ええ、この間我が国の第二王子殿下から婚約破棄だー! と言われましたとも。なんと、すでに平民の娘を孕ませていたという衝撃の事実も多くの観衆に見守られるなか自らご公表された。結果、彼は王家を追放されるなんてことになってしまった。その後のことはよく知らない。


 わたしは王家直々に謝罪を受けて莫大な慰謝料と『本来聖女は王家の決めた相手と結婚してもらう習わしだが、アリーシャ殿については特例で自由恋愛を認める! だが、もしも良い相手の紹介を求める場合には全力を持って応援をさせていただく!』という破格のご対応をいただいたばかりだ。


「私、結婚したくないのよね。ホラ、私って仕事中毒? みたいなとこあるじゃない」

「いや、あるじゃない、って言われても」


 わたしと妹はこの国の聖女だ。双子のわたしたちは容姿だけでなく、持って産まれてきた力も同等のようだった。十歳を迎えたころから『聖なる双翼』と呼ばれて活躍していた。


「結婚したら聖女としてのお勤めって今みたいにガンガンとはできないでしょ? ホラ、処女失うと力が半減するっていうし……」

「ちょ、ちょっと、はしたないわよ」

「ヘンキョーハク? と結婚して、辺境の守りと後継作りに励めって言われてるけど、私、ぶっちゃけ辺境にも行きたくないっていうか」

「……別に辺境って、必ずしも田舎って意味ではないわよ」

「私はこの王都でバリバリのワーカホリック聖女してたいっていうか?」


 妹は胸の前で手を組み、ルビーピンクの瞳を輝かせた。お得意のおねだりポーズだ。

 自由恋愛。言い換えれば、結婚が強制されない。聖女でありながら未婚が許されたとも解釈ができる。その身分が欲しいのだ、と妹はねだっているのである。


 いかに愛くるしい仕草を見せても、けして頷かないわたしを見て、妹はわざとらしく肩をすくめると、部屋の本棚に向かい、何冊か引き抜きわたしに見せつける。


「ちょ、ちょっと!」


 わたし秘蔵の、巷で大人気の虐げられてきた可哀想な女の子が貴族の令息にみそめられて溺愛される小説だ。聖女として忙しく暮らすわたしの唯一の娯楽。


「姉様、素敵な溺愛嫁に憧れてたでしょ? ホラ、だから、交換。よくない?」

「そっそれはっ、置いといて……いや、あの、それ、わたしにメリット……なくない?」


 物語のご都合主義のように必ず溺愛……大事にしてもらえるとは限らない。というか、現実は厳しいだろう。


「そう?」


 妹が小説の表紙をどんどん並べていくのを制しながら言うと、妹も「うーん」と首を捻った。


「まあ一度会ってみたら? それでもしいい人だったら姉様winしかなくなるんだしさぁ」

「……いや、あなたがひたすらwinじゃない? 都合良すぎじゃない?」

「姉様、こういうのさぁ、ホラ、Win-Winって言うんだって」


 ニヤ、と笑う妹の表情。まずわたしはしないようなちょっと意地悪げなこにくたらしい笑みだった。

 わたしと同じ日に生まれてきたくせに、この妹はわたしの数倍要領がいいし、なんというか、こう、敵わないと思わせるなにかがあるのだった。



 妹のドレスを着て、わたしは王城の庭園に訪れていた。聖女の結婚は王家が選定し、顔合わせも王城の敷地内で行われる。

 顔合わせ、とはいっても実際にはほぼ内定してしまっているのだが。


 柔らかな色のブロンドヘアー、パッチリとしたアーモンド型のルビーピンクの瞳、どこからどう見ても今日のわたしは妹・カミーラだった。……いえ、まあ、顔と髪の毛は双子なんだからいつもと一緒なんだけど。カミーラのドレスさえ着てしまえば、それだけでわたしはカミーラになれてしまう。


 わたしが案内役の王家の侍女を伴って待ち合わせのテラスに足を運んだのとほぼ同時に、妹が宛がわれた婚約者殿も訪れた。


 彼の容姿の見事さに思わずわたしはハッと息を呑む。雲ひとつない晴天、青い空に銀の髪が映えていた。


 辺境伯イグニス・ベルディグリ。濃い銀の短髪が精悍な顔つきによく似合う。しっかりとした眉と高くスッと通った鼻筋。意志の強そうな瞳はライトグリーン。有り体に言ってしまえば、美青年だった。また、辺境の地にて、魔物の侵攻防衛の要の任についているだけのことはあり、衣服を着ていても、広い肩幅と胸の厚みから鍛え上げられた肉体の持ち主であることがわかる。


 目が合って、ニコと微笑んだ様は例えようもなく爽やかだった。


(め……)


 めっ……ちゃくちゃ、好みなんですが!?


「……聖女、カミーラ殿」

「……?」


 妹の名前を呼ばれ、呆けるわたし。

 ややあって、あっ、わたしだ!? と合点して慌てて返事をする。


「は、はい」


 そう、わたしはいま、妹カミーラなのだ。双子聖女の姉アリーシャはここにはいない。


「お初にお目にかかる。私は辺境伯イグニス・ベルディグリだ。ありがたくも、王よりあなたの婚約者として御指名をいただいた」

「は、はい。初めまして。聖女の……カミーラです」


 ちなみに、平民生まれのわたしに家名はない。

 慣れないカーテシーをしたわたしの顔は真っ赤になっていた。


(ど、どうしよう。声、声もいいわ、この人……)


 低く落ち着いた声が心地よく耳朶を揺らしていた。呼ばれた名前が妹のものであるのが残念だと思うほど。


 侍女たちが場を整えてくれて、お茶を飲みながら彼とのご歓談の時間になってしまう。

 彼はとても物腰の柔らかい人だった。緊張してしどろもどろなわたしの話も静かに聞いてくれた。本当ならもう少し妹らしく振る舞うべきだったけど、そんな余裕はなかった。


 まあ、でも、わたしと妹は双子というだけあって、実は物事の考え方や主義趣向は似ていた。妹の方がサバサバしているけど、表出の違いがあるだけで、わたしと妹は大抵同じことを考えているのだった。だから、サバサバカミーラなのにこんな感じなのは慣れない異性を前に意識しまくってちょっとカッカしてるせいだからしょうがない、ということにしておこう。受け答えの内容自体にはそう問題ないはずだ。


(う、ううー! カミーラ! わたし! めちゃくちゃこの人、好みなんだけど、カミーラ!)


 好みだからこそ、困る。カミーラは信じられないほど軽いノリで「私結婚したくないから。チェンジしよ」って言っていたけど、こんなに軽々しく人生の伴侶を入れ替わりでゲットして良いのだろうか。いや、人生の伴侶を、というか最大の問題点はわたしと妹の人生がまるっと入れ替わるところにあるんだけど。


「……この婚約だが」

「は、はい……」


 わたしが脳内でうんうん悩んでいると、彼の真剣な声が急に低く響いてわたしは露骨にびくりと肩を揺らしてしまった。


「あなたが望まないのであれば、断っていただいて構わない。……ああ、いや、聖女は王家の命は断れないのだったな。もし、あなたが望まないのであれば、私のほうからそう伝えよう」

「いえ、結婚します」


 間髪いれず答えた私に、彼はライトグリーンの澄んだ瞳を一瞬見開いた。


 ――姉様、Win-Winだね! やったね!


 そんな妹の声が頭に響いてきて。


(あ、ああ〜〜〜!?)


 わたしは文字通り頭を抱えるのだった。



 ◆


 かくして、わたし……カミーラは辺境伯イグニスさまのもとへ嫁いだ。


 普通の貴族間での婚姻であれば色々あれこれ準備期間は長いそうだが、聖女の結婚は早い。婚姻相手の了承さえ得られたら即、結婚だ。


 わたしは結婚の誓約書にカミーラの名前でサインした。


 まあ、そして、そして、初夜、だ。


 年のいった侍女にそれはもう丹念に肌を磨かれ、「頑張ってください!」と透けてるレースの薄い服を着させられたわたしは夫婦の寝室に放り込まれた。


 世間知らずに育った聖女のわたしだけど、さすがに夫婦の営みくらいはしっている。結婚初夜の夫婦がすることも知っている。


(……カミーラとして、抱かれるのかあ……)


 そう思うと、チクリと何かが胸を刺す。

 彼のことは少なくとも外見については大変好みだ。まだちょっとしかお話しできていないけれど、誠実で優しそうなところも素敵だ、と思う。彼に抱かれるということ自体には嫌悪感はない……と思う。


 けれど、こんなふうに彼を騙したまま夫婦として身体をつなげるということは望ましくないのではないかという思いが私の胸をグルグルと締め付けていた。


 やがて、寝室の戸が開き、イグニスさまがやってきた。


 ベッドに腰掛けるわたしを見て、彼はフ、と穏やかに目を細める。


 しっとりとほのかに濡れた銀の髪が彼の大人の色気をかき立てていて、わたしはますます緊張した。


「あ、あの……」


「――安心してくれ。私はあなたを……そういう意味で愛する気はない」

「はっ、はい……えっ!?」

「……驚くのだな? いや……それもそうか。すまない、あなたも覚悟の上でここに来てくれたのだろう。ありがとう」


 いえ、まあ、騙している罪悪感でグルグルとはしていましたが、まあ、入れ替わりで嫁ぐと決めた時点である程度は覚悟の上で……その、スケスケのドスケベレースナイトドレスを着てきましたが……?


 微笑む彼の瞳は慈愛に満ちていた。さらにはスケスケのわたしの肩に、そっとガウンを掛けてくれる。あったかい。


「……あなたのように美しい聖女を妻に迎えられて私は本当に幸せ者だ。それだけで十分だ。無理はしなくていい。あなたはあなたの望むがままに。あなたが望むもので私に与えられるものはなんでも与えよう」

「は、はあ」

「……私は良き双肩を得られたとそう思っているのだ。どうか、これからもよろしく頼む」


 生真面目に頭を下げ、そして握手を求めて手を差し出す彼の目には一点の曇りもなかった。眩しいな、と思いながら応じると、私よりもふたまわりほどあろうかと思うほど大きな掌で力強くがっしりと私の手を掴んだ。

 騎士である彼の手はタコができていて、硬い感触だった。


「よ、よろしくお願いします」


 おずおずと返事をすると、彼はニコ、と笑い、夫婦の寝室から出ていった。


 ――わたしはこの時、彼の言葉の意味を正しく捉えられてはいなかったのだった。


 ◆



(双肩って! そういう!)


 溢れかえる魔物を薙ぎ倒しながらわたしは「なるほどー!」と脳内で叫び倒していた。


 辺境の地は魔物の数が多い。国境沿いに魔物が棲むのに適した瘴気に満ちた広大な森が広がっているからだ。

 辺境伯であり、辺境騎士団長でもあるイグニスさまはほとんど毎日魔物との戦いの前線に出られる。


 イグニスさまが大の男と同じくらいの大きさの大剣を振るう。わたしはその横に付き従い、聖女の奇跡の力をもって魔物を屠っていく。


(愛しの妹カミーラ! あなたね! 入れ替わらなくても結構希望通りの生活できてたわよ! 辺境は田舎だけどねっ)


 イグニスさまが望んでいたのは『妻』ではなくて、『共に戦う相棒』だったのだ。


 なるほど、なるほど。イグニス様のように誠実な方がいかに王命とはいえ、愛していない女を妻に迎えた理由の真相はコレだったか。


 聖女の嫁入りを受け入れたのは、辺境に蔓延る魔物の殲滅に協力してもらうためだったようだ。


 イグニスさまはわたしに「一般的に言う妻の役割を求めることはない」と仰った。辺境伯の妻、女主人としての業務や跡継ぎを産むため閨を共にすることもなくていい、と。


『私はあなたが思うがままにここで過ごしてほしいと思う』


 そう言ったイグニスさまだが、そう言ったわりにイグニスさまは「さあ今日も警備に出よう」「今は西地区の魔物の繁殖期だから今のうちに巣と卵を壊しに行こう」だのなんだのと毎日せっせとわたしを戦いの場に誘う。うん、今日も忙しい。やることが多い。


「――カミーラ! 上だッ」


 ハッとして、わたしはしゃがみ込む。そしてわたしの頭上に迫っていた巨大な鳥の魔物のかぎ爪を大剣で薙いだ。


「ありがとうございます、イグニスさま!」

「ああ、すまない。魔物をあなたに近づけさせてしまった」

「大丈夫ですよ、わたし、接近戦もできますから!」


 まあでも、イグニスさまと並んで戦うのは……正直、爽快感や、彼と背中を預け合える嬉しさもあった。ちょっと不謹慎だけど、楽しい、とも。


 イグニスさまは形の良い眉をしかめ、不意にわたしの頬に手を伸ばした。


「えっ、えっ」

「……血が」


 頭の上で派手にやっつけたのだから、当然、私は魔物の血飛沫を浴びていた。イグニスさまはひどく申し訳なさそうに顔を歪めていらっしゃる。


「すまない。あなたの美しい髪も、白い肌も、汚してしまったな」

「だっ、大丈夫ですよ! わたし、こんなの慣れっこですし!」


 魔物の血飛沫くらい、本当にどうってことない。気にしてもいなかった。


 イグニスさまは白いガーゼを取り出すと、水筒の水を含ませてそっとわたしの頬や髪を優しく拭ってくださった。


「ほ、ほんとうに、大丈夫ですからっ」

「きみが汚れたままでいるのを良しとはできないよ。ましてや、私の不慮のせいなのだから」

「……」


 目の前にあるのはわたしが密かにだいだい大好きなイグニスさまのご尊顔で、しかも浮かべられた表情はとても切なげで、わたしは内心で「ヒー!」と声をあげた。


「……カミーラ」

「はっ、はい!」

「もしかして、今日は体調がよくなかっただろうか」

「えっ?」

「顔が赤い。ほら、とても熱いよ。……今日はもう帰ろう」

「で、でも、この辺りの卵を全部割ってしまわないと……」


 繁殖期の魔物は膨大な数の卵を産む。孵化のスピードも早い。一日でも早く、より多くの卵を潰さなければ後が大変だ。

 しかし、イグニスさまはハッキリと首を横に振った。


「心配はいらないよ。きみが来るまではずっと私と、我が精鋭たちでやっていた仕事だ。送っていくから、安心して休んでいてくれ」

「――大丈夫です。本当に……!」


 待って待って、こんな一人で勝手に恥ずかしくなって真っ赤になって強制送還なんで情けなさすぎるし、申し訳なさすぎる。

 なんとか一緒に残りたいと告げても、イグニスさまは頑なだった。


「……きゃっ!?」


 急にぐるんと視界が回り、気づけばわたしはイグニスさまの逞しい腕の中にいた。


「すまん。少しだけ我慢してくれ」

「は……はい……」


 腕の中ですっぽり丸くなりながら、わたしは己の流され体質を恨んだ。


 うう、優しい。たくましい。筋肉あったかい、好き。

 


「――ねえ、もう結婚してだいぶ経つけど、奥さまったらさぁ、全然その()がないじゃない」

「やだ、まさか、石女じゃなかろうね」

「おばか、そもそも結婚して一度も閨を共にされたことがないんだから! 知らないの!? はーあ、あんな美丈夫がさあ、王様の命令で好きでもないお相手と無理やり結婚させられちゃうなんて。おかわいそうにねえ」

「もったいないわよねえ!」

「あら? でも、私、旦那さまは側室をとられるご予定って聞いたけど」

「ええっ、うそ、いつ?」

「だいぶ前に聞いたと思うんだけどねえ、それこそ、奥さまが来られてすぐくらいに……」

「ていうかあ、奥さまって戦闘狂よねえ? 旦那様から女主人の役割を期待されてないからってあんなに毎日毎日前線に出てって。聖女ってみんなああなの?」

「普通、結婚したら聖女は引退するのにねえ」



「……」


 ふと聞こえてしまった使用人たちの噂話。

 わたしはため息をつく代わりに、ぎゅっと手のひらを握り締めた。


(……側室、かあ……)


 そうよね。貴族なら、跡継ぎを作ることは大事なことだもの。


 ……本当は、聖女のわたしも、子どもを作ることを国から望まれているわけだけど……。聖女の奇跡の力は遺伝することが多いから。魔物が蔓延るこの世の中、聖女は欠かせない存在だ。


 幸い、聖女の力を持つ女性はわたしたち姉妹に限らない。数は少ないけど、何人かはいる。わたしが国に期待されている役割を果たせなくとも、それが致命的なことにはならない。……わたし、というか、妹も誰かと結ばれる気はないらしいけど。国的には本当に残念ダメ双子姉妹ね、わたしたち。

 ……とはいえ、カミーラはわたし(アリーシャ)として破竹の勢いで大活躍しているみたいだから、国の期待に応えられないダメ聖女は、やっぱ、わたしだけ……かあ。


 イグニスさまがわたしをそういう対象としては見ていないことは明らかだった。

 彼の良き相棒としてやっていけている自信はある。彼からの信頼はいつも感じている。けれど、どう考えたって、恋愛感情のそれはない。


(そりゃ、イグニスさまはお優しいけど、イグニスさまは誰にでもお優しいし)


 ――あと、戦闘狂なのはわたしじゃなくてわたしの妹よ! 妹だけよ! 戦闘狂の聖女なんて!


 使用人たちがたむろっていた踊り場から離れ、わたしはようやくはあと大きなため息をついた。




 それからしばらくして。しばらくしたところで、イグニスさまと夫婦として接していないわたしが懐妊することは当然なく。


「……妻の役割を果たさないなんて、王都の聖女さまはとんだワガママよねえ」


 邸の廊下の曲がり角。ピタ、と足を止める。


 ああ、また使用人たちが噂をしているのか。わたしが石女とか、戦闘狂とか。いやだなあ、そそくさと歩いてきた道引き返すのって、なんかみじめなのよね。


「あんな美丈夫に嫁いでおきながら、ねえ。もったいないわ、わたくしならきっと旦那さまをご満足させられるのに」

「ちょっと、さすがに言いすぎよぉ!

「でも、わたくし、実はお祖母様が貴族のお妾さんだったのよねえ。血統的には悪くないはずだし、側室にしてくれないかしら」


 若い衆がきゃあ! と黄色い声をあげる。

 わたくしなら喜んで旦那さまにこの身を捧げるわぁ、とうっとりとして語る女をつい廊下の角から覗き込んで見てしまう。


 濃い蜂蜜のようなハッキリとした色のブロンドヘアーが美しい年若い女だ。身体つきも豊満で、口元のほくろも色っぽい。


「ねえ、奥さまに言ってみたら?」

「ええっ、なに? 奥さまに頼んで旦那さまに口添えしてもらう、ってこと?」

「だって、奥さま、旦那さまに興味はないし、そもそも結婚も国に命令されただけで嫌でしょうがなかったんでしょ? 案外喜ばれるかもよ」

「……確かに!」


 きゃははは、と鈴を転がしたような笑い声が響く。

 はしゃぐ彼女らを諌めてくれる立場の年長の使用人はこの場にはいないようだ。色っぽくて若いブロンドヘアーの女を中心に彼女らは盛り上がる。とても楽しそうだ。


(……さすがに不快よ。こんな楽しそうに、人の旦那を寝取りたいなんて話すのを聞いてたら)


 わたしはぐ、と歯を噛み締めていた。前線に出てさえしまえば気持ちも晴れるかもしれないが、あいにくとこの間今の時期に湧いてくる魔物の討伐は終えてしまった。無計画に殲滅しすぎると魔物の凶暴性や繁殖力を増してしまう恐れがある。気晴らしに手当たり次第に魔物をボコボコにしにいくのは、ダメだ――。


「……カミーラ?」

「ひ……」

「あ、悪いな。遠目からでもきみのきれいな髪が目映く見えたものだから、つい」


 やや薄暗い廊下、突如背後から聞こえてきた低い声に大声を上げてしまいそうになるのを、なんとか抑え込む。


 少し背を屈めてわたしの顔を覗き込むように声をかけてきたのは、イグニスさまだった。口元を両手で抑えて目を見開くわたしを怪訝そうに一瞥し、そしてキャアキャアと高い声を響かせている曲がり角の向こうを眺めた。


 そして、見たこともないほど深いシワを眉間に刻み、厳しい面持ちでそれを睨むのだった。鋭い視線に、無邪気な若い使用人たちが気づく様子はない。


「あ、あの……イグニスさま……」

「……」


 剣呑な雰囲気に思わず彼の名を呼んでしまうと、イグニスさまは口に人差し指を当て、静かに、と合図する。

 わたしが瞠目する間にイグニスさまは廊下から躍り出た。


 カツ、と皮靴の底が磨き上げられた床を叩く音に、使用人たちはハッとこちらを振り向く。


「――何の騒ぎだ!」


 よく通る声が響いた。


「ひっ……だ、旦那さま!」


 慌てて掃除道具を抱き抱え、彼女らは顔を青ざめさせる。

 いくら夢中になって夢想に耽っていても、主人にそれを聞かれてはまずいと思える程度の理性は残っていたようだ。


「お前たちが今話していたことが、どれほど我が妻を蔑めることか理解はしているか」

「もっ、申し訳ありません」

「……お前たちへの処罰は追って伝える。今日はもう控えてくれ。侍女長には私から言っておこう」


 旦那さまの声は終始冷たく、瞳もまるで射殺されそうな鋭さだった。横から見ているだけでもそう思うのに、長身の彼から間近で見下ろされている彼女たちはいかほどに恐ろしかったことだろう。

 彼女らはしばらく青白い顔で呆然と立ち尽くしていたが、おもむろにフラフラとよろけながら退散していった。


「あ、あの……ありがとう、ございます……?」


 使用人たちの背中が完全に見えなくなってから、わたしはそろそろと廊下から出てきてイグニスさまに声をかけた。

 わたしを振り向くイグニスさまはまず優しい笑みを浮かべられて、そのあとで苦しげに眉根を寄せた。


「……すまなかったな。カミーラ」

「いえ、とんでもないです。ありがとうございました」


 こういうことを言われてしまう自分にも非があるのだ。わたしが首を横に振るのを見たイグニスさまはわずかに目を窄めたようだった。


 そして、彼は少し目線を逸らしたのち、口を開いた。


「このあと、いいだろうか。……きみと話したいことがある」




 ◆



「……すまなかった。……私のせい、だな」


 言いながら、イグニスさまは整った顔を顰めた。


 今からする話は他の誰にも聞かれないよう――ということで、初夜以来入ることのなかった夫婦の寝室にて行われることとなった。


 わたしたちは庭園が見下ろせる窓の近くに置かれた小さなテーブルに、二人向かい合うように席についていた。


「子どもができないことをあなたが責められることを……私は想定できていなかった。……いや、かつては、それも考えていたはずなのにな……」

「……? イグニスさま」


 自嘲気味に笑って、イグニスさまは濃い銀のまつ毛を物憂げに伏せた。そしてぽつりと語り出す。


「……あなたはこの結婚は不満なのだと聞いていた」

「……」

「カミーラ。あなたは……夫と契りを交わし、聖女の力を失くしてしまうことをひどく嫌がっていたのだろう? だから、私はあなたと結婚はしても、けしてあなたに手を出しはしまいと決めていた」


 イグニスさまの言葉にわたしは息を呑む。


 そう、わたしはカミーラとして嫁いだ。……だから、旦那さまは、わたしのためにいつぞやかに聞いたカミーラが吐露した不平不満を考慮してくださっていたのだ。

 きっとそうなのだろう、と思ってはいたけれど、わたしはカミーラと入れ替わっていることを告白する勇気がなく、訂正できずに今に至っていた。


「だが、私は辺境伯の領主だ。世継ぎを作らなければならない。……あなたにも了承してもらい、側室を得て、側室に子を産んでもらうつもりでいたんだ。……限られた側近にだけ相談していたのだが、そこから噂として漏れたのだろうな」

「そう……だったのですね」

「……すまない。本当にそうしておけば、あなたがいらぬ噂話で貶められることはなかったろうに」

「……イグニスさま」


 ひどく申し訳なさそうな彼に胸が締め付けられる。本当は、謝らなければいけないのはわたしの方だ。わたしたち姉妹の都合で入れ替わり、かつて結婚をするはずだったカミーラの言葉を尊重しようとしてくれたこの人が罪悪感を持つ必要など、本来はなかったはずなのに。


 口の軽い使用人たちについても、わたしが女主人としての役割を果たさずにした結果でもある。イグニスさまのせいじゃない。


 ――もう、この入れ替わりの話を隠しておくべきではない。真実と共に謝罪を伝えようと乾いた唇を開くのと同じタイミングで、イグニスさまは言った。


「……だが、私は……愚かなことに、あなたと会って……あなたに恋してしまった。容姿だけの話ではない。いつだって強く、凛として、嫌な顔ひとつせず、私と共にイキイキと戦ってくれるあなたに。私を見上げては頬を染めるかわいらしさに」


 わたしはこれ以上ないほど目を大きく見開く。


「あなたのことを想うと側室を探す気にはなれなかった。あなたの夫としても、いち領主としても私は失格だな……」

「え、ええと、その、旦那さま……」


 イグニスさまはかぶりを振って、切なげに微苦笑していた。


「……わ、わ、わ、わたしに、恋を……というのは」

「ああ。……愛している」


 一気に耳まで熱くなるのがわかる。

 端的な一言を告げた彼の真摯な眼差しを見れば、この告白に偽りがないことはよくわかった。


「安心してくれ。この想いは墓場まで持っていくつもりだ。きみはこのまま、高貴なる聖女として勤めを果たしてくれればいい。……きみが後世まで讃えられるように、私は尽力するつもりだ。まずは、きみが不当に貶められることがないよう使用人たちには私から――」

「ままままま、待ってください!」


 おもむろに椅子から立ち上がり、少し早口に喋って立ち去ろうとしかけた彼を引き留める。わたしの必死な顔を見てか、イグニスさまはきょとんと目を丸くしていた。


「……ごめんなさい。わたし、あなたに、謝らないといけないことがあって」

「きみが私に?」

「その、結婚をしたくないと、聖女の力を失いたくないと言っていたのは、わたしではないんです」

「……」


 イグニスさまは顎に手をやり、真剣な面持ちでわたしの言葉に耳を傾けてくださっていた。


「……わたしは、本当はカミーラではありません。姉のアリーシャなんです」

「アリーシャ……」


 わたしの本当の名を、イグニスさまが呟く。


「わたしは元第二王子の婚約者だったのですが不当な理由で婚約破棄をされてしまって。それで、王家からの謝罪として特別に結婚を強制しないことが認められたのです。……それを羨ましがった妹カミーラの提案で……入れ替わったんです」

「……なるほど。彼女は……結婚がしたくないから、か」


 頷く。


 もともとカミーラが結婚を嫌がり生涯純潔の乙女として聖女の力を振るいたいという希望を耳にしていたイグニスさまはわたしの説明をすんなりと受け入れてくださったようだった。


「……申し訳ありません。ずっと嘘をついていて……」


 神妙な面持ちで何か考え込んでいるイグニスさまに、私は謝罪の言葉を重ねて頭を深く下げる。


 ふ、と彼が小さく笑う音がした。


「……そうか、私はあなたを愛してよかったのだな」

「イグニスさま……」


 低く掠れた声で彼がそう言ったのが信じられなくて、わたしは慌てて顔をあげる。


「まさか入れ替わっているとは思っていなかったが……。しかし、私が恋に落ちたのはカミーラとして私のもとに嫁いできてくれたきみだよ。だから、きみがそんな顔をしなくちゃいけないほど悪いことをしたわけじゃないと私は思うよ」

「で、でも、わたし、ずっと騙していて……」

「きみたちが入れ替わったことで、なにか悪いことが起きたか? なにも起きていないよ。私はそのおかげできみに会えたのだし」


 イグニスさまのきれいなライトグリーンの瞳があまりにもまっすぐで、わたしはたじろいでしまう。


「……話を聞く限り、きみの妹は本気で結婚を嫌がっていたのだろう? だったらもしも本来通りきみの妹が私のもとに来たとしても……彼女はもちろん、最初から彼女と線引きしておくつもりだった私も好きにはなっていなかったはずだ」

「……あの、その……」

「こういってはなんだが……きみは、私のことをそう……嫌ってはいなかっただろう?」


 おずおずと頷くわたしにイグニスさまは一瞬笑みを浮かべ、しかしすぐにその笑みを苦笑へと変えてしまった。


「本当はね、ずっと期待していたんだ。結婚を嫌がっていたというきみだけど、私の見るきみの目はそういうふうには見えなかったから。もしかしたら、結婚してから私のことを……好きになってくれているんじゃないか、って。……すまない。勝手に一人で期待して拗らせて、ちゃんときみと思いを伝え合って話あうべきだった」

「……そんな。それこそ、わたしのほうこそ……」


 すぐに言うべきだった。入れ替わっているのだと。

 あなたと結婚をしたのは結婚を嫌っていた妹ではなくて、あなたに一目惚れして安易に入れ替わってしまった姉のほうだったのだと。

 せめて、あれ? と思った時点で――言えばよかったのだ。


「……遅くなってしまったが、今こそ聞かせてくれないか? きみは私のことをどう思っている。アリーシャ」

「――わたしも、お慕いしております。イグニスさま……」


 顔を俯かせたまま答えれば、「あ」と思う間もなく視界がグルンと揺れ、彼の胸の中に抱きすくめられていた。

 背の高い彼に抱きしめられ、つま先立ちのわたしは反射的に彼の服の腰あたりをぎゅ、と掴んでしまう。


「……よかった。それならば、私たちの結婚には、何も支障はないな?」

「え、ええっと」

「入れ替わりはきみの妹が望んだことだろう? 王都の聖女・()()()()()の活躍の噂はこの辺境の地でも耳にしない日はないよ。私も心から愛しあえる妻を得ている。……なにかここに、悪いことがあるかな?」

「…………」

「私には思い当たらないんだ。……()()()()。あなたはなにか悪いこと、思い当たるかい?」

「……いえ、わたしも……。思い当たることはありません」

「そうか、よかった」


 ふふ、と優しく微笑む彼。だが、わたしの背に回った腕によりいっそうの力がこもった。


「……アリーシャ、か。良い名だ」

「ごめんなさい、わたし……」

「しいて問題点があげるとするならば、そうだな。きみの名が本当は違うことを公にしてしまうのは……きみの妹のこともあるから、いまさら難しいかもしれないが……」

「はい。……すみません。その、でも、わたしはそんなにこだわりはないので……」

「……そうだね」


 イグニスさまは目を細め、ゆっくりとわたしの柔らかな髪を撫でた。


 ずっと双子として過ごしてきて、いたずらや悪ふさげで入れ替わったことも、周囲から間違えられることも多かったわたしたち。誰かから「カミーラ」と呼ばれることは慣れている。聖女として挙げてきた功績も個人の功績というよりも、双子聖女『聖なる双翼』としての功績だ。それら全てがまるっと入れ替わったところで個人的には支障はない。その気持ちに嘘はなかった。


「……だが、私だけが呼べるきみの名があるのだと思えば、そう悪くはない」

「えっ……」

「すまない。悪い男の発想だな」

「……そんな」


 やや間があって呟かれたイグニスさまの言葉に少しわたしは驚く。

 いつも爽やかな印象の彼にしては、色がある……艶があるというか……。ドギマギしているわたしの頬を彼の大きな両手がそっと覆う。長身の彼は身を屈め、わたしに目線を合わせ、そして口を開いた。


「アリーシャ」

「……はっ、はい……」

「……うん、いいね」


 そう言って笑ったわたしの夫の顔は、いままで見たことがないような――ちょっと悪い顔をしていた。




 そして、わたしはイグニスさまととうとう結ばれて、一男二女に恵まれた。二人の娘は私と同じ聖女の力を引き継いだ。聖女の力を持つ娘は皆王都に集められる。


 わたしの代までは聖女は王家が命じた相手と結婚をするという決まりがあったけれど、件の第二王子が婚約破棄事件を起こしたなんて大失態のせいか、どうやら今はその古き慣習はなくなったようで、少し安心だ。かわいい娘たちにはやはり、自由に恋をさせてやりたい。


 そうそう、純潔を失った聖女は奇跡の力が半減するといわれているとおり、わたしも力を失いはしたけれど、元々尋常ではない奇跡の力を持っていたわたしは半減してなお、イグニスさまと共に魔物との戦いの前線に出てもなんら支障のない力を保っていた。わたしとイグニスさまは長い年月をかけ、辺境伯領と接していた瘴気あふれる魔の森の魔物を殲滅、浄化し、国の平和に貢献したのだった。




 わたしと入れ替わりで王都に残った妹が生涯未婚の乙女を貫き、最強フルパワーBBA聖女として末永く活躍して後世に名を残したのはまた別の話。


※次代の聖女たちが自由恋愛(結婚)の権利を得たのは第二王子の婚約破棄騒動に加え、妹ちゃんが引退せずずっと長い間最前線でバリバリ活躍しまくっていたおかげです


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[一言] 「最強フルパワーBBA聖女」というパワーワード。 こちらはこちらでめちゃくちゃ面白い話になりそうです。パワフルでファッショナブルなBBAに振り回される若い衆とか。
[良い点] 妹ちゃん、凄い!パワフル! そしてまさかの戦闘員確保だったとはー!! 仕事一緒にしてた同僚とラブラブになるのは可能性大ですから、よかったですね。 [一言] 姉妹仲良しなのいいですね
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