5話 授業
5限ももう終わりかという時間。突然強い風が吹いて、グラウンドの砂を巻き上げた。
生徒達が煩わしげに飛んでくる砂を払ったりしている時、白い物体が風に乗って透の元へと飛んできた。
砂が目に入らぬよう顔を背けていた透であったが、素早く反応してキャッチした。
「ハンカチか」
飛んできたものはどうやら誰かのハンカチであったようだ。
「名前が書いてあるね。『滝崎実歩』」
横から覗き込んできた陽介がすぐに名前が書かれていることに気がついた。彼ならば、飛んできている最中に動体視力で名前を読んでいたこともあり得るのだが、今は関係ない。
「ごめーん! それ私のだ!」
程なくして1人の少女が駆け寄ってきた。
ホワイトブロンドの髪を頭の後ろで結んだ、天真爛漫という言葉がよく似合うような美少女だ。透たちより風上にいるからだろうか、ふんわりと良い香りが風に運ばれてくる。
「やあ滝崎さん。捗っているかい」
イケメンスマイルでそう返したのはもちろん陽介。透は「どうも」と小さな声で言うだけで、ハンカチを滝崎に差し出した。
「全然。少し油断するとできてないんだ」
「ありがとう」と太陽のような笑顔で透からハンカチを受け取った滝崎は陽介にも明るく反応する。
「太田くんたちは喋りながらでもちゃんとできててすごいよ! 何かコツとかあるのかな」
「慣れだよ。初めは補助輪を付けてなんとか乗ってた自転車も、今では話しながら乗ったり、片手で運転できたりするでしょ。それとおんなじさ」
ぴん、と人差し指を立てて解説する陽介。滝崎は「そっかあ〜、慣れか〜」と頷きながら素直に聞いている。
「実歩〜。何の話してるの〜」
すると滝崎の後ろから彼女の友人と思しき少女が3人やってきた。
「あ、今ね、マナの練り方のコツについて聞いてるところなの」
「そ、そうなんだ。苦手だから、私も聞きたいな」
どこか自信のなさげにそう言ったのは先程先生にマナの練り方について指導されていた神道楓である。桃色の髪をボブカットにしており、赤い縁の丸眼鏡が特徴的である。
「陽ちゃん、実歩ちゃんに失礼なこと言ってないでしょうね」
陽介をあだ名で呼び、慣れた様子で接するのは院瀬見綾香。陽介よりはやや暗めの茶髪で、ショートカットにしている。彼女は陽介の幼馴染である。
「それはよかったね。何か良いことは聞けた?」
微笑むように滝崎に言葉をかけるのは神宮冴。微妙に青みがかった黒髪を肩まで伸ばしており、癖っ毛なのかややウェーブがかかっている。涼しげで刺すような美しさを備えており、クラスメイトからは冷徹な美女といった印象を持たれている。
彼女は滝崎と話している時はとても穏やかである。滝崎と一緒にいない時は静かに過ごしており、話しかければ表面上は愛想良く会話をしてくれるが一線を引かれているような感じ、というのは陽介が透に話していた感想である。
「心配には及ばないとも綾香。珍しく僕は真面目に答えたつもりだよ。ね、透」
「そうだな」
「ふーん。ま、いいけど」
透の名前が出されたが、院瀬見は彼の方を一瞥もする様子はない。
透と陽介は幼馴染である。透からすれば院瀬見綾香は幼馴染の幼馴染ということになるのだが、仲は良くない。というより、透は院瀬見から良く思われていない。奇妙な関係性である。
「神宮さんも上手だよね。僕なんかよりも彼女に教えてもらうといいんじゃないかな」
「そんなんだけど、ね」
少し困った様子で言葉の最後で神道にアイコンタクトをする滝崎。
「うん、、。でも冴ちゃん言ってることが難しくて。その、私じゃよくわからなくて」
モジモジと滝崎の言葉を引き継ぐ神道。話題の当の本人である神宮は、
「ごめんね。どうもウチは国語がダメみたいで」
と特に顔色を変えるでもなく他人事のように聞いている。
「なんか、『ジーンとしてスッ!』みたいな感じで説明するから、楓ちゃんには合わないみたい」
どうやら神宮は感覚でモノしてしまうタイプの人間らしい。俗な言い方をすれば天才肌というのだろうか。私は何となく解ったけどね! と付け加える滝崎も同類の可能性がある。
「なるほど! それなら僕が先生に変わってレクチャーしようじゃないか」
「調子に乗らないの」
突っ込みを入れる綾香に、まあ見てなって!とさらに調子に乗った様子の陽介はさっそくマナの授業を始めたようだ。
あれやこれやと身振り手振りを交えながらやや大袈裟に講釈を垂れる陽介であったが、その内容はさすがというべきかわかりやすく、周りのクラスメイトも何人か聞き耳を立てている様子であった。
「月条くんもこんな感じでやってるの?」
陽介が「何か質問はあるかい」と聞いたところで、滝崎がそんなことを言った。
1人でさっさと教室に帰るわけにもいかず、完全に空気となり、無理やり会話に混ぜようとする陽介のフリに適当に相槌を打っている透に初めてスポットライトが当たることになった。
「大体こんな感じだと思う」
相変わらずの調子の透。
「太田くんと話しながらでも出来てるから凄いなって見てたんだ。やっぱり何か練習とかしてたの?」
「陽介の言う通り、何回も繰り返して慣れただけだ」
無愛想、とも取れるような反応の薄い端的な透であったが、滝崎は健気に話しかけている。誰に対しても優しく、明るく接するのが滝崎実歩という人物である。
その美しい容姿と分け隔てのない態度で、入学して2ヶ月しか経っていないのにも関わらず学年で人気者である。
「ごめんね滝崎さん。透は恥ずかしがり屋さんだからさ。別に怒ってるわけではないからね」
透の淡々としている態度を茶化すようにして解説する陽介。透としては普通に答えていたつもりであったため、そうフォローされたことに内心驚いていたが、特に反応することはなかった。
「そんなんだー」と言って笑う滝崎。神宮や神道も透を見て楽しそうに笑っている。
その後は陽介が何か言っては女子4人が笑うといったシーンを繰り返し、マナの方にも集中しろと先生から軽く注意される場面もありながらも、授業終了のチャイムでお開きとなった。
「やれやれ、ようやく終わったね」
別の女子グループと合流にし行った様子の滝崎一行に手を振りながら陽介は伸びをする。
「で、今日もこの後やるのか?」
横を歩く透は声のトーンを落として言った。
「うん、今日も捜査はやるよ。その前に、刑事さんが話があるって言ってたから、まずはそこからだね。あ、透も来るって言ってあるから大丈夫だよ」
「別に行くとは言ってないだろ」
「来ないのかい?」
「…」
猫の死骸が見つかるようになってから、陽介が独自にその件について調べていることは本人からも聞いていた為知っていた。
当初透としては、警察に任せておけばいい、と陽介に非協力的であったが、先日実際に現場を見てしまってから心境の変化があったようだ。
「本来なら高校生がどうのこうのするような問題じゃないんだがな」
高校生が探偵団を結成して事件解決、というのは創作ではよく見る話だが、現実はそう上手くいくことはない。
警察の捜査能力は想像以上に高く、その警察が捕まえられない犯人を、マンパワーも権限もない高校生が介入したところで到底事態が好転するとは思えない。
しかし、この太田陽介という男に限ってはそうではない。彼の人脈や知識、経験はすでに高校生という枠に収まるものではなく、そして何より彼の「眼」が、警察以上の捜査能力を発揮する。
「心強いボディガードがいて頼もしい」
仮に筋骨隆々の暴漢と対峙することになっても、どうこうされる陽介ではない。
「少し手伝うだけだ。俺は--」
「よう!さっきは我らが女神様と楽しそうだったじゃねえか」
透と陽介の会話に割って入ったのは溌剌とした声であった。
透の首に腕を回しながら、相手の反応などお構いなしの少年。
燃えるような赤髪をツーブロックにしていて、表情は豊か。にっこりと透に笑いかける彼からは陽のオーラが漏れ出ているようで、快活な印象を受ける。
「暑苦しいから離れてくれ、桐生」
「ああ、悪りぃ悪りぃ。そんで? 何の話ししてたんだよ」
素直に離れながらも、話題は逸させない桐生炎司。
「俺は特に何も。主にこいつが喋ってただけだ」
そう言って隣を歩く陽介を指さす透。
「羨ましいぜまったく。なあ、お前も女神様と話したいだろ」
今度は後ろを振り返った。
「ケッ、くだらね。なーにが女神様だ」
吐き捨てるように答えたのは灰色の髪色の少年、皇圭吾。皇は、透たちの少し後ろを歩いている。
「またまた、そんなこと言っちゃって。透と同じシャイさんかな」
からかうように陽介が言う。陽介と桐生は普段から仲良く喋っており、透もこうして自然と絡まれることが多い。
「その女神ってのは誰のことなんだ」
陽介のからかいを無視して桐生に聞く透。
「知らねーのかよ。ほら、先月くらいだっけ? 1年の普通科の男で学年規模の女子の人気投票勝手にやって問題になったろうが」
透の通う高校は1学年A組からE組がある。透の所属するA組は選抜クラスとなっていて、よりハードルの高い入試を乗り越えてきた者たちが集まる。
普通科とはBからE組の生徒たちのことであり、どうやら彼らは一致団結して女子の人気投票を敢行したらしい。
「あー、なんか揉めてたな。それとどう関係があるんだ」
「で、そこで圧倒的な得票率を誇った4人の女子がいたんだよ」
「圧倒的なのに4人も同率なのか」
「細かいことはいいんだよ。んで、その4人がなんと全員A組!」
「なるほどな」
「滝崎さん、神宮さん、冷泉さん、乙倉さん、だっけ?」
指を折りながら名前をあげる陽介。
「そうそう。んで四大女神という称号を得たわけだ」
最先端研究について語るようなドヤ顔をする桐生。
「あいつらからしたらいい迷惑だな」
心中お察ししますとため息をつく透。
「ま、幸か不幸か僕たちA組には投票権がなかったから、比較的うちのクラスは静かなもんだったけどね」
人気投票は主催者の想像以上の盛り上がりを見せ、自然と女子の耳へ。そこからあれよあれよと情報は広まっていき、遂には職員室にまで届いた。
後に投票の主催者は、A組の生徒に投票のことを伝えなかった理由として『だいたいA組の奴らが上位に入ると予想できていたから』と、上位勢の目に入る可能性が高いA組には声をかけなかったと述べている。合理的な理由に聞こえるが、全然そんなことはない。
「もし投票が回ってきていたら透は誰に投票したんだい?」
「誰にもせん」
「またまたぁ。まったく透は真面目なんだから。圭吾は?」
陽介はいつも通りの透から後ろを歩く皇圭吾に目を向けた。
「興味ねぇ」
ふんっ、と吐き捨てるように答える皇。
「そう言うお前はどうなんだよ陽介」
「え〜。そうだなぁ僕なら---」
桐生と陽介のどうでも良い会話を聞きながら、この後は何時にどこに集合するんだっけなと考える透であった。