始動
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一日目、午前9時00分(試合開始直後、残り時間48時間)
全体マップ(9時00分)
戦闘レギュレーション、艦隊編成
→ 前話末尾を参照
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雲一つ無い晴天が広がり、陽光が紺碧の海を照らす。視界は開け、二十キロ程先にある水平線まで見渡すことが出来る。視界を縁取る艦橋の窓枠と外壁さえなければ、周囲は空と海、二つの青のみが広がっていただろう。
数あるマップの中から今回の戦場として選ばれた、中部地中海マップの景色だ。
このゲームにおける中部地中海は、イタリア半島と北アフリカの間の海域を指している。第二次大戦時では、枢軸側は北アフリカ戦線への補給ルート、連合側はマルタ島への救援ルートとして重要な輸送路となった海域である。そして実際に第一次シルテ湾海戦という、両軍の輸送船団が鉢合わせして生起した海戦もここを舞台としている。
またゲーム環境的に言えば、天候や海面が穏やかで砲戦の障害となる要素が少ない、戦艦向きの戦場とも言える。その一方で試合開始時点であらかじめ消費しなければならない燃料の量も少ないので、魚雷艇などの投入にも適した場所だが、今回はレギュレーション設定的に殆ど無視していい要素である。同じ理由で大規模な航空戦力が存在しないもあって、総じて砲戦主体の水上戦闘に適した舞台と言えるだろう。
その海域を突っ切って、船団を目標へと送り届けるべく、チアキの操作する艦隊はゆっくりと慎重に波を切り進んでいく。速力は輸送船に合わせた12ノット程、針路は北西寄りを当面維持する予定だ。
今回のルールでお互いの船団は、対角線上に配置された離脱地点を目指す。マップに赤く表示されたチアキの艦隊は、E5の赤枠からA1の赤線へ。現在A5にいるはずMK38はE1へという事になる。その距離は直線でも210海里(400km弱)程。何の障害もなかったとしても、今のペースではゲーム内時間で十時間程度、到着は深夜の三時か四時という中々の道程だ。
小マップ(9時00分+)
1ルックアウト、2ミーティア、3ソーマレス、4オンスロー、5アルゴノート
6アザートン、7松、8竹、9桜
10ユーライアラス、11コリンウッド(旗艦)、12利根、13トリニダード
チアキの艦隊は船団を挟む形で前衛と主力を配置し、現時点での全長は20km近い。
前衛部隊は横陣で船団の進行方向をカバーする駆逐艦四隻を先頭とし、後方にそれを率いる軽巡一隻が控えている。
駆逐艦は全て異なるクラスの英駆逐艦で構成され、まず「ルックアウト」と「ミーティア」の二隻は「L」ならびに「M」級で、日本の甲型に相当する英大型駆逐艦群の最終世代。そして残る「オンスロー」「ソーマレス」は「O」並びに「S」級で、戦時急造的な要素も強い中型駆逐艦だ。その違いは前者が持つ密閉砲室の連装砲と、後者の開放式の単装砲という主砲の搭載方法にもよく表れている。
軽巡の「アルゴノート」はダイドー級で、防空巡洋艦として搭載された十門の5.25インチ両用砲が空を睨んでいる。同級は砲の製造能力の問題等で主砲が八門になった艦、代わりに4.5インチ高角砲を搭載した艦も多数存在したが、同艦は本来の姿を保っている。
これらの後方で輸送船団は箱型陣を取り、その側面に護衛艦が二隻ずつ付いて、簡易な輪形陣を形成している。敵艦隊との水上戦がメインである為、途中で船団を散開させる可能性が高いが、CPU戦力による潜水艦や航空機の攻撃を想定したものだ。
護衛艦は米キャノン級の「アザートン」に、「松」、「竹」、「桜」という松型駆逐艦の三隻が加わる。
最後尾は戦艦一隻と巡洋艦三隻が単縦陣で続き、これが水上戦における主力を形成する。
先頭は二隻目となるダイドー級であり、同じく5.25インチ十門搭載の「ユーライアラス」。続いて艦隊旗艦である15インチ砲搭載、35,000t級の英条約型戦艦案「コリンウッド」。最後に重巡「利根」、クラウンコロニー級軽巡「トリニダード」と二隻の巡洋艦が後方を固める。
幾分か趣味が混じった艦のチョイスもあるが、これまで獲得した経験値と練度という意味では、今回のレギュレーションでチアキが出せるベストに近い戦力だった。
二隻参加しているダイドー級は、防空艦として見た際には正直米アトランタ級の影に隠れている点は否めない。ただし今回は元々の計画思想に近い、嚮導艦的な運用も求められる場だ。水上戦闘がメインであれば期待できる部分もある。
そして同じく三隻が加わった松型駆逐艦も、護衛任務には同じ小型駆逐艦の中でも対空対潜能力で勝る艦は他にいるし、その中には米護衛駆逐艦や英ハント級の第三グループなど、もしもの際に備えて雷装を有している艦も存在する。これらの艦に変えても良かったが、やはり水上戦闘になった際に酸素魚雷の性能は魅力的だった。
その趣味的なチョイスが最も色濃く表れているのは、唯一の主力艦として選らんだ「アレ」ことコリンウッドだろう。
コリンウッドはゲーム内での名称で、そのモデルとなったのは、ワシントン会議以降に英海軍が計画し、最終的にネルソン級として完成する条約型戦艦の設計案の一つ、「F3」案。本ゲームでは「設計案」として実装されている。
三基の主砲塔を全て前方に集中するという大胆な配置はネルソンと同じく、主砲は一回り小さい15インチ砲、装甲も一部で劣るものの、代わりに速力に優れた巡洋戦艦的な艦である。
チアキが用意したプレイヤーアイコンのモチーフになったように、彼にとってネルソン級は大切な艦だ。しかしゲームプレイにおいては、速力の低さが彼のプレイスタイルに合わない事もあって、複雑な思いを持っていたのも事実だった。
その点28ノット台のコリンウッドはまだ許容範囲であるし、戦闘力も多少は落ちるとはいえ、ノースカロライナ級など他の条約型戦艦とも十分戦える。多少ひいき目かもしれないが、そんな自信がチアキにはあり、好んで使う艦となっていた。
今回の試合でチアキが旗艦に選んだのも、その複雑な思いを受け継いだ同艦だ。そして彼は今、「アン女王の館」というあだ名でも知られる六角形の塔型艦橋の中で指揮を執っている。
(始まってしまった……か)
リアリティ追究の為、プレイヤーの利用できる視覚情報はアバターの視界に限定される。つまりここでは、艦橋の中でも六層目に設けられた司令部艦橋と、水線から25メートル程度の高さにある窓からの景色が全てであり、他の物を見るには、ここを離れてアバター自体を移動させる必要がある。
一方で戦闘のリアルさを考えた場合、艦隊にとっての目が、指揮官であるプレイヤーの視点だけになるというのはあり得ない話である。
そこで乗艦の見張りや各種観測機器はもちろん、僚艦等からの情報も通信が可能な状態であれば常に行き来している。これらはプレイヤーの傍らにグラフィックが表示されたNPCから音声による報告がなされる他、手元に投影可能なマップにもリアルタイムで反映され、プレイ中の主な情報源となる。
マップは全体を映した物から対象艦の周囲まで、自由に拡大が可能である。チアキは右端で一塊になった自艦隊だけが映る全体マップから、陣形内での一隻ごとの位置まで表示した小マップまでそれを切り替え、艦隊の配置を確認する。そしてこの試合で最初の指示を飛ばした。
(偵察の前に……一応射程範囲に近づけるか)
スタート地点において、主力部隊は船団の南側寄りのやや離れた位置に配置されていたが、これをより近い位置に接近させる。対空砲など火砲の有効射程内に船団を収める為だ。
主力部隊の四隻は船団の真後ろに付ける為、八点の一斉回頭を二度に渡り実施、右、左と船体を傾けつつ波をかき分ける。
これらの四隻の内、史実でコリンウッドに代わり建造されたネルソン級は、低速時の運動性について結構な悪評が知られている。実際1934年にネルソンが座礁事故を起こした際には、主な原因は喫水が大きすぎた点と結論付けられたが、同級の運動性も批判の対象になっている。
その原因は主に艦橋がらみで三つほどあり、一つ目は高い乾舷と大きな艦橋で風圧側面積が大きい(風の影響を受けやすい)点。二つ目にこれまで操艦していた露天の艦橋と全く違う、密閉式の塔型艦橋を採用した事で視界が狭くなった点。加えて三つ目として、艦橋の位置が主砲の前部集中のせいで艦の後ろ寄りになった事で、旋回時の視界移動の仕方に慣れない者が居たという話も存在する。
そしてコリンウッドの場合、主砲塔が一回り小さく前部集中でも艦橋の位置は中央付近にある為、三つ目については多少マシであるが、他の二つを解消するのは乗員の慣れと練度次第である。
それを証明するかのように、コリンウッドを含む四隻の船はゆっくりと綺麗な弧を描いて、滑り込むような滑らかな動きと共に、指示通りの位置に付けた。
比較的苦手な低速時の運動、しかも旋回性能の異なる他艦種との回頭を難なくこなした事は、艦の高い練度を物語っている。
回頭を終え、先導するユーライアラスの後ろ姿が再び正面に固定された頃、チアキは試合前に失っていた冷静さを取り戻し始めていた。もっとも普段の彼なら、しでかした事のあまりの恥ずかしさに耐えきれず、このまま沈み込んでしまうはずだったが、艦上という場所が影響したか、不思議な高揚感と自己肯定感が続いていた。
こんなに素晴らしい艦を扱う以上、持てる力を出し切って勝利を目指すだけ。彼はそう信じて、自らの艦隊が進む先を見つめた。
大変長らくお待たせしました。今後も不定期ではありますが、更新を続けたいと思います。
またあらすじに追記したように、新たに設定集を投稿しています(n3201ic)。今のところは以前に活動報告に上げた物の保存版なので、特に必要な情報はないのですが、興味がある方はこちらもどうぞ。