遭遇
人だかりの先にチアキが見たもの、それは、建物の裏側で対峙する男女四人の姿だった。
厳密に言えば、対峙しているという表現は正しくないだろう。三人の男性が女性一人を壁際まで追い込み、詰め寄っている。女性の方もきつく睨み返してはいるが、それ以外は輩に絡まれているかの様で、現実世界なら通報ものの光景だ。
予想とは全く違う光景。一瞬固まるチアキだったが、なんとか事態を飲み込もうと頭を働かせる。
周りが止めないのであれば、実は見た目ほどの事ではないのでは。冷静さを欠いた頭の中は拙速に結論を出しそうになるが、視界に映る物がそれを阻んだ。男性三人組の内、左右にいる二人、それが先程ペインテッド・ホールで自分達を追い返した二人と同一人物だと気付いたからだ。
(やっぱり他でもこんな事が……!)
件のクランがらみの事だと、静かに感情が沸き立ち始めたチアキ。
だが詳しい事情を知らずに飛び出す訳にもいかない。あくまで冷静に、目立たないよう近くに居た群衆――この騒ぎを見物する野次馬の一人に事情を尋ねる事とした。
「MK38が来てるんだよ。あんた知らないのか?」
彼には聞き覚えのない名前だった。そして生憎にも、何で知らずにここにいるんだ、そう言いたげな野次馬の態度から、これ以上の事は聞けそうにもない。
部外者の自分に説明してくれる親切な人を求め、周囲を見渡した瞬間、彼は今日知り合った人間が自分のすぐ後ろに立っている事に気付く。そこには、本日二人目の迷子を捜し出したロトが居た。
「ふぅ……こんな所は見て欲しくなかったのだけれど、本当にツイてないものだね」
小声である事を除けば、ついさっきまでと変わらないロトの丁寧な物言い。だが現在進行形で迷惑を掛けている自覚があったチアキにとっては、言葉の裏に潜む感情を感じざるを得ない。そこに発言自体の意味深さも加わって、彼を動転させてしまうには十分な重みがあった。
「えっ……ロトさん、あの、こんな所って……? いえ、その前にすいませんでした。勝手に離れてしまって」
これに対してロトの方は、一瞬の迷子騒ぎは大した事と思っていないのか、殆ど反射的に出たチアキの謝罪をあっさり流すと、チアキの求めていた話題、MK38その人について話を切り出してきた。
「こうして居場所が分かったのだから、もう気にしてないよ。ライトの方も既に会場に居るのを確認してきたから、発表中はそこに居るように言っておいた。」
「それで彼――MK38の事だけれど」
「ッ!! 何か知ってるんですか」
「ここを拠点にプレイしている人の中でも、最近急に頭角を現してきたプレイヤーだね。大会本選の出場経験があるような上級者を含め、挑戦状を叩きつけた相手に連戦連勝で話題になってる」
「『戦艦派の旗手』なんて評判もあるとかな。まあ、彼女の事は良く知らないが、今回の獲物という事なんだろう」
そうロトの説明に割り込んできたのは、先程の野次馬だ。チアキの問いにぶっきらぼうに答えた後、見物に集中していたはずの彼だが、二人の会話が聞こえてきたのだろう、ようやく理解したのかと言わんばかりに、こちらを見もせずに小突いてきた。
ロトは面倒そうにチアキを人ごみから離すと、今度は他人に聞こえないよう、耳元で会話を再開する。
「さっきの人が言った通り、MK38は例の騒動では間違いなく戦艦派、そしてその立場で活動する上で、意見の違う人を過激な言動で挑発したり、野良試合で負かした相手を半ば強制的に自分のクランに参加させたりして、派閥関係なしに反感を買っている事でも知られている。同時に熱心なファンも居るようなのだけれど」
「クランに強制的に、ですか」
この話を聞いて、チアキには一つ思い浮かぶ点があった。
本ゲームのクランは交流コミュニティとしての利用法が主で、ゲームプレイ上の要素というのはあまり多くは無い。一部ミッション等の攻略で有利になる、ゲーム内で使う資源やアイテムの融通がある程度の物である。
その一方で、有力プレイヤーを数多く抱える大規模クランを運営するプレイヤーは、ゲームアドバイザーの候補に挙がりやすいという。クランに所属しているわけではないチアキだが、「火種」に関連してゲームアドバイザーについて調べている際に、そういった噂を耳にしていた。
強制的というのが引っかかる点だが、クランは掛け持ち可能であるのと、おそらく参加への必要条件を設けずに、殆ど名前だけ登録している形にする事で、大きな問題になるのを避けているのだろう。とはいえ、仲間同士で交流、協力し合う本来の姿とはかけ離れた物で、気持ちが良い物と言えない事に違いはない。
「じゃあ、さっきの人に獲物と言われた彼女も……。本当に嫌な所に居合わせたんですね、自分たち」
「そういう事だろうね。時にチアキくん、今後この場所でプレイしたり、ここで起こっている事について何か調べたいというなら、最後まで見ておくべきかもしれないよ。彼みたいな人がいる事を……ね」
ロトから提案がなされる。過去の鉄火場での体験や建物前のトラブルから、ここで起きている事が他人事に思えないチアキは、先程のように言葉の裏を探るような事はせず、それを受け入れた。
「……(コクリ)」
彼はその勧めに対して無言で頷くと、再度意識を騒ぎの中心である対峙する四人、その中のMK38へと集中する。
MK38は件の二人を両脇に控えさせ、女性の正面に立っている。大柄だが、二人よりも細身でメガネを掛けた青年の姿をした彼は、チアキにとってロトから聞いた話もあり、人柄が良いとは決して言えない印象を受ける。
二三歩女性の方に近づくMK38。そしてアバターには必要がないはずの仕草――こめかみに手をあてメガネの位置を直した後、不敵に笑うと、少なくともチアキがここに来てからは初めて、その口を開いた。
「そもそもだ――歴史上、兵器という物も優勝劣敗の世界で生存競争を繰り広げてきた」
野次馬を意識しているのか、聴き手によっては不快に感じるであろう、芝居がかった口調。そう声高に彼が語り始めると、群衆の一部からは軽くどよめきが上がる。おそらく彼目当てで来ている人からだろう。これを聞いた彼は悦に入った様子で演説を続ける。
「そして勝者として生き残ったのは、連合国軍であり米海軍であり米戦艦。それが明確な結果だ。劣ったものは淘汰され滅んでいく。俺は優れた物以外に興味は無い。他の海軍にこだわる事に何の意味があるのだろうか」
この話題に至った経緯はチアキには分からなかったが、内容そのものは意外と言う他なかった。戦艦派、戦艦好きな人間と言えば、やはり大和型を特別な存在とする人が多数だと思っていたからだ。これが派閥関係なしに反発が出てくる、過激な言動という物の一端なのだろう。
この問いかけにも沈黙を貫く彼女に対して、MK38は矢継ぎ早に言葉を放っていく。
「最終的には航空戦に付き合いながらも完勝したわけだが、所詮は枢軸国の艦艇が航空戦力だけで始末出来る程度だった、それだけの話だろう。米海軍の艦は違う。量はもちろん、質もだ」
「戦艦同士の艦隊決戦さえあれば、もう少しは活躍出来たなんてのも、ありもしない夢想に溺れているだけだ。艦隊決戦でも米戦艦が勝利していた、そう断言して良いと俺は思っている」
「まあ連合軍の戦艦でも、不甲斐ない奴もいたが。マレー沖の英戦艦二隻とかな。いや、紙装甲の巡戦レパルスと『戦艦のようなもの』プリンス・オブ・ウェールズ。ハハッ! 戦艦は沈んでない事になるかなあ」
艦隊決戦さえあれば、というのは日本海軍への当て擦りとして、口撃の対象はロイヤルネイビーにまで及んできた。両海軍の艦が好みなチアキにとっても、流れ弾が飛んできた気分だった。
もっとも英海軍にとって、マレー沖海戦は十七世紀のメドウェイ川襲撃まで遡る必要がある程の完敗であり、そういう誹りは避けられない部分も確かにある。そしてチアキはもう一つ、彼の言説で引っかかった部分である、米戦艦の優位性についても少し考えるが、こちらも彼が言うほど絶対的ではないにしろ、優秀なのは間違いないという認識にたどり着いた。
二次大戦期の米海軍は、空母など他の大型艦の建造と並行しつつも、当初の計画数よりは少ないが二ケタに達する戦艦を新たに送り出している。他国とは隔絶した物量の成せる業だろう。
なお「物量」と言うと、物量だけで他は良くないという風に解釈されたり、そういった意味で使用される事もある単語だが、米軍の場合は物量を含めた工業力の総合レベルの高さとも言うべきだろう。そして戦艦という、工業製品というよりは設計者のセンスに大きく影響される、一品物の工芸品や芸術品にも近い物であっても、兵器としての性能を形作る諸要素は、その総合レベルに支えられる部分が大きいのである。
具体的に優れた分野を挙げると、まずこの大戦では非常に重要な役割を持つ、各種レーダー類、そして対空火器とその指揮装置と言った物が来るだろう。他には小型型高出力かつ量産性や信頼性を確保した主機関は、多くの国にとって垂涎物であるし、また成長著しいのは水上射撃の指揮能力だ。この分野は一次大戦から戦間期まで、むしろ他国に劣後する分野だったが、主に三十年代半ばより数々の問題を乗り越えていき、最終的には特定の環境では他国にアドバンテージを持つほどに至っている。
また上で挙げた物とは別の分野でも、他国に大きく劣る部分や欠陥を持つ物は少なく、これも兵器としての総合力という意味では重要な点である。
ただしチアキは米艦の優秀さを認識しつつも、アメリカと比べると「持たざる国」が生み出した艦艇を好む傾向があった。特に様々な制約の末に、工夫を凝らして結果生まれた艦は、たとえ性能的に苦しい部分あっても、そこに至るまでの背景を含め個性として魅力に感じる、そのような人間なのだ。
(もちろん戦争当時の人からすれば、兵器の性能は文字通りの死活問題であるので、欠点を愛するというのは、それはそれで後の時代の業の深い楽しみ方であるが)
とにかく、優れた物以外に興味は無いと言い放つMK38とは、価値観の違いを感じざるを得ない点があるのは明らかだった。
その後もMK38の演説を一通り聞き、自分なりに考えた彼は、ロトへ向けてつぶやいた。
「ただの盤外戦術でしょうから内容についてはノーコメントですが、とにかく中々言う人ですね……」
「それって、具体的にはどう思っている感じかな?」
「個人的に正しさ関係なしに声の大きい人は……正直ちょっと嫌かなと。でもそんな人を無理に黙らせても、今度は自分が声の大きい側になるだけなんで、『なんだかなあ』と言う事しか出来ないんですが」
ロトの問いにそう答えた事、また「火種」について話した際の立ち位置からも分かるように、チアキは個人的な物を除けば、特定の問題に対して自身の考え自体は持っても、積極的に関わろうとはせず、当事者をかなり冷めた視点で見ている。そして同じように、特定の物事で正しさを追求するあまりに他人を厳しく責め立てる、いわゆる「警察」行為についても良くは思ってはいなかった。
これは他人との論争で負けたり、自身の無知を指摘される事への恐怖が根本にあり、そこから形成された性格だった。
もっとも距離の近い仲間内には割と好き勝手言い合う間柄があり、特に尊敬する師匠で友人のアレクサンドラは例外的に、チアキが艦艇に関する事などを教える側に立つ事も多い。だが、こうして正しさの押し売りを目にしてしまうと、その関係にも疑問が生じてしまう。
誤りを指摘する行為がお互いの利益に繋がるのであれば、それで問題はないだろう。だが彼女の好意に甘えるばかりに、自身の考えを一方的に押し付ける形になっていないだろうか。
「その姿勢が常に正しいとは僕は思わないけど、彼と同じレベルになりたくないというのは確かにあるね」
ロトの返事を聞きつつも、チアキの心中では自身の振る舞いをどう省みるべきか、強い不安が生まれていた。
二人がやり取りを交わす最中も、MK38は雄弁に語り続けていたが、ここで一呼吸を置いた。
先程とは違い力なくうつむいているが、未だに沈黙を保つ女性に対して手を焼いている様子で、戦法を変える必要に迫られたのだ。
彼は変わらず女性の方を向きつつも、より一層大きな声で、「新たな攻撃対象」に言及する。
「さて、いい加減戦って貰えないだろうか。ここで見てる人の中には、俺の事を良く思っていない御仁もおられるようだからなァ」
そしてこの発言が号令になり、野次馬の一部は心当たりのある二人の方に振り向き、視線を集中し始めた。
多数の刺すような視線をいきなり浴びて、チアキの心臓は驚きで飛び出そうになる。比喩表現ではなく物理的に声が大きくなっていたのだ、それも再び周囲に聞こえる程に。
先日無意識にテンションが上がって、師匠にうるさいと言われたのを思い出し、もう一つ省みるべき事を認識するチアキだが、この状況下では何もかも遅かった。
「無知蒙昧を啓蒙してやっている真面目で崇高な行いのつもりなんだが。良く陰口を叩けるものだ。よほど酷い人間が居るんだろうな」
再び因縁を付けられる中、打開策は見つからないまま。
この窮地と言える状況を救ったのは、横に居たロトの声だ。
「相変わらず良く口が回るな。MK38」
「フンッ、誰かと思えばLoTo_1934じゃないか。お前もいつかは潰すって前言ったよな。今やってやっても良いんだが?」
「それは遠慮しておく。今日は別の用事なんだ」
ロトはMK38の事を知っているだけでなく、何か因縁がある関係のようだ。
この後も二言三言と会話を交わしたロトは、そろそろ頃合いとチアキに声を掛ける。
「まあ彼とは色々あってね。そうだチアキくん、こんな状況だし君が問題ないなら、もうライトと合流しても良いだろうか。説明はその時にね」
「こちらこそ、ロトさんがそう言うのなら。……ホントすいません」
こうして二人はこの騒動から背を向け、立ち去る事を決めた。女性を見捨てる形になるが、これで少なくとも自分達は今この場所で、更なる面倒事に巻き込まれるのは避けられるはずだ。
いや、そのはずだった。MK38が吐いた捨て台詞がチアキの耳に入ってくるまでは。
「なんだ、つまらんな。さっさと消えるなら消えろ。お前らみたいな奴らは、この場には必要ないからな」
「お前ッ!!」
言葉と記憶が重なった反射的な反応だった。チアキは一瞬声を荒げると、声の主に目を見開き睨みつける。
そうして完全に挑発に乗せられた形になった。
MK38 は「ほおぉ」と、ロトの同伴者に初めて注意を払うと、笑みで軽く表情を歪ませた。本来の獲物が時間の掛かりそうな現状で、余興となりそうな相手を見つけた愉悦から来る物だった。
そして彼はチアキを観察中に、めざとくも一つ面白い物を発見している。会話時に表示されるプレイヤーアイコンだ。
チアキのアイコンは、ライオンと鷲を月桂樹が囲み、上に王冠を戴く物で、実際にとある英海軍の艦艇で使われた紋章を組み合わせたデザインをしている。誰かが気付いてくれるだろうと、今回の誘いを受けた後に彼が作った物だった。
不幸にも、このアイコンに反応してくれた人はMK38が最初となり、そして事情など全く知らない彼は、これを挑発の材料にする事に何の躊躇もなかった。
「ネルソン級ねぇ。見た目も性能もお笑いな戦艦じゃないか。あれか、俺の話が図星過ぎて突っかかりたくなったのか」
チアキ自身が言ったように、MK38の言説は沈黙を続ける彼女を煽る為の盤外戦術に過ぎない。発言内容自体、どこまで本気かもわからない一言だが、チアキにとってはこれがダメ押しとなった。
(これはもう、ダメだ)
「……ロトさん、先にライトの所に行ってもらえますか。ここにいたら多分、迷惑を掛けますから」
「チアキくん、まさか……!」
決意を滲ませた声でロトに告げると、一歩、そしてまた一歩と、自信を持った足取りでMK38の方に歩み出る。
ここまでの出来事は、拳を振り降ろすための大義足り得るのか、この時点でもチアキに自信は無かった。自らが冷笑していたはずの、正しさのために他人を攻撃する事に他ならないのも自覚していた。
だが、今このような行為を見逃してしまえば、心情的にもう二度と鉄火場には来られないだろうし、ゲームをプレイする上で、過去にここで経験した出来事以上に尾を引く物になる、同時にそう確信していた。
それならば、どのような結果になろうとも、例え別の傷を負う事になったとしても、この場で自分の意思をぶつける。それ以外に自身を納得させる手段は出てこなかったのだ。
MK38の目前まで進むと、手袋を叩きつけるのに相応しい売り言葉もまとまらずに、プリミティブな不満だけを投げかけた。
「言いたいことは色々あるけど、とにかく貴方の事が気に入らない」
取り巻きの二人がチアキを引き離そうとするが、MK38がそれを制止した。彼は再び笑みを浮かべると、余裕を持った様子で無鉄砲な挑戦者を歓迎する。
「ヒーロー気取りだろうが、世の中に納得が行かないガキだろうが、ただの戦闘狂だろうが、勝った方が正しさを証明出来る。ここで俺はそうしてきた」
「文句があるなら、とにかくやろうじゃないか。前座代わりにぶちのめしてやる」
その言葉と共に、チアキの元に画面が投影される。MK38からの戦闘申し込みだ。
チアキは動じる事なく、それを承認した。
本作品はフィクションです。作中でのキャラクターの発言は、作者の思想信条を表す物ではありません(一応)。
ご覧頂きありがとうございます。次回は説明中心ですが、ようやく海戦に入る予定です。