鉄火場
6月15日 AoL内、プレイヤー交流スペース
(どうしてこんな事に……)
少なくない数の野次馬に囲まれる中、チアキは自らの過ちにより苦境に立たされていた。
羞恥から来る赤面がアバターにまで伝わっているのでは、そんな心配すら出来ず、無表情を保つ彼は、ここに至るまでの行動を思い返している。
苦境と言う物は、人が生きる上で何かしら直面する物だが、その種類は様々だ。例えば原因や責任の所在という部分に注目してみると、自業自得という言葉が似合う場合がある一方で、神や運命が存在するのなら、それを呪いたくなるような理不尽な物も珍しくはない。
そして今回の状況は、どちらかと言うと前者に近いものだった。彼が以前話題にしたユトランドでの装甲巡部隊のように、情報不足の中で突き進んだ結果の藪蛇とも言えるだろう。
なぜ、どうして、と逃避や後悔が脳内に渦巻くチアキだったが、一つ大事な事に関しては、否応なく理解させられていた。彼自身が、直面している今の状況に向き合わねばならない事を。
彼に対峙する人間が言う。
「こちらは戦いにここまで来た。戦闘を承認してもらおうか! 」
◇ ◇ ◇ ◇
事の発端は数時間前に遡る。
現実世界で講義を終えログインしたチアキの元に、一通のメッセージが届いていた。差出人のユーザー名はライトの物だ。
From:TorpHead_T93 いきなりだけど今日鉄火場行かない?
メッセージを見たチアキは、すぐさま彼に通話を飛ばし、この意外な提案の意図を聞く事にした。
本ゲーム内には艦隊が戦闘を行う空間、そして彼が今いる母港空間に加えて、アバターを介して他プレイヤーと交流できる空間が複数設けられている。メッセージ内にある「鉄火場」とは、とある交流スペースの一角にある場所に対し、二人が付けたあだ名の事だ。
彼らがプレイ開始から間もない時期、よく知らないままに上級者が集うその場所に入り込んだ結果、苦い体験をした所であり、トラウマが癒えた後に訪れた他の場所と比べても、魔境の様な雰囲気である事から、鉄火場と呼んでいた。
「いや、大会だと人読みとか色々あるじゃん。そういうのは交流スペースの方が良いし、もう一回行くぐらいの度胸がなきゃと思って」
プレイヤーとして成長した現在も、再び訪れる気にならなかった場所だが、どういう心境の変化があったのだろうか。通話で聞いてみると、ライトからそんな返事が返ってきた。
確かにもっともな理由だろう。単に野良試合を楽しむだけであれば、母港より行えるマッチング機能でも十分に事足りる。だが大会となると、どんな種類の人間とでも対面で戦える度胸が必要であるし、レベルが高いプレイヤーが集まる場所の方が、その人のプレイスタルを学ぶ機会になったりと、良い経験になる事に違いはない。
またトラブルに巻き込まれないかと言う心配についても、ライトの知り合いに常連に近い人が居て、彼が同行してくれる約束も取り付けてあった。
ここまで準備が出来ているならと、手際の良さに感心しつつチアキは「鉄火場」への再挑戦を快諾した。
通話終了後、これは件の「火種」の影響について調べる機会では、そんな考えが浮かんでくるチアキだったが、師匠に報告した以上、これ以上首を突っ込む必要は無い。そう軽く流し、約束時間までに一つある物を用意した後、彼のアバターは母港を離れた。
そうして青空の下に広がるのは、芝生の緑と石灰岩のクリーム色からなる空間。遠くにはツインドームを中心に、シンメトリーを形成する二棟の西洋建築がそびえ立つ。
本ゲームの交流スペースは、現実に存在した海軍施設や縁のある場所を再現し、VRで入れる事を売りにしている。二人が言う鉄火場があり、一般には交流スペースGと呼称されるこの場所のモデルは、英グリニッジに存在した旧王立海軍大学だ。
(改めて見ると良いなあ……。内部は殆ど記憶にないから、しっかりと目に焼き付けよう)
入口に当たる水門近くで、迫力溢れる全体像を眺めるチアキ。これだけでも良い機会になったと思いつつ時間を潰していると、やがて約束の二人も到着する。
「君がチアキくんだね。ライトから話は聞いてるよ。僕はロト。今日はよろしく」
二人よりやや大人びた雰囲気を纏う、男性にしては長めの灰色の髪を流した青年。見た目通りの柔和な声で自己紹介をする彼が案内役だ。形式的な挨拶を返し、ライト共々彼の説明を聞く所から今回の再挑戦は始まった。
ここでチアキは些細な事にだが、少し安堵する。初対面の案内役は、普通に人当たりの良さそうな人だ。鉄火場に出入りしているとなると、叩き上げの職人の様な怖い人では、そんな一抹の不安があったのだ。もっとも、ライトの友人であり、わざわざ案内役を買ってくれるような人に対して、偏見も良い所だが。
そんな彼に対しては、前回ここに迷い込んだ際の事件についても、会話の流れで打ち明ける事に抵抗はなかった。
「――で、結局普通に負けたんですけど、その後相手の人から『君らみたいなのは必要ないから』って言われて叩き出されちゃいましたね……。周りの人もそれ見た事かという様子で」
そこで行った試合内にて、二人は形勢不利と見て一端艦隊を退いたのだが、それが勝てる見込みがない状態で逃げ回って、戦闘を無駄に長引かせたと相手プレイヤーを激高させてしまった。
このゲームには、特に敗勢になった側が投了するという暗黙の了解などは存在せず、制限時間内にどんな戦術を取ろうが自由で良いはずである。だが、そのプレイヤーにとっては許されない事であり、周りに居た人間にとっても、試合後に彼が行った行為は正当化できる物だったようだ。
「それは災難だったね。どう終わらせるかも含めて試合なのに……。そんな事があったのは、プレイヤーの一人として恥ずかしいよ」
「いえ、こちらもお上りさんみたいな態度で、空気を読んでなかった所もあったかな、なんて今は思います」
「自分は今も読めてないッスけどね、あとたぶんチアキも表面だけッス」
「……まあ、本当はそんな人がいつも居る訳ではないんだ。口で言うだけでは頼りないかもだから、さっそく見に行こうか」
茶々を入れる共通の友人に苦笑しつつ、ロトの呼びかけで三人は移動を開始する。
その間に周囲を見渡すと、少なくとも屋外の雰囲気は悪くないようだった。彼らと同じく集まって歓談している者、目の前に画面を投影して野良試合を行う者、一人芝生に座り込み、自分の時間を過ごしている人も所々に見受けられる。
そうして三人は、正面から見て右側の建物群であるキングウィリアム・コートに辿りつく。ここの一角にある、「ペインテッドホール」と呼ばれる場所が今回の目的地、二人の言う鉄火場だ。
左のクイーンメリー・コートにある教会と共に、交流スペースの中核を成すこの建物は、(現実世界では)セントポール大聖堂の修復再建を担当したクリストファー・レンの設計によるもので、18世紀イギリスのバロック様式を代表する建築物とも評される。当初は海軍病院の施設、19世紀後半から海軍大学として利用され、トラファルガーの海戦の後、ネルソン提督の遺体が安置されたのもこの建物である。
若干の緊張を孕みつつ、二人はロトの後に続いて、小さな木製のドアから建物内に入る。あとは左手に見える階段を上れば、目的地であるホールが見えてくるはずだ。
そんな時だった。
「おいそこの三人! ここから先は我々『弩級同盟』が使用中で立ち入り禁止だ。加盟者以外の活動はクイーンメリー・コートか中庭でお願いしている」
階段を上ろうとした三人は、建物内に居た大柄な二人のプレイヤーに呼び止められる。
呆気に取られるチアキとライト。ロトも初めて見せた驚きの表情で、二人組に理由や許可の有無などを問い抗議する。しかし相手は「許可は取っているので一時間ほど待って頂きたい」の一点張りで取り合ってくれる様子はない。
納得するには程遠い対応だが、ここで事を荒立てては二人の再挑戦が台無しになるのは目に見えている。ひとまず三人はこの先客の主張を信じ、建物の外へ出る事とした。
「二度目もこうだと、本格的に縁がないのかもッスね。それはそうと、アイツら何なんスかね。『我々弩級同盟が~」とか言われてもですねえ」
「……最近急速にメンバー数を増やしているクランだね。今調べてみると、集合時間の直前あたりに独占使用を申請して、本当に受理されていたみたいだ。ここまで直前に出来るのもおかしな気がするけど、確認を怠った僕の不注意だよ。チアキくん、ライト、本当に申し訳ない」
「まあ、許可降りたなら仕方ないですよ。幸い予定はみんな空いてますから、待ちましょう」
比較的前向きな様子で二人に呼びかけるチアキ。なお彼は建物を出た直後、なんとか内部を見ようと窓の隙間を覗き込むという、先程の二人に見られたら因縁を付けられる事間違いなしの不審者行為を働いていたが、現在は観念して三人一緒に建物前で待機している。
イギリスにおけるシスティーナ礼拝堂(ミケランジェロが最後の審判などを描いたバチカンの礼拝堂)と讃えられるホールの天井画を、VRで見るのを心待ちにしていたが故の行動だが、そもそもホールは二階にあるので、一回の窓から中を見る事はどうやっても叶わないだろう。
「それじゃあ時間を潰すとして、催しは色々やってるね。クイーンメリー・コートの方はアバターコスプレの撮影会に、オリジナル迷彩モデルの展示会がある。一応キングウィリアム・コートも中庭で、『一番持ち易い艦を決めた委員会』の公開討論会と実演会、『魚雷艇プレイアブル化推進協会』のパネル発表会があるらしい。少し変わっているけど、普段からこんな感じの事をやっているくらい平和なんだよ」
ホール以外の使用状況も確認したロトが、以降の予定について切り出した。
「クイーンメリーの中庭でモデルでも見てるか、最初に教会から回るか、という感じかな。少し外れた場所にカティサークもあるけど、個人的には――」
「いや、キングウィリアムの中庭に行きたいッス」
突然ロトの意見を遮り、自己主張しだすライト。どうやら「魚雷艇プレイアブル化推進協会」の発表者は、動画サイトなどで活動している少し名前の知れた人であり、個人的に話を聞いてみたいと言う事だ。
ちなみに発表内容はSボートの航洋性について。チアキにとっても惹かれなくもない内容である。
「ロトさん、自分も――」「ちょうど今から開始じゃないッスか! ちょっと急ぎましょう」
チアキもこの意見に賛同しようとしたが、彼はその言葉すら待たず、なんと二人を置いて走り出してしまう。思い切りの良さはライトの強みだが、今この場では悪い方向に転ぶとしか思えない行動だ。
「おいライトっ! 単独行動はダメだろって……行っちゃいましたね」
「付いていこう、じゃなくて、追いかけようか」
既に見えなくなったライトの後を追って、二人は建物の左側面に伸びる柱廊へと入る。ここの途中に中庭の入り口がある訳だが、ふとした事にチアキは柱廊の先、建物の裏側へと回る一番奥の辺りに、結構な数の人だかりが出来ているのを目にした。
そして不思議と、そこに惹かれてしまう。後から考えればありえない事だが、ホールから締め出された人が自分たち以外にも居て、その人たちが集まって何かしている。彼にはそう思えたのだ。
(少し確認するだけなら……)
そうやって彼は先程ライトに言った言葉を翻し、前を行くロトと分かれ、一人柱廊の奥へと足を進める。人だかりへと近づき、遠巻きに背伸びをして、衆人の視線の先を覗き見た。
そしてこの瞬間より、今回の「鉄火場」探訪は、一回目と同じ位かより強烈な体験として、彼の記憶に刻まれる事になる。
ご覧頂きありがとうございます。海戦に突入出来ないまま年を越す事が確実になりましたが、とにかく以降も更新を続けられるよう頑張りたいと思います。
いつもの事ながら、気になる点などがあれば感想等頂ければ幸いです。