画面越しの人たち
6月某日
激闘の末、ザイドリッツは沈んでいった。海面には幾つか残骸が浮かんでいるが、じきに北海はこの痕跡すら洗い去り、以前の景色を取り戻すだろう。
そして戦闘が終わった事で、その景色を投影していた画面も役目を終えて暗転していく。
古風な調度品や本棚を設えた、洋館にある応接室兼書斎のような部屋。天井一杯に画面が浮かび上がるのは、戦場とは無縁の落ち着いた場所だ。
そこでは部屋の主である一人の男性が、先程まで食い入るように見ていた戦闘映像の終わりを静かに見守っている。
その男性――濃紺の士官用軍服に身を包んだ青年は、正確には彼の居る部屋や、映像に出てきた艦艇と同じく、VR海戦ゲーム「エイジ・オブ・リヴァイアサン(AoL)」の世界に表現された3Dモデルである。
このゲームでプレイヤー達は各自アバターを持ち、その視点で艦艇に乗り込み、海戦を指揮する。現実さながらの臨場感にリアリティを重視したゲーム性から、数年前のサービス開始から現在に至るまで、ミリタリーファンを中心に安定した人気を集めるゲームである。
つまりこの男性もまた、AoL内におけるプレイヤーのアバターという事になる。
しばらく画面に釘付けになっていた彼は、映像が終了すると軽く息を漏らし、その口を開いた。
「師匠、ほらザイドリッツまで沈みましたよ!」
心底満足げな明るい声。静寂を破った彼は、大画面とは別に投影された黒い軍服の女性へと呼びかけた。
「……師匠呼びはいつまで経っても慣れないな。チアキ」
銀髪が目を引く、師匠と呼ばれた女性――同じくゲーム内のアバターである彼女は、鉄仮面のように冷たい表情で一旦彼を突き放すが、すぐさま同じように映像の感想を述べる。
「確かに圧倒的な結果ではあるな、今年のユトランド記念は」
彼らがいるAoLの特徴と言える要素の一つは、戦闘のアーカイブ化機能だ。
本作はアバターの視界を基本とする為に、戦闘中も乗艦以外の視点や俯瞰視点などに切り替える事ができない。これは確かにリアリティ重視ではあるが、同時に海戦を体験もしくは再現するゲームとして、プレイヤーが海戦の全容を知れないのはマイナス点であった。この視点問題を補完するのがアーカイブ機能である。
アーカイブには敵艦を含む全艦の行動が記録され、他艦や俯瞰視点での観戦が可能になる。ここで将棋の棋譜を並べるように、内容を見直したり追体験したりできるのだ。
視聴可能なアーカイブは自身の戦闘、他プレイヤーと共有した戦闘に加え、大会などの公式戦も対象となる。そして彼らが見ていたのも、公式戦の一種であるユトランド沖海戦記念マッチであった。
5月末から6月の始めは、日本海海戦、ライン演習作戦(デンマーク海峡海戦並びにビスマルク追撃戦)、そしてユトランド沖海戦と、戦艦の時代を彩る名海戦が行われた時期である。この時期ゲーム内では記念イベントの一環として、トッププレイヤーたちが参加するエキシビションマッチが毎年開催されている。
ユトランド記念の場合、イギリス海軍の大艦隊とドイツ海軍の外洋艦隊が相対する。三年目の今回は英艦隊が勝利し、通算成績を二勝一敗としていた。
今回は研究も兼ねてアーカイブの同時視聴をしようと、彼、チアキの呼びかけでフレンドが集まっている。もっとも訳あって参加したのは一人だけ、彼が師匠と呼ぶ女性――アレクサンドラのみであったが。
アーカイブには長時間化への対策として、AIが自動で編集したハイライト版や切り抜き集も存在する。しかし、せっかくの研究会だからと二人はこれに頼らず、視点切り替えを繰り返して、気になる部分をあらかた消化したところであった。
「教えてくれないかチアキ。先ほどの戦闘だが、そこまで興奮する事だろうか」
ザイドリッツの沈没について、画面の向こうの彼女は問いかけた。
「綿密かつ迅速な艦隊運動により目標を捕捉し火力を集中すれば、どんな堅艦であろうとも沈むのは必定だ。今回は敗走後に捕捉されたのだから、なおさらだろう」
「そうじゃなくて、何と言うか意地とかプライドの話なんですよ。史実で不沈を貫いたザイドリッツと、二度も沈める機会を逃してしまったロイヤルネイビー。ゲーム上とは言え、その両者が――」
「なるほど、そっちか」
映像終了後も、彼らの研究会は続いている。
述べようとした持論を一言で片づけられたチアキは不満げに、「それに加えて」と、いかにザイドリッツを沈めるのが難しい事なのか、実際の戦歴、火砲や装甲の性能を交えて語り出している。一方の師匠はそういった話には自信が無いのか、鉄仮面こそ崩れないが、完全に押されている様子だ。
逆に講釈されると言う、一般的に師匠と呼称される人間らしからぬ光景。しかし、それだけで彼女がこのゲームに長けていないと決めつけるのは早計である。
制帽から溢れる長い銀色の髪に、冷たい眼光を放つ赤眼、そしてスラッとした長身の体は、金の装飾をあしらった黒いフロックコートなど士官用の礼装を着こなしている。比較的自由が効くゲーム内アバターとしても、ただ者ではないオーラを感じる人は多いだろう。
そんな外見上の雰囲気に違わず、彼女の腕前はチアキを上回るどころか、凄腕の部類に入る。公式戦での実績こそ現時点ではあまりないが、年末の大会成績によっては、次回行われる日本海海戦記念へも参加が有望視されている程だ。
艦艇そのものが好きなチアキにとって、艦艇を操って戦う点に重きを置く彼女とは嗜好の違いこそあれども、その実力は素直に尊敬に値するものだ。加えて彼がこのゲームを始めた事自体、元々面識があった彼女からの紹介がきっかけである。
それもあって、実際どこまで教えを受けているかはともかく、師匠と尊敬してやまないプレイヤーである事に違いはなかった。
なるほど彼女がプレイする時代の艦艇であれば、下瀬火薬などピクリン酸を用いた高威力の榴弾を叩き込み、戦闘力を奪ってから魚雷で止めを刺すというのが定番である。日露からユトランドまでは十年強しか離れていないが、その間の戦闘法や艦艇の持つ防御力の変化というのは、一方の時代のみを見ている人間には驚きなのだろう。
そんな前提の違いが解消された後、チアキは「驚きといえば」と前置きした上で、別の話題を挙げた。
「装甲巡ですよ。装甲巡洋艦の大活躍」
今回の記念試合でターニングポイントとなったのは、ドイツ艦隊の主力が水雷艇と共同で実施した夜間突撃だ。実は去年の試合では、劣勢だったドイツ艦隊が夜間戦闘をきっかけに逆転したのだが、今年は英艦隊が水雷攻撃を的確に撃退し、その後の主力艦同士の戦闘でも優位を維持している。そして夜明け後には先程見ていた追撃戦となり、勝利を収めたという流れである。
その夜戦で水雷艇相手に活躍したのが、英艦隊の装甲巡洋艦部隊だったのだ。
「英巡戦で独巡戦相手に殴り勝っても、特に何とも思わないですけど、これは驚きとしか」
チアキの驚きも無理はないだろう。英巡戦の被害に隠れて無視されやすいが、ユトランドではその祖先である装甲巡も苦しい戦いを強いられていた。参加した八隻中三隻が独主力艦の砲撃により撃沈され、英海軍総死者数の三分の一近い1800人以上の犠牲者を出している。
「確かだが、ユトランドではドイツ側の軽巡を追い払った例があると思う。今回のように艦隊の前衛として活躍をする可能性なら、元よりあったのではないだろうか」
少し思案した後、私見を述べるアレクサンドラ。すぐに「あれはフッド少将の手柄では」と弟子から異議が飛んでくるが、「少なくとも可能性はある」と譲らない。
ユトランドにて装甲巡四隻で構成される第一巡洋艦戦隊は、フッド少将率いる第三巡洋戦艦戦隊と共に、ドイツ艦隊で先行していた第二偵察戦隊を撃破している。それもあって、英艦隊は敵情を掴めないまま前進するドイツ艦隊に対してT字を描き、以降の戦闘での主導権を取り戻したのである。
砲戦では良い所なしでも、海戦の流れを変える戦闘に貢献したという解釈も一理あるかもしれない。
もっともチアキが指摘しているように、実際の戦果は殆どが第三巡洋戦艦戦隊による物である。第一巡洋艦部隊の「活躍」と言えば、機関が死んだ軽巡ヴィースバーデンのとどめを刺しに突出した所、逆に独艦隊の標的となり二隻が沈没するという悲惨な物であった。
「とにかくだ、英艦隊側は装甲巡を『弱い巡戦』ではなく『強い軽巡』のように操って、水雷攻撃を封じ込めた。その手腕は見事としか言いようがない。この部隊を指揮したプレイヤーの名前は覚えておくべきだろうな」
この結論に対しても、23ノット程度の艦を軽巡として使うのは無理があると、まだ食い下がるチアキだったが、「そこはプレイヤーの腕次第という話だ」と今回はバッサリ切り捨てられてしまった。
「兵器の性能を理解するのも大事かもしれない。だがここで求められるのは、それを相手より引き出す事だ。そうだろう?」
続く発言は、文脈的に嫌みにも聞こえる物だった。しかしチアキは、それが悪意ではなく、彼女の真面目な考えから来る物だと知っている。そして仮に悪意を込めたとしても、それは自分のしつこさに非がある。意見そのものには反論がない訳ではないが、そう考えた彼にとって、口をつぐむ他に選択肢はなかった。
結局それは、場に沈黙と微妙な空気を生じさせるのだが、幸いなことに察してくれたのか、彼女の方から話題を変えてくれた。
「――それはそうと、夜戦に雷撃と言えばライトだが、結局来ないのか?」
ライトは二人に共通するフレンドの一人だ。今回の研究会にも参加する予定だったが、急用で遅刻すると連絡が来ていた。
「アイツ、急に水雷突撃で良いアイディアを思いついたから、モノに出来るまで遅れる、なんてさ。練習量的にもう来ないですよ。多分」
「あいつらしいな」
二人の会話からも分かる通り、彼は水雷戦隊を中心としたプレイングを好む、いわゆる水雷屋である。駆逐艦に対する愛情や特定の戦法を極めるという意味では、仲間内でもトップレベルであり、色々な意味で一目を置かれている。
それでも本人曰く、水雷屋としてはヒヨっ子も良い所と、普段より鍛錬を怠っていない。
「自分はともかく、師匠やライトみたいなプレイヤーがたくさんいる限り、このゲームも安泰でしょうね」
「安泰……か」
普段以上に気楽な声で発せられた『安泰』と言う単語と、そこに含まれた一種の白々しさ。チアキの意図をなんとなく察したアレクサンドラは、若干の沈黙の後、逆に普段以上に低いトーンで切り出した。
「なあ、私はプレイ範囲的にお前たち二人とはそこまで組まないからな、具体的なブリーフィングはまた今度でいいだろう」
「それでだ、チアキ。もしかして……何か話す事があるのだろうか、『件の噂』について」
そうして研究会の話題は、この世界に燻る火種の話へと移っていった。
良くわからないまま説明とキャラクターと薀蓄を突っ込んだらこうなりました。
色々と反応を見つつ、また活動報告に補足(言い訳)を投稿するかもしれません。
とにかく第二話の今回も、ご覧頂き本当にありがとうございます。気になる点などあれば、感想や指摘を頂ければ幸いです。