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エキシビション

 6月1日早朝。ユトランド半島沖、西方約60海里。


 灰色の雲が空を覆い、黒い海原がうねりをあげる北海。

 海そのものが意思を持ち、怒りに震え、水上に物体が存在する事を拒絶しているかのような光景。そんな中において、人工物である一隻の船が居た。空をさらに暗く染めんばかりに煙を吐き、海中の暗車スクリュープロペラで進む、鋼鉄の動力船だ。


 船には二本の煙突とマストに加え、一対の角のように二本の砲身を持つ巨大な砲塔が五つ、甲板上に鎮座している。砲身を含めれば全長20m近いそれは、自らが戦いの為の艦艇である事を誇示するだけでなく、歴史上で特に砲装が重要視された時代、つまり大艦巨砲が栄えた20世紀前半の主力艦である事を意味している。

 さらにこの船には、いくつか特徴的な部分が見受けられた。砲塔の内二基は中心線上にある残りの三基と異なり、船体中央の第二煙突を挟むように、それぞれが左右の舷側方向に寄った位置にある、いわゆる「梯形配置」と言う形になる。加えて極めつけは、船体を全通する上甲板の上に、さらに二層分の船首楼を重ね、高い艦首乾舷を持った船体形状である。


 以下の特徴を持つ艦となると、実在する主力艦の中では一隻に絞られる。

 ザイドリッツ、第一次世界大戦時のドイツ帝国海軍が保有した巡洋戦艦(ドイツ海軍の分類では大型巡洋艦)で、同時期のイギリス製巡洋戦艦に対して、搭載主砲こそ11インチ(実寸283mm)とやや小さめだが、代わりに重装甲を施した堅艦である。


 この船、ザイドリッツは、20ノット前後の速力で力強く波を砕いている。しかし同時に、同艦が激しい砲撃を受け傷付いている事は、船体の至る所に残された大小の弾痕からも明らかであった。

 戦艦並の厚さを誇る300mmの水線装甲や、それに守られた機関部こそ無傷であったが、他の部位に命中した幾つかは甲鈑を穿ち艦内を侵している。また艦橋近くの第一煙突は基部が被弾で崩壊しかかっており、これでは機関本来の能力を制限せざるを得ない。

 艦の象徴たる主砲の惨状は、船体のそれを上回っている。五基の砲塔の内、三基は前盾や天蓋といった部分に大穴が開いており、火災に包まれた痕跡も確認できる。内部が破壊されたか、弾薬庫に注水されて使用不能になっているだろう。加えてさらに一基も外見上の損傷こそないが、自重に負けた砲身が甲板上に垂れさがり沈黙。つまり未だに機能しているのは一基、船体中央の右舷寄りに設けられた第二砲塔のみである。


 未だに航行能力に余裕を残している事と、砲塔内の誘爆から爆沈という運命に至らなかったのは、さすがドイツ艦と言うべき防御力、応急能力と言える。しかし主砲一基のみでは、戦闘艦艇としての能力を大きく喪失している事もまた事実であった。


 このような損傷でも、依然として変わらない速度、おそらく現時点での全力に近いものを振り絞って、ザイドリッツは進み続ける。その姿はあたかも、刀折れ全身に手傷を負いながらも、苦痛に声を歪める事なく歩み続ける老武者のようであった。

 同艦が歩みを止めない理由、それは水平線のモヤにまぎれながら、追跡を続ける二隻の艦艇の存在だった。先ほど交戦した敵艦隊より差し向けられた追手である。その煤煙はザイドリッツのそれと比べて、モヤの中に消えてしまいそうな薄さであるにも関わらず、朧げに映る艦影は間違いなく大型艦のものである。しかも、全力を出せない同艦を上回る速力で、着実に距離を詰めてきていた。


 やがて距離が縮まり、敵艦の高い三脚マストが顕わになるや否や、その姿は厚い煙に包まれる。視界の確保と共に発砲を開始したのである。砲弾群は数十秒後にザイドリッツの後方600メートル程の位置に着弾、50mを超える巨大な水柱が立ち上がる。

 林立する水柱により、敵艦の姿は再び覆い隠される。しかし先ほどの艦影に加え、ここまでのサイズの水柱を生み出す砲弾、同艦を追跡した速力から、その正体は一つに絞られた。

 クイーン・エリザベス級、当時最大の15インチ(381mm)砲を搭載し、24ノットの速力を持つ、高速戦艦の元祖とも称されるイギリス戦艦である。


 手負いの巡戦にはあまりにも強大な相手、だが砲塔を残す同艦は僅かな望みを捨てず、敵先頭艦を目標に反撃を行う。

 耳をつんざく爆音と閃光、そして()()火薬の燃焼に伴う膨大な量の黒煙を吐き出しつつ、重さ300kgの砲弾が音の二倍以上の速さで撃ち出された。現在の距離は13kmあまり、このような距離では照準が正確であっても弾着は大きく散布する。その上で一度に二発という発射弾数は、命中を期待するにはあまりにも頼りないものであったが、今はこれに賭けるしかない。


 ザイドリッツの砲撃は、損傷を感じさせない正確な物であった。第一斉射の弾着で左右の誤差を観測した後、あえて射距離をズラした第二、第三斉射を放つ事で迅速に正しい距離を確定させる。そして早くも急斉射に移ろうとしている。

 海上の艦は常に揺れ動き、砲撃の精度を悪化させる。そこから射撃指揮能力は、この動揺に対処する能力が一つ大きな比重を占めていると言っても過言ではない。ドイツ海軍の場合は、水平を保つジャイロの値を利用する事で、動揺中に砲身の向きが正しい射撃諸元に達した瞬間、自動発砲する機構を1910年より導入し、特定条件下での精度を向上させている。ここまでの砲撃も、その機構がある程度の効果を見せた形となる。

 

 しかし残酷な事に、使用出来る門数の違い、数の暴力とも言うべきか、先に命中弾を得たのは敵艦の方であった。

 それは不運にも無事であった第二煙突付近に命中した。

 敵弾は船首楼甲板を貫いて艦内で炸裂し、船体中央部で火災を発生させる。第二煙突は大破し、また防護甲板である中甲板は機関部内への損傷を防いでいたが、そこから艦上に伸びる通風筒も大きく損傷してしまう。これらの被害に加え火焔の侵入を防ぐ為には、さらに速力を落とさざるを得ない。状況は悪くなる一方であった。


 速力低下に伴い、戦闘は艦首尾方向の追撃戦から、右舷後方に敵艦を見る形の同航戦へ変化する。距離は10kmを割っていた。

 態勢の変化に伴う射撃修正の最中、ザイドリッツを衝撃が襲った。再度の被弾、今度は後部機械室横の水線装甲への命中弾だ。

 

 英15インチ砲の徹甲弾は重量871kgと、独11インチ砲の三倍近い暴力的な物である。そしてこの距離での貫通力もまた、ザイドリッツが持つ装甲厚300mmを優に超えていた。

 一方でこの砲弾を含め、当時の英徹甲弾は爆薬としてピクリン酸を採用している。これは非常に強力な爆発力を持つ火薬で、日本海海戦で大戦果を挙げた下瀬火薬もその一種である。しかしピクリン酸を充填した砲弾は、同海戦でも見られたように、甲鈑を貫通しきる前に自爆するという、徹甲弾にとって厄介すぎる性質を有していた。加えて砲弾自体の強度にも問題があり、甲鈑に対して少しでも斜めに命中すると、簡単に砕けてしまう。つまりカタログ上の貫通力は、まず実戦で発揮できない物であったのだ。

 ザイドリッツはこれまでに、12インチ以上の砲弾だけでも20発以上を喫していた。それにも関わらず未だに機関が生きていたのは、自身の防御力に加え、この砲弾性能に助けられた部分もあったのである。


 今回の命中弾の場合、砲弾の落角自体は10度にも満たないが、態勢により30度以上の方位角が着いている。このような大撃角に砲弾が耐えられる訳もなく、甲鈑へ直撃するや否や、黄色がかった煙と共に飛散。甲鈑には小さな破孔が穿たれたが、内部に突入した破片は甲鈑背後の石炭庫や防護甲板の傾斜部に受け止められた。

 これだけなら艦への被害は最小限と言える。しかし残された砲弾の運動エネルギーは、別の部分で船体に損傷を与えていた。命中箇所の肋骨数本をへし折り、下端に接続する防護甲板の傾斜部ごと、甲鈑を50cm以上押し込んだのである。舷側には甲鈑一枚分、長さ数メートルに及ぶ裂け目が生じ、海水が機械室側面の石炭庫になだれ込む。


 砲弾自体は貫通に失敗しているし、浸水も機械室には達していない。これ単体では致命傷とは言えないだろう。しかし鎧を上手く貫けなかったとしても、打撃力を以て内部にダメージを与え始めた事に変わりはない。言い換えれば、同艦の防御力が及ばない段階が来てしまった事を意味していた。


 それから数十回の砲声が響き、勝負は決した。

 ザイドリッツの艦上は、元々一次大戦期の艦らしく簡素なものであったが、激しい砲火はそれを更地の如く薙ぎ払った。マストは艦橋のあった場所へ倒れ、残る第二砲塔も沈黙している。舷側では数枚の甲鈑が船体から浮き上がり、今にも脱落しそうな有様である。加えて装甲のない水線下を貫いた砲弾もあり、ついに浸水は右舷側の機関室にも達していた。

 浸水による全体的な喫水の増加、そして被害が集中した右舷側への傾斜から、既に海面は右舷の上甲板付近に迫っている。北海の荒波が艦を飲み込もうと、艦尾の甲板を洗い始めていた。


 通常、船という物はある程度傾斜しても、元の位置に戻ろうと復原力が働くように出来ている。そして復原力は大型艦であれば、乾舷が海中に没するのを境に急速に減少する。その点、ザイドリッツは艦首から全長の半分程にまで、上甲板の上にさらに船首楼甲板による乾舷を設けているので、まだ余裕を残していた事になる。


 しかし既に傷付き、水を飲んだ艦の状態では、その余裕すらすぐに消え去ってしまう。傾斜や波浪に伴い、舷側に空いた副砲の開口部や、被弾で生じた破孔から新たな浸水が始まったのだ。入り込んだ海水は背後の船体上部、つまり防護甲板より上の区画が有していた浮力を奪い始めている。

 以降も浸水が続き浮力を失えば、乾舷を維持していても復原力は保てないし、そもそも乾舷もいずれは水没してしまう。しかも致命的な事に、現在浸水中の区画は多数の命中弾によって広範囲で水密を失っており、浸水の拡大を防げなかった。もはや艦に抗う術はなく、限界が来ていた。


 制御出来ない浸水が艦内を荒らしていく中、ザイドリッツはゆっくりと、しかし着実にその巨体を没していった。

 まずは本作をご覧いただき、本当にありがとうございます。

 本来は避けるべき作者からの言い訳になってしまうのですが、本作は小説初挑戦の作者が練習として見切り発車で出した作品です。色々と至らない点も多いかと思いますが、気になる点などあれば、感想や指摘を頂ければ幸いです。

(一応ここに書ききれない言い訳や補足も、2020年10月17日付けの活動報告に投稿しています)


 次話以降は、影も形もなかったキャラクターやストーリーを動かせるように頑張りたいです。

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