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恋する口裂け女

作者: 勝華麗

エブリスタで開催されている「最近、キレイになった?」というセリフが出てくる作品が募集された賞に送った作品です


「わたしってキレ「醜いわ」イ……?」


 この流行病真っ最中の時期にも関わらず、接近距離でマスクを外した女。

 左右の頬まで広がった大きな口を持つ彼女は、いわゆる口裂け女と呼ばれる怪異であった。


 そんな化け物の前にいるのは細身の男。

 まるでマッチ棒のような手足で、口調も含めて男らしさなぞ欠片もない軟派そうな人物だった。


「キシャー!」


 失礼な答えに激昂した口裂け女はそのまま男へ襲いかかろうと牙を剥く。


「ほんと、こんなにもいい素材なのに勿体ないわ」

「えっ?」


 殺意に怯えるかと思われた男は、スッ、と口裂け女へ近づいた。

 逆に動揺してしまう怪異だが、あまりにも自然に懐に入られてしまったため跳ね除けようにも反応が遅れてしまう。

 顔の右半分が、男の細長い指に包まれる。


「素敵な赤い唇。犬歯が長いけど、ワイルドな大口に合っていてとてもキュート」

「なっなっ」

「背もアタシ並にあって女性としてはとても高い部類。ほんといい逸材だわ。でも――」


 男の表情が真剣なものになった。虚を突かれた口裂け女は緊張して、揺れていた心がピンと張りつめたものへと変わる。


「枝毛だらけの長髪。季節に合わないクソ暑そうなダサいコート。長さの揃ってない爪。極めつけには、そのボロボロでボコボコの汚いお肌。なによそれ、スラム街の壁ですらもっと作られたばかりの真っ白の頃の片鱗があるわ。もったいない。あなたもったいなさすぎる!」

 

 頭を振り回し、泣き出す男。

 自分が想定していたなかった事態を前にして、しばらくポカーンとする口裂け女。


 だがいつしか、大きなクマの上にある彼女の瞳から涙が流れるようになる。


「ぴえ~ん! わたしだって、本当はキレイになりたいんですよ~!」

「あら、どうして?」


 尋ねられると、口裂け女は細々と語り出す。


 二週間前、彼女はいつものように人間を驚かそうとした。その時の対象は、大学生くらいの若い男集団。定番の台詞と裂けた唇に逃げていく彼らだったが、残ったひとりに言われたらしい。


「あんま、好みじゃないかな」


 まるでお化けに出会わなかったかのように若い男が平然としたまま去ったこの場所で、今日のように口裂け女は大泣きしたそうだ。


「はじめてですよあんなこと言われたの~」

「えっ? でもそれ口裂け女的には無し寄りの有りじゃない?」

「無しオブザ無しですよ! だって好きになっちゃったんです!」


 実は彼女、その彼にひとめ惚れしちゃったそうだ。

 だから怖がらす時もいつもより小声にしたりと若い男が逃げないように細工したらしい。


「ようするに上手くいって期待値が最大にまでなったぶん、空振りした時にショックを受けたのね」

「冷静に分析しないでください」

「まあでもそういうことなら、このアタシの出番かな」

「ふぇっ?」


 男は自信満々の表情で、紺の花柄のスーツから名刺を取り出した。


「アタシの名前は、(パープル)スメラギ。職業はビューティープロデューサー」

「びゅーてぃーぷろーでゅーさー? 誰かを綺麗にしてくれる人ですか?」

「そうよ。ちょうど仕事が全部片付いちゃって宙ぶらぶらりんりんな状態。だからあなたの恋が実るまで、あなたの専属になってあげるわ」

「そうなんですか……って、わたしが! 無理、無理です。だって口裂け女ですよわたし。人を怖がらせる存在で、とても恋愛なんて。それにほら、こんな大きな口を好きになってくれる人なんて」

「お黙り!」

「ひぃっ」


 一喝されて怯える口裂け女。

 スメラギは全身でジェスチャーしながら叫ぶ。その動作は、単純な大声より彼自身の内に秘める情熱が伝わってきた。


「あなたのその大きな口は武器よ! 色々怒りたいことがあるけれど、まずこれだけは絶対に譲れないわ! たとえアタシが雌を好きになろうとも!」

「それ普通の価値観ですよ~」

「アタシの好意対象になるのは同性よ。まあそれは今どうでもいいとして、美しさってのはたったひとつの基準だと思ってるわねアナタ?」

「そうじゃないんですか?」

「バッドビューティー!」


 腕と足で大きく×印を作ったスメラギ。


「美というのは、ナンバーワンじゃなくてオンリーワン。チョコレイト工場じゃなくて、花屋の軒下に並んでいるそれぞれの花」

「ど、どういうことでしょうか?」

「あなたテレビは見る派?」

「唐突な質問。まあ、昔ははい」

「ならよかった。今の若い子は違うらしいから、それならそれで説明も合せないといけなかったから……モデル、女優、美人スポーツ選手。まあ他にも色々いるけど、テレビの向こうには綺麗だとされる人が大勢いるわよね」

「ほんと……アタシなんかと大違いでどれだけ努力しても足元にも及ばないかと……」

「それは違うわ。じゃあ、あなたが美人だと思う人を思い浮かべて。その人たち、みんな同じ顔してる?」

「えっ? いえ。全員輝いていますけどそれぞれ個性的で」

「そう()()。大事なのはそこなのよ。確かに、美醜というも基準はあるわ。でも醜いとされるものは決して磨いてないだけで、美になりえないものなんてはこの世に存在しない。炭だって、天然のダイヤモンドと変わらないほどの人工ダイヤモンドになるように」


 ただの黒い塊でしかないそれが、光の結晶に変化していくイメージが思い浮かぶ。

 口裂け女は地面を見下ろしながら、口を開く。


「こんなわたしでも、ダイヤモンドになれますか?」

「人間は誰だってその気になれば、ジュエリーになれるわよ。妖怪でもね」


 この夜から、口裂け女の美容トレーニングが始まることとなった。


 次の朝、川辺にはふたりの姿があった。


「ハアハア。もう無理」

「はいはい。そんくらいじゃへばらない」

「綺麗になるのに、走ることに意味なんてあるんですか。ゼエゼエ、わたし人怖がらせる時とかもあんまり追わないタイプでして」

「無駄な肉を削ぎ、弛んだ体をピンと張らせる。運動は最も美しくなる近道よ。ほらダッシュ。追い抜かれたらノルマ倍だからね」


 ジャージ姿の口裂け女が、汗まみれで走っている。

 その背後までスメラギが乗ったスクーターが迫るが、聞き終えた口裂け女は全力疾走を再開した。


 キッチンにて――


「常識だけど、食事も大事よ。一食たりとも無駄にすることなく、綺麗になるための栄養素を補充すること」

「こんなに野菜食べられませんよ~あとフルーツじゃなくてチョコレート食べたい~」

「お黙り! 出されたもの残さず食べなさい! あとしばらくしたら、アナタ自身の手で作ることよ。自分の糧となってくれた食材への感謝を忘れないように。ほら、挨拶」

「いただきます!」


 メイクルームにて――


「バッドビューティー! なによこの化粧! 化粧舐めてるの!? 食事の時間はもうとっくの昔に過ぎてるわよこの食いしん坊!」

「でもコーチ、大事なのは個性だって」

「それと同時に言ったわよね。大切なのは磨くことだって。確かにファッションというのは自己表現。究極のところ、自分さえ満足していればそれでいい。でもそれじゃオ〇ニーと変わらないわ」

「お、オ〇」


 羞恥で目を反らす口裂け女だったが、スメラギは回りこんで視線を合わせるのを絶やさない。


「あなたの目的はなんなの!? 自分さえ満足ならば、アタシはもうこれ以上口を出す必要はないわ」

「わたしの目的……」


 彼女の脳裏に浮かぶのは、あの前に出会った若い男。

 自分よりちょっと身長が高く、ヒールを履いて同じ程度。髪は染めているが悪目立ちするほどじゃなく、見ていて楽しい。仲間と一緒に肩を組んでいる時の笑顔が本当にかわいくて――

 

 鏡を見た口裂け女は、今の自分が彼の隣に立っている光景を想像した。


「相応しくありません。わたし、もっと綺麗になりたいです」

「よく言ったわ。いい、じゃあアドバイスするけど、まずは実践するんじゃなくてあそこの本棚から雑誌などを読んで勉強すること。でも勘違いしないで。あなたが目指すものはオンリーワン。決してまるっきり流行に合わせて媚びるんじゃなくて、相手を惹きつけることに注意しなさい」

「媚びるんじゃなくて、惹きつける」


 反芻した口裂け女は、その言葉に気を付けながら早速アドバイス通りに行動する。


 寝室にて――


「美肌のために早寝早起き! 夜型のアナタのために子守唄を送ることにするわ。ねーむれーねーむれーオカマの手に」

「うるさーい! 音痴なうえに替え歌とか余計に眠れませんよー!」


他にも、エステ、音楽、ヨガ、ポージング、etc.、様々なことを口裂け女はスメラギによって仕込まれた。


 そんな日々を過ごすこと三か月。

 

 深夜の電灯の下に、口裂け女は立っていた。


「……」


 ゴクリ

 息を呑んで、ただじっと目の前の闇を見続ける。


 おでこから汗が垂れる。


 いつになく彼女は緊張していた。こんなにも動悸が激しいのは、人生においても初めてだった。


 スカートの裾を握りしめる。


 コツン……コツン……


 きた。

 靴音が近づいてくるのを耳にしながら、人が現れるのを待った。


「でさ。この前、お化けに遭遇したんだけど」

「ひぃっ!」

「……あれ? 誰かいたような?」


 スマホで話す男が光に晒されるが、ザッ、とその瞬間に口裂け女は後ろに猛ダッシュして曲がり角に駆けこんでいた。


「なにやってんのおバカ!」

「で、でもコーチ~」


 道の先から見張っていたスメラギは逃げてきた口裂け女を怒鳴りつけた。

 彼女は瞳を潤ませながら、困った顔でオロオロとする。


「でももモモもここにはないわよ。さっさと戻らないと川に送り返すわよ」

「なに言ってるのかさっぱり分かりませんよ~」

「うん。たしかこのへんだったんだよね」


 影から確認すると、男は停止してそこにいたままだった。

 運が良かったのか、はたまた不幸か。とりあえずまだ機会が残っているのを確認すると、スメラギはギロリと口裂け女を強い眼光で睨みつける。


「アンタなにがしたいの!? あいつに告白したいんじゃなかったの!」

「いやそこまでは。おばけのわたしじゃとても恐れ多い……ただ、もう一度面と向かって会えるだけで」

「めんどくさっ。もういい。アタシが告白してくる」

「なんでっ!? ちょっと待ってください!」


 角から出ようとするスメラギを、口裂け女は強引に抑えつける。


「放しなさいよ!」

「嫌ですよ。というかなんで今日会ったばかりのあの人にコーチが告白するんですか? 好きでもなんでもないでしょ」

「そうよ。でもね、アタシにはそれでもOKをもらえる自信があるから」

「自信?」

 

 抵抗して暴れるスメラギ。本気で捕まえてなければ、そのまま宣言通りに彼に会いにいきそうだった。


「アタシは、常にアタシにとって最高の美を保っている! そんなアタシが好きと言って、嫌いになる男なんているはずがない!」

「それはさすがに自意識過剰じゃ……」

「そうかもしれないわ。でもね、それほどまでの努力をアタシはし続けてきた。たとえ断られてしまっても、相手の男が自分を理解できなかったと馬鹿にできるくらいのね!」

「……」

「口裂け女! アンタにとって、アタシと過ごした日々なんて所詮はおままごとだったんでしょ? だからアンタは自分を信じきれていない。自分が好きになれるほどの自分になりきれていない! こんなのアタシにとって、バッド通り越してワーストビューティーよ!」


 スメラギの涙ながらの叫びを聞いて、口裂け女は今日までのことを思い出す。


 鏡の前に立っている自分。

 椅子に座るたびに痩せ、ニキビが減り、染みが消え、潤っていく。最初はどうすればよかったの分からなかった化粧が、だんだんとこうすればいいと考えられるようになって、口紅ひとつ違うだけで別人になれるのが楽しかった。

 

 今日ここに来る前に映っていた自分はどうだったか?

 

 口裂け女は、健康的に輝く爪と決して今まで自分が着てこなかった薄くて清潔感のある服を眺める。


「コーチ」

「なによ」

「今日まで、ありがとうございました」


 スメラギを放した口裂け女は、曲がり角から足を伸ばした。


 男に近づいていく。

 スメラギが動く気配はなかった。


 電灯の下に、再び、彼女は立った。


「……」

「そんじゃまた今度。うわっ」


 電話を切った男は、口裂け女が寸前の距離にいることに気づいた。

 驚いた彼は、上から下まで突如現れた女の姿を見つめる。


 目と目が合うと、口裂け女は自らのマスクに手をかけて言った。



「わたしって――キレイ?」



 真っ白なポリエステルを脱ぎ捨てると、そこにあったのは熟した林檎の皮を剥いたような唇。微笑みの中には、ホワイトニングされた牙が光を反射していた。

 

 口裂け女を前にした男の表情は凍りつく。

 

 駄目だったか……でもせめて一番綺麗なわたしを彼に見せたい……

 

 諦めを感じつつも精一杯やり遂げようとする。

 意外にも男は逃げずにそのままいると、やがて声を紡いだ。


「綺麗になったね」

「えっ?」

「この前は微妙って言ってごめんなさい」


 深く頭を下げる男の言葉に対し、口裂け女は驚愕する。


「嘘っ。覚えててくれたの」

「そりゃそんな口しているんだもの。忘れるわけないわ。でもあの時は酒のテンションでおばけでも怖がらなかったけど、今はそういう気持ちも湧かないかな」

「そ、そうなんですか」

「あっ、よかったら今度お茶しない? 近所にいいカフェ知ってるんだけど」

「は、はい。でもわたし、スマホどころか携帯も持ってなくて。あっ、念波とかは飛ばせるんですけど。ビビビ」

「うおっすげ! 頭の中にそのまま聞こえてくる!」


 楽しげに話す男女。そこにはもうお化けと人間という種族の境界線はなかった。


 もうこれからのことは、きっと彼女ひとりでどうにかしていくことだろう。


「グッドビューティー。お邪魔虫は静かにいなくなることにするわ」


 自分の助けが必要ないことを確認したスメラギはなにも話しかけることなく、そのまま彼女たちから離れていく。




 ひとりでひっそり成功を祝うことにした彼は、最寄りの馴染みの飲食店へ足を伸ばそうとする。


 ブルブル

 マナーモードで震えるスマホを開く。


「非通知みたいだけど、あなた誰?」

「右を見て」


 聞き覚えのない声。

 渋々とスメラギが従うと、ゴミバケツの隣に外国人の少女が立っていた。


「私、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの」


 虚ろな目をした少女は、一度、瞼を閉じると姿が消える。

 幻かと思っていると、今度は背後からスピーカーと同じ声がした。


「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」


 スメラギは口角を左右同時に上げながら振り返る。

 


「あらあなた。いい素材を持っているわね」



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