9 神水
帰宅した。愛吹は、夕方まで出かけている様だ。とりあえず持ち帰った真鯛三匹を裁く、一匹は、夕食のアクアパッツァに、一匹は短冊にして昆布締めにして、明日か明後日に食おう。もう一匹は、やっぱり刺身かな?
シャワーを浴びて、釣り道具の掃除と潮抜きをする。
ベッドに転がって、神力についてスマートフォンで調べてみる。
「へぇ、明治の初めに実際にいたんだ」
ほとんど食事を摂らず、空気中から神水を生み出して、栓をした一升瓶を満たし、その水は万病に効いたのだそうだ。
医師免許を持たずに医療行為を行ったとして、三度も逮捕されたが、厳しい監視の下で実際に神水を生み出して裁判で認められて無罪になったのだと。
この女性も神懸かりだったのかも知れないが、良い事をして逮捕されるなんて、なんと気の毒な話しだろう。
この人は、この力を使った事で何かを得ることが出来たのだろうか?
失うものの方が多かったのではないだろうか?
やっぱり俺の神力も考え無しに人のためと思って使うと、この女性と同じ様に犯罪者扱いされてしまうだろうな。
なんとなく力を持った時から感じてはいたが、この力は自分に対して使う以外は、秘匿しておいた方が良いようだ。
「神水かぁ〜」
神力を持った俺にも作れるのだろうか?
台所に行って、シンクの中に空になったペットボトルを置き、水で満たされたイメージで手の平をかざしてみる。
気が手の平へ流れ始めたイメージはあったのだが、途中で押さえ込まれるように止まってしまった。
「あっ、いかんいかん!」
ペットボトルのキャップを捻るとコーラを開けた時の様に中の空気がプシュッと抜けた。
今度は、キャップを外して気を送ってみる。あっと言う間にペットボトルから、湧き出た水が溢れた。
「ふーん、俺にも出来たじゃん」
飲んでみる。無味無臭、色も無く透明な水。ネットの女性は、色んな色の神水を栓をした一升瓶に生み出せたらしいが、俺の場合は容器の空気の抜け口を作ってやる必要があり、色も付いていないようだ。
イメージしたら、酒とか別のものも出来るのだろうか?
やってみたが、水しか出来ないようだ。
どのくらい出来るのだろうか?
今度は、バスタブに向かって神力を使ってみる。
バスタブが満杯になった。少しクラついて、軽い吐き気がした。あまり大量に使うものでも無さそうだ。
このくらいが限界なのかな?
「ただいま〜」
玄関で愛吹の声がした。
「お兄ちゃん、今日は釣れたの?」
「おう! バッチリだ。真鯛の刺身とアクアパッツァかな、シメにパスタだな」
俺は、料理にかかる。
ホットプレートにオリーブオイルを敷いて、ニンニクを炒め、今日釣った真鯛を焼き始める。
タイを裏返し、アサリとミニトマトを入れ白ワインを注いで、蓋をして蒸し焼きにする。
アクアパッツァとは、イタリア語で『狂った水』という意味なのだそうだ。
聖水とも言える神水を作って、狂った水を食べてりゃ世話ないわ。
と俺は思いながら、ふと刺身に神力を注いだら、どうなるんだろう? と思いついた。
早速、冷蔵庫から作って置いた刺身を出してきて、ハンドパワーを使ってみる。見た目は何も変わらない。
食べてみて驚いた。
身がブリブリ! 歯ごたえと言うか、噛んだ時の弾力が凄い、しかもジューシーで水っぽさが全く無く、元々釣りたてで鮮度は良いのだが、泳いでいるタイの切り身を食べた。と表現すれば良いのか、そんな感じだ。
これは、アクアパッツァにも当然ハンドパワーでしょ!
「お兄ちゃん! 今日のお風呂のお湯なんなのよ?」
あっ、お風呂に神水入れたまま、忘れてたわ。
「温泉みたいに、身体がツルツルになっちゃって、赤ちゃんの肌みたいになったわよ!」
なるほど、飲んで健康になるんだから、浸かっても身体に良いかも知れないな。
「いや、普通に水を張っただけだけど」
俺は、そう嘯きながら、上気して元々若いが、更に若返って見える愛吹を見た。