第28小節目:かばん
「んじゃ、おやすみ、小沼」
「お、おやすみ」
吾妻がドミノ倒しになっている3人の脇を通って自分の部屋へと帰って行く。
「なんで小沼くんにだけ言うの……?」
「「さぁ」ー……」
なんてやりとりをしてから、おれたちも部屋に戻った。
すると、間たちチェリーボーイズも自室へと帰ってきていた。
「小沼っち、四天王のうち3人を連れて帰ってくるとかパネえ……」
安藤が感心している。う、たしかに……。
「さっきまでゆりすけもいたから」
「沙子さん、さすがに今ドヤ顔はちょっと変じゃない……?」
そんな他愛ない話をしている脇では。
「け、健次ぃ。ホタル池に行ったんだってー……?」
もじもじしながら英里奈さんが間に話しかけていた。……間の前だと、そんな表情もするんだな、英里奈さん。
「ああ、まあ」
すげなく返す間。まあ、じゃねえだろ。
「どう、だったー……?」
「どうもこうもねぇよ、好きでもない女からの告白なんか、断るに決まってんだろ」
「そっかぁ、そうだよねぇ……」
安堵したような、それでいて切なそうな顔で、英里奈さんは微笑み、うつむく。
おそらく、間の虚勢は、沙子に向けてのものだろう。
それでも、傷つく人がいるのだということを、こいつは気づいていないのだ。
おれはなんだか、むしゃくしゃしてしまい、
「……大富豪やろうぜ」
とみんなを誘ってみる。
「おし、今日は負けねぇから!」
間が乗っかってくる。
「……いや、今日もおれがボロ勝ちする」
だって、昨日、おれはたったの一回だって大富豪の座を譲らなかったんだ。
ささやかすぎて、なんの意味もないかも知れないけど、それでも。
なんか、間の鼻を明かしてやらないと気がすまない。
おれは、ゆっくりとトランプをシャッフルする。
「……たくとくん、ありがとぉ」
小声で英里奈さんが礼を言ってくれた。
……一時間後。
「上がり! わーい! また大富豪だ!」
案の定、ボロ勝ちしていた。
……市川が。
「たくとくん……ドンマイ、ちょっとカッコよかったよぉ……さっきまでは……」
おれの方こそ虚勢でした、すみません!!
「ふはぁー、眠いよぉー……」
英里奈さんが手近な布団にごろんと転がった。
「もぉ、ここで寝ちゃおうかなぁー……だめぇ?」
い、いや、おれを見て言われても困るんだけど……! ていうかその布団おれの布団なんだけど……! ていうか、なんか浴衣がちょっとはだけてるんだけど……! チェリーボーイズの間以外が目をそらしながらも喉を鳴らしてるんだけど……! 当たり前におれもなんだけど……!
「ダメだよ、ちょっと、英里奈ちゃん、帰るよ?」
「えぇー、天音ちゃん、なんか委員長みたいー……」
「いやいや、うちのクラスの委員長は英里奈ちゃんでしょ?」
「うぅーん、そうだねぇ……」
「ちょっと、目を閉じないでー!」
英里奈さんと市川のカップリングか、これはあるな……。
「……拓人、アホみたいな顔してる」
ですよね、すみません。
女子たちも帰っていき、さすがに疲れていたのか、チェリーボーイズたちが眠りにつく中。
朝4時半くらいに、ふっと目が覚めてしまった。
ていうか、布団から微妙にいい匂いがするせいで、そもそもうまく寝付けない……。
「はあ……」
ため息をつく。
これはもうこのままじゃ寝付けないやつだ……。
そっと布団から這い出て、暗い廊下に出た。自分の足音がやけに響いて聞こえる。
昇降口にある自販機で缶コーヒーでも買うか、と階段を降りると。
そろーっと棟を出ようとする人影を見つけた。
「何やってんの、市川」
「あ……小沼くん」
バツの悪そうな表情で振り返る。
「……どっか行こうとしてる?」
「えっと、ね……」
市川は何かを少し迷ってから、
「……小沼くんも、ちょっと付き合ってくれない?」
と言った。
市川に連れられて、未明の肌寒い空気の中、てくてくと歩いていく。
「えっと……市川部長? これ、合宿場の外だと思うんですけど」
「そうだね……もう一緒に来ちゃってるから、小沼くんも共犯だよ?」
「そうすか……、どこいくんだ?」
「着いてからのお楽しみ!」
楽しそうに笑う市川。いや別に、部長がいいならおれは全然いいんだけどな……。
「小沼くんはさ、合宿、楽しい?」
「んー、まあ」
「あはは、すごい塩対応じゃん」
「す、すまん……」
そんなつもりはないんだけど……。
市川も微笑みながらも黙ってしまう。
もう5分ほど歩いた先。
「よーし、着いたよ!」
雑木林を抜けたところにあるその光景に、おれは息を呑んだ。
「市川、ここは……」
「ここがホタル池だよ、小沼くん」
市川は照れくさそうに言った。
「これはすげえな……」
ホタル池が告白の名所だということもそっちのけで、おれはその風景に目を奪われる。
目前に広がる大きな池。
そして水平線の先、東の空からは合宿最終日の赤い太陽が顔をのぞかせていた。
朝の訪れに気づいたように囁き始める鳥の声、ささやかな風に揺れて音を立てる草木、乱反射する赤い光。
「やっぱりきれいだよねえ……」
横を見ると、市川が微笑んでいる。
その儚い笑顔までもが、この景色に溶け込んでいた。
「去年、告白されたあとでなんか寝付けなくなっちゃって、1人で朝抜け出して来たんだ。そしたら、こんなにきれいな景色で。私は歌を口ずさもうとして……で、当たり前だけど、声、出なくってさ」
「そっか、それで……」
おれがそういうと、市川はそっとうなずく。
「去年は、こんな風に笑えてるなんて思わなかったなあ……」
優しく微笑んだまま、そっとうつむく。
「私ね、小沼くんと出会うまで、ずーっと1人で音楽してたんだなあって思う。小沼くん風にいうなら『ぼっち』だね」
えへへ、と市川は笑う。
「でも、小沼くんと一緒に音楽やるようになって、小沼くんが由莉を連れて来てくれて、沙子さんを連れて来てくれて。英里奈ちゃんとも前よりもずっと話せるようになったりして。楽しいこと、すごく沢山増えたんだ」
「そうか……」
なんだか突然自分の話をされて、ドギマギしてしまう。
「でもさ、楽しいことが増えるほど、なんだかちょっと胸が痛かったりしてさ。なんでだろうって思ったんだよ」
あはは、と少し笑ってから、市川は言いきった。
「私、この日常が終わるのが寂しいんだ」
「……高校が終わるまでには、まだ一年半もあるだろ」
おれが言うと、
「だけど、来年はもう合宿には来ないよ? 高校生の夏合宿は、もう、一生来ない」
おれはその言葉にハッとする。
「楽しかったなあ、今年の合宿。去年よりもずーっと楽しかった。嬉しいことも笑うことも……ムッとすることもすっごく沢山増えた。なんでだろう?」
「さあ、どうだろうな……」
去年合宿に来ていないおれには、分かるはずもない。
「なーんてね。 その理由なんて、本当は分かってるんだ。それを言葉にするのがちょっと……怖いだけで」
そういってから、すぅーっと息を吸って。
東の空を背景に、優しく笑う。
「それはきっと、小沼くんがいたからだよ」
おれはその言葉に声を奪われる。
「え、えっと……」
「なんてね!」
市川は、沈黙を振りほどくように、いたずらっぽく笑った。
「まだ、合宿終わってないし! 今日の演奏会、頑張らなきゃね!」
「そ、そうだな……」
市川は、それから、誰に聞かせるでもなく、去年は歌えなかった鼻歌をそっと歌うのだった。
* * *
ねえ、なんでだろう?
楽しいとか嬉しいが大きいほど 切ないも大きくなっていく
割り勘のアイス、机の落書き、「おはよ」の挨拶
あと何回くらい なんて数えかけてやめた
ねえ、なんでだろう?
こんな日々が普通であるうちに その答えは分かるかな
夕暮れのベンチ、帰りのコンビニ、「またね」の挨拶
あと何秒くらい その横顔を見られるのかな
知らないふりして また笑ってみせた たった一つだけの 当たり前の平凡な日常
* * *




