第19小節目:新しい世界
「なに、二人で勝手に練習してたの」
朝食の時間になり、食堂に行くと、むくれた沙子が腕を組んで座っていた。
「ごめんね、沙子さん……」「すまん、沙子……」
おれと市川は口々に謝った後、
「小沼くんが勝手に……」「市川が勝手に……」
お互いを指差してそう言った。
やばい、かぶった……。
「……なんか気が合ってるのが一番ムカつくんだけど」
「「すみません……」」
「また……!」
沙子の文末に『!』が付いてしまった。これは怒ってるぞー……。昨日の花火大会の時はあんなに上機嫌なさこはすだったのに……。
「おはよぉー、あれ、どぉしたのー?」
普段着に着替え済みの英里奈さんがふわぁーとあくびしながら食堂に入ってきた。
「別に」
沙子が冷たく言い放つ。
「ふーん……? さこっしゅ、なーんか怒ってるねぇ? カルシウムとか乳成分がいろいろ足りてないんじゃないー? ミルク飲むぅ〜?」
沙子の胸元を見ながら、『シパーフ乗るぅ〜?』みたいに英里奈さんが言う。
てか、『カルシウムとか乳成分がいろいろ』の『乳成分がいろいろ』ってなんでしょうねえ……。英里奈さんこれ以上さこっしゅを怒らせないでね?
「飲む」
沙子はその悪ーい視線には気づかないまま、天然悪魔が注いだ牛乳をぐぐぐっと飲み干した。
コップをカタン、と置いて、
「今日の練習、うち、めっちゃ頑張るから。一人だけ寝てて、バカみたいじゃん」
と宣言した。
おれは、中学の吹奏楽部時代のストイックな沙子のことを思い出していた。
そうだ、こいつ、性根は頑張り屋さんなんだよな……。ていうか、自分が入ってなかったことに拗ねてるんだね沙子ちゃん……。
「拓人、にやけんな」
「はい、すみません……」
「はい小沼くん、怒られてるー」
ぷーくすくす、と市川が笑う。
「市川さん」
「はいっ!」
とたんに、沙子の怒りの矛先が市川に向かう。そりゃそうだ、ばーかばーか。
「抜けがけは、死刑だから」
「し、死刑!?」
そりゃ市川も驚くわ。
ていうか昨日から沙子、殺意わかせすぎじゃない?
「ねぇー、いただきます待ってるんだけどぉー。早く食べようよぉー」
フォークを持った天然悪魔がふくれっ面をしている。(なんで悪魔ってでっかいフォーク持ってるんだろう)
ていうかいただきます待ってたんだね英里奈さん。
そんなやりとりをしながら朝食を食べて、食堂を出た。
「ごちそうさまぁー! おなかいっぱぁーい! 略して、おなぱい!」
「え、英里奈ちゃん!?」
「「…………」」
おれと沙子は昨日と同じ轍は踏まないのだ。
「んんー? 天音ちゃんどうしたのぉー?」
たとえ、市川が餌食になったとしても。
「え、えーっと、いや、別に、なんでも……」
頬を赤らめてうつむく市川。
「えりな、何か変なこと言ったかなぁー?」
いやらしい顔をした英里奈さんが市川の顔を覗き込む。
「なんでもないって……!」
「んんー?」
意地悪をする英里奈さんと、それから逃げる市川は2人してトコトコとその場から立ち去ってしまった。
「助かった……」「ざまぁみろ」
置いてかれたおれと沙子は2人でふぅ、と安堵のため息をつく。……なんか沙子は違うこと言っている気がするけど。
すると、食堂から茶髪部長が出てきた。
「お。小沼とさこはすじゃん。おはよー」
「おはよう」「ゆりすけ、おはよ」
ちょうどいい。
おれは、かくかくしかじかと、吾妻と沙子に今朝(まだ朝なんだけど)のスタジオでの出来事を話した。
「『小沼くんと由莉で、『わたしのうた』を超える曲を、作ればいいんじゃない?』って、天音がそう言ったの?」
「ああ、そう言ってた」
おれはうなずいた。
「市川さんは、何様なの」
沙子様が若干顔をしかめている。
その脇で、吾妻はふふふ……と静かに笑い出した。
「……どうした?」
「ほんと、amane様はどこまでも完璧だね」
「なにが……?」
吾妻が笑顔をパアっと輝かせて、語り始める。
「わからない? amane様は『勝手に敗北してないで何度だって挑め』って言ってるんだよ」
「勝手に……?」
「そう。あたしたち、勝手に負けてんだよ。誰にも何も言われてないのに、自分たちで自分たちに限界作って、諦めて。まだ、負けてないかもしれないのに。ああ、ほんと、どうかしてた! あたしとしたことが!」
なんか、吾妻が一人で悟って先に行っちゃってる気がする。
「ねえ、小沼、やるしかないね!」
前のめりに吾妻が言う。
「お、おう……」
「いや、もっと気合い入れて!」
「お、おー!」
「よし!」
吾妻が腕を組んで満足げに頷く。腕を組んだ時の威圧感が、沙子とはまた別種ですよね、吾妻ねえさん……。
「あ、そういえばもう一個、市川が言ってて何かよくわかんないことがあって」
「ん、なに?」
吾妻が首をかしげた。
「『2人は『わたしのうた』がなかったら『平日』がないとばかり思ってるみたいだけど、あの日、『平日』がなかったら『わたしのうた』はなかったんだからね?』って」
「一字一句覚えてるの普通に気持ち悪いんだけど」
沙子が横でなにか言ってる気がするけど気にしない。
「はあ……?」
吾妻も首をかしげている。
「それは、順番がおかしくない? 『わたしのうた』は『平日』がなくてもあったよね?」
やはり、吾妻のスキル《読心術》を持ってしても解読不能か。
「だよなあ……」
うーん、と2人で再度腕を組む。
すると、
「……え、まじでわかんないの」
沙子が呆れを通り越してひいたような顔でこちらを見ている。
「「え……?」」
おれと吾妻がハモる。
「つか、今日拓人ハモりすぎ」
「す、すまん……」
ん、俺が悪いのか?
「え、さこはすには分かるの? 天音が言ってること」
「さっきの拓人の言葉が本当に一字一句間違ってないなら」
「間違ってないけど」
おれは自信を持ってうなずく。
「言い切んな、気持ち悪い」
虫でも見るような目つきでおれを見る。ひどいよさこっしゅ。
はあ……と、沙子は深くため息をついて、
「『あの日』って市川さんは言ったんだよね」
「おう」
おれは再度うなずいた。
「2人とも、アンコールを受けたのは『わたしのうた』じゃなくて『平日』だってこと、忘れてんじゃないの」
「「あ……」」
おれと吾妻は唖然とする。
「だから、あの日、『平日』があんなに良い曲じゃなかったら、そもそもアンコールを受けることもなくて、『わたしのうた』は演奏すらされなかったってことでしょ。そしたら、市川さんの声が出るチャンスさえ来なかった」
「「た、たしかに……」」
そうか。
あの日、『わたしのうた』の演奏は『平日』なしではありえなかったんだ。
おれたちは、2曲演奏した後の結果ばかりを追いかけて、肝心なことを見落としていたらしい。
「2人とも、マジで、自分のことになるとバカ過ぎなんだけど……」
沙子が結構はっきり呆れている。
「んじゃ、先行くね。今回ばかりは市川さんに同情するわ……」
沙子が相手してらんないわ、という感じで立ち去る。
残されたのは、口を開けて呆然としているバカ作曲家とアホ作詞家のコンビだった。
「……えっと、小沼」
「……うん、吾妻」
2人でお互いの顔を見合わせる。
「「もしかして、出来るんじゃね?」」
パシン!! と二つの手のひらが高らかな音を立ててぶつかった。
新しい朝が来た。




