第50.3小節目:やわらかな日
4時間目が終わるチャイムが鳴り、かばんを開けた時のこと。
「あっ……」
おれはついつい声をあげてしまう。
「弁当忘れちまった……」
ゆずに怒られる……。
我が家は両親共働きなので、妹のゆずとおれが交代で2人分の弁当を作っている。今日はゆずの当番だ。(ゆずは偉い子なので、部活の朝練に早くから参加するので学校まで1時間半もかかるおれよりも早く家を出るのである。)
仕方ない、あとでゆずには謝ってお弁当は夜ご飯に食べるとして、今日の昼は学食で何か買おう。
ふう、と息を吐き、財布を開く。
「えっ……」
本日二度目の嘆息が漏れる。
なんと、財布には60円しか入っていない。何、どうやって生活するつもりだったのおれ……。
困った。ぐーぺこなのに。ああ……どうしよう……。
目を閉じて天井をあおぐ。
「小沼くん?」
すると横から、芯のあるけど可愛らしい声が聞こえた。そちらを見ると、市川が心配そうにこちらを見ている。
「どうしたの? そんな世界の終わりみたいな顔して」
どうやら無意識のうちにずいぶんとドラゲナイ顔、間違えた、情けない顔をしてたらしい。
「あ、いや、弁当を忘れちゃってな……」
頬をかきながらそう答える。
「そうなの? じゃあ学食?」
「いや、それが、60円しかないんだわ……」
これじゃあ水も買えやしない。
「ありゃ、大変だね。お金貸そうか?」
「え、いいの!?」
amane先輩マジ天使……!
「うん、ちょっと待ってね……」
天使はそう言いながら自分の財布を開いて、「あっ……」と声を漏らす。
「……どうした?」
訊いてみると、困り眉で笑う市川さん。
「えっとね、お金はあるんだけど……」
「あるんだけど……?」
市川が財布の中からそっと紙幣を一枚取り出す。
「二千円札なんだよね……」
「まじで!?」
市川の手には、人物ではなく何かの門が書いてある斬新なデザインのおもちゃみたいなお札が一枚。初めて見たけど、何これ? 噂には聞いてたけど……。てか、こんなお札要る?
「これ、学食の食券機で使えなさそうだよね……」
「いや、物理的に使えるか使えないかとかじゃなくて、単純に使うの悪いわ……レアものじゃん……」
「あははー、ごめんね……」
市川が財布に二千円札をしまいながら謝ってくれる。
「いや、市川は何も悪くないだろ。ハッピーミレニアム……」
「ハッピー、ミレニアム……?」
市川が首をかしげていらっしゃる。うん、おれも自分で何言ってるかよく分かんないから大丈夫だよ。
それにしてもまずは今日のご飯だ。
同じクラスでお金を借りられる人といえばあともう1人くらいしかいないんだよなあ……。
「英里奈さんいるかな……」
そうおれが言いながらキョロキョロしようと視線を動かすと、
「お、小沼くん」
目の前の市川が頭を動かして、ずいっとおれの視界にカットインしてくる。
「ん、なに?」
ていうか近い近い近い近い……。
「えっと、私のお弁当食べない?」
「いや、悪いよ」
「実は今日ちょっと初めて作ったものがあってね」
ね? と、市川が小首をかしげる。
「え、市川って自分で弁当作ってんの?」
「うん、そうだよ?」
そうなんだ……! まあたしかに、いつもご飯の手伝いのために夕方に帰るもんなあ。
ていうか待てよ? じゃあ、市川の弁当の中には市川の手料理が……!
そんな当たり前の事実を認識した途端、おれの中の(小)悪魔が首をもたげた。
『たくとくん、女の子の手料理なんてなかなか食べられないよぉー? それもあの、天音ちゃんの手料理だよぉ? いただいちゃおうよぉー』
対抗するかのように、おれの中の天使も現れる。
『小沼くん、人の厚意は無下にするものじゃないよ?』
よし、脳内のおれ、全会一致だ。
目の前では市川(実体)が
「小沼くん、なんかニヤニヤしてて怖いよ?」
と引き気味である。
「すみません!」
急いで謝る。
『怒られたぁー、たくとくん、ダサ過ぎ!』
『小沼君、反省しよう、ね?』
おれの中の悪魔と天使、うるさい。
といいつつ。
このまま、みんなもいるこの教室で仲睦まじく一つの弁当をつつくのもさすがに恥ずかしいので、空き教室に移動した。
窓際の席に市川が座り、おれは前の席の椅子だけをくるっと回して座る。
「よし、じゃあ食べますか!」
「おー」
掛け声ぶれないな。
市川がお弁当を机の上に広げる。
下の段にはご飯が、上の段にはおかずが入っているオーソドックスなスタイル。
そして、味付のりが数枚ラップにくるまって入っている。
「てかさ、箸、どうしよう? 一膳しかないよな? 当たり前だけど」
それでは間接……なんとやらになってしまう。
「そういえばそうだね……」
市川が唇に指をあてて、んんーと考えている。出た、市川の考えるポーズだ。
数秒後、
「良いこと思いついた」
天才天然天使天音が何かを思いついたらしい。
も、もしかして、「あーん」的な……?
おれがドキドキしていると、市川が海苔を包んでいたラップから海苔を取り出しお弁当箱のフタの上に置く。
そして、ラップを広げてその上にご飯をお箸で取って載せる。
「おかず、生姜焼きでもいい?」
「え? もちろん。生姜焼き大好き」
「あはは、大好きなんだ。おっけー」
市川は生姜焼きをラップの上のご飯の上に乗っける。
そして、ラップごと手に取り、ラップの上からご飯と生姜焼きをぎゅっと握り始めた。
「おにぎり……?」
「そう! 良いアイディアでしょ?」
「そうなあ……」
……いや別に、残念なんかじゃないから! ほんとだよ!
『たくとくん、何期待してたのぉー?』
『小沼くん、反省しよう、ね?』
うるさいうるさい!
おれが脳内の美少女2人(おれの中の天使と悪魔なのに美少女なのはおかしいですね)に抗議している間に無事おにぎりが完成した。
なんと、持ちやすいように海苔まで巻いてくれるというホスピタリティ。
「ありがとうございます……!」
「どういたしまして!」
ニコッと笑う市川。
あーんがあろうがなかろうが、それでも市川の手料理であることにはかわりはなくて。
おれはなんだか照れくさい気持ちのまま、そっとそのおにぎりを口に運んだ。
「おいしい?」
目の前でにこーっと優しく訊いてくる市川はまるで……。
「うん、めちゃくちゃうまい」
「そっか、良かった」
市川がえへへー、と嬉しそうに笑いながら自分のお弁当を食べ始める。
もぐもぐしながら、
「今朝初めて、生姜焼きをタレから自分で作ったのを入れてきたんだ、だから、味見してもらえて良かった」
と言った。
「そうなんか、こちらこそありがとう」
それにしてもいくらでも食えそうなくらいめちゃくちゃうまいな、これ。ご飯がススム……。
「小沼くん、また味見してくれる?」
「うん、毎日でもしたいくらい」
ゆずが作る日はおかずが一品、成長期の男子の胃袋には足りないんだよなあ。まあ弁当忘れたおれが言っていいことではないけど。
「……!」
市川の手がわなわなと震えている。
「……?」
見上げると、市川の顔がみるみる赤くなっていく。なに……?
「また、そんなプロポーズみたいなこと……」
え? ん? ああ……! ああ!!
「……すみません!」
こういうの多いなあ、おれ、気をつけないと……。
「もう、慣れてきたからいいけど……」
『たくとくんはどこまでもたくとくんだなぁ……』
脳内の悪魔があきれ返る中、
「小沼くん、反省しよう、ね?」
と言ったのは、脳内の天使か、目の前に座った実体の天使か。
恥ずかしすぎてうつむいていたおれには分からないままだった。
「ちょっと、聞いてる?」
「はい……すみません……」




