第52.2小節目:Don't Look Back In Anger
「拓人、ここのベースライン、どうしたらいいかな」
いつもの吉祥寺の貸しスタジオにて。
球技大会後の沙子の衝撃のカミングアウトと仲直りを経て、おれたちはロックオンに向けて、『平日』の練習に明け暮れていた。
「ん? なんか問題あるか?」
「あんま納得いってないんだよね」
ふーむ……。
「でも、もうスタジオの時間終わっちゃうね……」
市川が残念そうな声をあげる。
時計を見ると、スタジオ終了時間の10分前だ。片付けに5分かかるとすると、もうほぼ終わりの時間である。
「そうなあ……。沙子はどう納得いってないんだ?」
「わかんない」
「わかんないって言われてもなあ……」
そしたらおれもどうしたらいいか分かんないです沙子さん……。
「うち、あんまりこういう邦楽っぽいベースラインの引き出しがないのかも」
「なるほど……」
沙子は親の影響でもっぱら洋楽ばかり聞いている。
おれもJ-POPというようなものを聴き始めたのもamaneを聞いてからであり、沙子はamaneの音楽をあまり気に入らなかったと言っていたので、そのあとにもJ-POPの
CDは貸していなかった。
「ねえ、拓人、だからさ」
「ん?」
「ディスクユニオン、行こうよ」
「それだ!」
ということで到着しました、ディスクユニオンの前!
「わー、2回目のディスクユニオンだー!」
市川が嬉しそうに、胸の前で小さく拍手をしている。
「なんで市川さんも来たの」
「なんで私が来ないと思ったの?」
「いつもご飯のお手伝いとか言って帰るじゃん」
「今日はまだその時間じゃないんですー」
何やらおれのバンドメンバー同士がバチバチしてる。仲良くしてください……。
まあまあデカい喧嘩と仲直りをしたばかりの二人のそういうやりとりが、外から見てるとハラハラするんだから……。
市川も沙子には妙に強気なんだよなあ……。
「それで、ディスクユニオンに来てどうするの?」
「邦楽をディグるに決まってるじゃん」
仲良くしてください!!
「でぃぐる……?」
市川がハテナを頭の上に浮かべて首をかしげた。
「音楽を探すってことだよ。発掘するってニュアンスかな。良い音楽に出会うために」
横からおれが口を挟む。
「ほえー、あ、『ディグ』で『掘る』って意味か」
さすが成績のいい人は飲み込みが早くて助かる。
「今日は、沙子のベースラインの参考になりそうなJ-POPを探しに来たって感じだな」
「なるほどー」
ふむふむ、と小動物のように頷く市川。
「拓人、市川さん、のぼるよ」
「おう」
おれは沙子と目を合わせてお互いに頷く。
「「天国への階段を」」
「ええ、なんかハモってるの怖いなあ……」
ノリノリのおれたちに市川が引いている。
階段を登りきる。
「じゃ」
「おう」
沙子はそう言いながら市川を一瞥して、足早に店の中に入っていく。
「あれ、沙子さん、一緒に回らないの?」
「そうなあ。中学時代、沙子と一緒にディスクユニオンに行った時は、別々に回って、最後に店を出るときに何を買ったか見せ合いっこするっていう遊びをやってたんだよ。その名残かな」
懐かしい。あの黒髪時代の沙子は、『拓人に借りたCDで、好きにならなかったものなんて、一枚もないよ』なんて興奮気味に言ってくれてたなあ……。
「そう、それで……」
妙に納得した感じで市川が頷いている。
「ん?」
「ううん、さっき『じゃ』ってドヤ顔で言ってたなあと思って」
「そうか……?」
市川の方がおれよりも沙子の表情が読めている……!?
「『拓人のことを分かってるのはうちだから』」
市川がやや平坦に声を出す。
「は、なんだそれ?」
「沙子さんのモノマネ」
市川さんもそういうのやるようになったんですね、おれは突然下の名前呼ばれてドキッとしました。
「ね、小沼くん」
「ん?」
「私、沙子さんが好きな洋楽聞いてみたい」
「ほお……」
市川は結構、沙子に歩み寄ろうとしてるんだな。
「この間沙子さん、好きなバンドの名前言ってたんだ、なんだっけ、いろはすみたいな語感のバンド……」
「いろはす……? 水……?」
「そうそう、水っぽい感じの……。あ、で、解散しちゃったって言ってた」
ヒント① いろはすみたいな語感
ヒント② 水っぽい感じ
ヒント③ 解散している
もしかして……
「……オアシス?」
「それ!」
ひいっ……!
「……市川。ファンっていうのは怖いんだ。あまりこういうとこで気軽に間違えないようにしような」
「あ、はい……」
素直でよろしい。
ということで、市川とおれは洋楽ロックコーナーのオアシスのある棚に行く。
「どのアルバムを選べば良いのか全然わかんない……」
「そこの試聴機に入ってるCDを試聴してみれば?」
たまたまオアシス特集をやっているらしい。メンバーの来日でもあるのかもしれないな。
市川がヘッドフォンをしてオアシスのアルバムを聞いているのを眺めていると、店内のどこか遠くから「まじ!?」と大きな声が聞こえた。
何、どうしたのかしら……。
市川は試聴を終え、
「えへへ、これ買ってみるよー」
と言ってCDを手に取ってレジへ向かい、お会計を済ませる。
「あ、ねえ、小沼くん」
市川は、照れ臭そうに、
「J-POPコーナー、見ても良いかな……?」
と上目遣いで訊いてきた。
ああ、とおれは頷く。多分、「あれ」が気になるんだろう。
J-POPコーナーに着くと、市川は棚を指さして少し呆然としていた。
「小沼くん、これ……」
市川が指さしたのは、J-POPコーナーの「あ」行のスペース。
「売れた、ってことだろうな」
以前来たときにあったamaneのCDが、そこからは無くなっていた。
「シングルで2万円もするのに、誰かが買ってってくれたんだ……」
「そうなあ……」
喜びを噛みしめている様子の市川。
おれもなんだか感慨深いものを感じていた。
すると、会計を終えたらしい沙子がおれたちのところへやってくる。
「買い終わったよ、行こ。拓人と市川さんは何も買わないの」
「おう、おれは大丈夫」
「私は買ったよ!」
市川が持っていた袋を軽く掲げる。
店の階段をおりながら市川が沙子に声をかける。
「沙子さん、私オアシス買ったよー」
「……そう」
沙子がすげなく返すが、その口角は0.01ミリ上がっている。
「沙子さんは何買ったの?」
「教えない」
「ええー、教えてよー」
「死んでも教えない」
「そんなにいやなの!?」
階段をおりたところで市川とは別れて(やっぱり「ご飯のお手伝いしなきゃだから帰るね」と言っていた)、沙子とおれは駅へと向かう。
「で、沙子は結局、何買ったんだ?」
「……教えないっつってんじゃん」
いつもは教えてくれるのに、珍しい。
「J-POPなんだよな?」
「……うん」
「初めて聞くアーティスト?」
「……違う、データでしか持ってなかった曲」
「……CD、いくらだった?」
「……2万円」
ヒント① J-POP(沙子は普段洋楽しか聞かない)
ヒント② データでは持っている(CDを借りて取り込んだか、ダウンロードで買っている)
ヒント③ 中古CDは2万円
と、いうことは……。
「なあ、そのCDって『わたしの……」
おれがそのCDのタイトルを言いかけると、
「うっさい、死ね」
沙子はハッキリと頬を赤らめて、そう言った。
「辛辣すぎるだろ……」
傷心のおれをキッとにらんで、沙子は追い討ちをかけるように、
「にやけんな、バカ拓人」
と言い捨てて、その表情を隠すように、早歩きで前を行く。
おれはその後ろ姿を見ながら、なんだか胸の芯をギュウッとあたたかいもので包まれるような感じがしていた。
『拓人に借りたCDで、好きにならなかったものなんて、一枚もないよ』




