第50.2節目:Chocolate Panic
「たくとくん、どこ行くのぉ?」
勉強会から試験までの部活休止期間の昼休みのこと。
授業が終わると同時、教室をそそくさ出ていこうとするおれを英里奈さんが呼び止めた。
「え、売店だけど……」
おれは足をパタパタとしながら答える。
「えりなも売店行くところー! 一緒にいこぉー!」
そう言って、英里奈さんはおれのシャツの背中をそっとつかんだ。
一緒に行くのはいいけど急いでくんないかな……。
あと今日はその背中をつかむ、あざと可愛いやつも全然嬉しくないな……。
なんせ、今日は6日。月に一回の「ロールケーキの日」なのだ。
説明しよう。
月に一回のロールケーキの日には、売店のおばちゃん手作りのロールケーキが売店で売られる。(ちなみに、毎月22日はショートケーキの日ということでショートケーキを作って来てくれる。)
たかが売店のおばちゃんと、ナメてはいけない。
おばちゃんはお菓子作りが好きすぎて、趣味が高じてプロのパティシエ級に美味しいお菓子を作るのだ。
日本では売っていないような素材を海外からわざわざ取り寄せて作られているというウワサまであるくらいである。
だがしかし!
至極当然だが、おばちゃんが当日の朝に家で作って来られる分しか、ロールケーキは店には並ばない。
つまり、数が少ないのだ。
おばちゃんは頑張ってくれているものの、ナマモノなので、余るよりは足りない方がいいかということで、いつも限定20切れ程度だ。
これが1切れ100円という値段で売られてる。
しかもだ。
昨日売店のおばちゃんと話して仕入れた情報によると、今日のロールケーキはチョコロールケーキ……!
何気にチョコレート大好き小沼君としては、なんとしてもこれを手に入れたいのだ。
「たくとくんもロールケーキ目当てー?」
早歩きで廊下をずんずん進むおれの少し後ろから、英里奈さんがゆるふわな鼻歌を歌いながら訊いてくる。
『も』ってことは英里奈さんもか?
「そうだけど! 英里奈さん、わかってるなら急いで!」
そうおれが答えると。
英里奈さんのおれの背中をひっぱる力が強くなった。
「ちょ、英里奈さん、まさか」
「廊下は走っちゃいけないんだよぉ?」
おそるおそるおれが振り返ると、英里奈さんがにこーっとしている。
その顔には『ぬけがけは許さないよぉー?』と書いてあった。
「いやいや、なら一緒に急ごうよ!」
「たくとくん、甘いものとか好きなのぉー?」
「いや今それどうでもよくない!?」
渡り廊下を走ろうとするおれとなぜかそれを引っ張って止める英里奈さん。
おれはヒモに繋がれた飼い犬のように前に進めない。
「なんで止めんの!?」
恥ずかしいし進めないしいいこと何にもないんだけど!?
「いやぁ、なんか、たくとくんリアクション面白いからさぁ」
これが噂の真性のかまってちゃんというやつか!
漫画とか小説の中にいる美少女がやってると可愛いけど、この3次元の美少女がやっても可愛くもなんともない! 普通にうざい!
ぼっちには出来ないことがあると最近実感したが、今ばかりはぼっちに戻して欲しい! おれに、機動力を!
ていうか!
「いやいやいやいや、英里奈さんも、もらえなくなるよ!?」
「ふっふーん」
おれが焦りながらツッコむと、英里奈さんが不敵な笑みを浮かべた。
「えりなはね、取り置きしてるんだよぉ」
「と、取り置き……だとっ……!?」
なんだよその制度!
ぼっちの知らない制度使ってんじゃねえよ! 差別反対!
「えりなはねぇ、イギリスに単身赴任してるパパに頼んで、売店のおばちゃんが欲しがっているイギリスでしか売ってない小麦粉をねぇ、定期的に売店のおばちゃんに買ってきてあげているのですよぉ」
「なん、だと……!?」
つまり、あの鬼のように美味しいロールケーキは英里奈さんのお父様のおかげで供給されていたということか……!?
「だから、えりなのためにいつも一切れだけ置いておいてくれてるんだよねぇ」
おれは、英里奈さんにお礼を言えばいいのか、今この瞬間邪魔されていることに怒ればいいのかよく分からなくなる。
「ねえねえ、たくとくん」
「なんでしょうか!!」
結果怒気をはらんだ敬語という謎の言語で応対すると、英里奈さんはニターっと笑って。
「かーまちょ!」
「うるせええええええええ!!」
もう、らちがあかない!
おれは英里奈さんの腕を引っ張って、売店へと走った。
「あ、ちょっと強引なの好き」
マジでうるさい、顔から火が出るわ!
なんとか売店に着いたものの。
その光景におれは目の前が真っ暗になった。
「あら、英里奈ちゃん! 今回もおかげであっという間に完売! 人気が出て嬉しいわぁ!」
撃沈……。
ああ、おれのロールケーキ様……。
「英里奈ちゃんの分あるわよ! 持ってって!」
「おばちゃんありがとぉー!」
英里奈さんがにっこり笑顔でロールケーキを受け取った。
売店を出たところにあるベンチに腰を下ろして、おれは灰になってしまう。
燃え尽きたぜ、真っ白にな……。
「たくとくん、そんなに落ち込まないでよぉ……」
横に座る英里奈さんがおれの顔をのぞきこむ。
「ええーっと、えりなのロールケーキあげるから……」
「は……?」
耳を疑う。
「くれるんですか……?」
「あげるよぉー……」
そっと、紙皿に乗ったロールケーキをおれの前に差し出す。
「でも、英里奈さんの分は……?」
「えっと……えりな、チョコ嫌いだから、今日は元々食べられないなって思ってたもん」
「あ、そうなのですね……!」
世界が輝きを取り戻す。
英里奈さん……!!
「ありがてぇ、ありがてぇ……」
鼻をすすりながら、おれはじっくり味わう。
「感動しすぎだからぁ……」
うめえ、うめえ……!
おれは英里奈さんに見守られながらロールケーキを食べるのだった。
「ごちそうさまでした……」
夢中になってチョコロールケーキを食べきって、糖分が頭に回ってきた。
ちょっと頭が冴えてくると、少し思い出すものがありました。
「あれ、英里奈さんって……」
「んんー? どうしたのぉ?」
おれはゆっくりと記憶をたどる。
英里奈さんと出会った時、英里奈さんは何色のアイスを食べていた?
英里奈さんといつも行くマックのシェイクの味は、なんだった?
「英里奈さん、チョコ嫌いって……!?」
おれは半ば呆然としながら首をかしげる。
「えへへぇー」
意地悪な笑顔を浮かべる英里奈さんを見て、やっぱりこの人は嘘つきだ、とおれは改めて実感するのだった。
「えりなからの、恩返しだよぉ」




