第49小節目:地球-まる-
図書室を出てすぐ左の階段を、英里奈さんが駆け降りていく。
「英里奈さん!」
「いやだ!」
追いかけておれも走る。
くそ、おれ、運動神経めちゃくちゃ悪いんだぞ。
すると、二階降りたところの踊り場で、英里奈さんがつまずいて転んだ。
「英里奈さんっ……!」
おれは追いついて、立ち止まる。
すりむいたのか、ひざの頭をおさえて、英里奈さんは顔を伏せる。
「最低っ……!」
うずくまったまま、怨念のようにそう口にした。
「最低、最低、最低っ……!」
「英里奈さん……?」
何が最低なんだ?
ひざを擦りむいたことだろうか?
間が沙子に告ったことだろうか?
……間を振った、沙子のことだろうか?
「えりな、最低……!」
「え……?」
うつむいたまま、くぐもった声で英里奈さんは話し始めた。
「たくとくんが、いきなり出てくるからいけないんだよぉ」
「んん?」
「幼なじみなんて、ズルっこいよぉ……」
……最低なのは、おれか?
「あのね、えりなね、たくとくんのこと」
「ん……?」
さっきの続きか……?
おれは、無意識に『す』に続く言葉を連想する。
「ずーっと、だましてたんだぁ」
「は……?」
予想外の言葉に、ふぬけた声が漏れる。
だましていた? おれのことを? どういう風に?
……なんのために?
「えりなはね、何があっても、恋よりも愛を選ぶって決めてるんだ」
そういえば、吾妻も今朝、それを言ってた。『英里奈、前に言ってたんだけどさ、『恋』と『愛』だったら、何が何でも、『愛』を選ぶんだってさ』
「英里奈さん、もしかして……」
その瞬間、おれはふと、英里奈さんがマックで言っていたことを思い出す。
『だけど、好きな人の幸せを願えないなんて、それは『恋』かも知れないけど『愛』じゃないじゃんかぁ? 絶対』
『だからね、えりなは、健次のこと応援するって決めたんだよぉ』
「全部、間と沙子を、くっつけるために……?」
おれがそう言うと、英里奈さんが顔を伏せたまま、そっとうなずいた。
「まじかよ……」
「だからね、たくとくんと仲良くしてるとこを見せたかったのは、健次じゃなくて、さこっしゅなんだ」
『えりなの考えてること、めっちゃズルっこいんだもん』
「さこっしゅが、えりなとたくとくんが付き合ってるとか、いい感じになってるって思ってくれたら、元々いい感じになってた健次とそのまま付き合うかもって思ったんだよぉ」
『コヌマくんじゃないと、意味、ないよ』
「だから、たくとくんが誰かさこっしゅ以外と仲良くしてくれるなら、本当はえりなじゃなくても良かったんだ。天音ちゃんでも、由莉でも」
『まぁ、いっかぁ。それならそれでも……』
「たくとくん、えりなの言ってること、分からないなんて、言わないよね?」
そう言って、英里奈さんは顔をあげて、おれの目を見た。
分からない。実感もない。まだ、疑ってもいる。
でも。
『自分を卑下してばっかじゃなくて、自分が『誰か』にとっての『何か』かも知れないって、自覚することかな……』
吾妻は、そう言っていた。
「沙子が、おれのこと……?」
「……たくとくんは、どこまでも、たくとくんだなぁ……」
ふん、と英里奈さんはそっぽを向く。
「……じゃ、じゃあ、さっきはおれに何を言おうとしてたんだ?」
「えー、えりながあそこまで言いかけてて、分からない?」
「えっと……」
おれが言いよどんでいると、英里奈さんは「はぁ……」とため息をついて、
「たくとくんに、告白しようとしてたに決まってるじゃん」
とそう言った。
「それは、なんで……?」
「さこっしゅは、友達思いだからね、えりながたくとくんのこと好きだって知ったら、あきらめてくれると思ったんだぁ」
だから、沙子がいる前であんなことを……。
「今日の朝ね、この作戦のこと、健次に言ったの。『えりなが今日告白するから、それでさこっしゅの気持ちが諦めついた頃に、健次が告ったらいいんじゃないかなぁ』って。そしたら健次、『英里奈は、本当にコヌマが好きなのか?』って言うからさぁ、」
「もしかして……」
おれが聞くと、英里奈さんはうなずいて、
「『うん、好きだよ』って答えたの」
「英里奈さん……」
英里奈さんは、やっぱり、バカだ。
自分の好きな人が好きな人と結ばれるように、一番大切な気持ちを偽って。
「そしたら健次が、『なら、英里奈にとって一番良い時に、コヌマに好きって伝えないとだろ』って……」
じゃあ、間は、英里奈さんが本気でおれに告白をしようと思ってると思っていたんだ。
でも、自分のために英里奈さんが公開告白をしようとしていたから、そうじゃない、一番良い時に英里奈さんに告白をさせたくて、それでさっき、さえぎって、自分の告白を……。
「なんだよそれ……」
思いがつい、声になって吐き出された。
みんながみんな、自分以外の誰かのために、自分を偽って、犠牲にして……。
「なんで、そんなこと、するんだよ……? 自分の言いたいこと、伝えたいこと、言うんじゃ、伝えるんじゃダメなのか? 誰かといる、ってそういうことなのか?」
おれの頭がぐるぐると回ってねじれてしまう。
「本当はね……、みんな、怖いんだよ」
「怖い……?」
英里奈さんは、かたわらに立っているおれのズボンをキュッとつまんで、
「自分の言いたいこと、言って、嫌われたら、もう、本当におしまいになっちゃうもん」
と、そう言った。
「それって……」
まるで、『おれたち』みたいな……。
「でもね、たくとくん」
英里奈さんは、入り組みそうになるおれの思考をさえぎる。
「ん?」
「えりな、最低なんだぁ……」
「は?」
英里奈さんは、瞳を潤ませて、またうずくまる。
「さっきね、健次が振られた時に、ホッとしちゃったんだよぉ……」
その言葉に、息を呑んだ。
「ねえ、えりなは『愛』よりも『恋』を選んじゃったのかなぁ……?」
「英里奈さん……」
「えりなは、健次の幸せを、願うことが、できてないのかなぁ……?」
潤んだ声はどんどんその湿度を増して、嗚咽に変わる。
「ごめんね、ごめんねぇ……」
おれのズボンをギュッと掴んでただただ泣き続ける英里奈さんを前に、おれは言葉を失っていた。
でも、それじゃ、ダメなんだ。
思いは、言葉にしないとダメなんだよ。
「恋で、いいじゃねえか」
「……へ?」
「『愛』の方が『恋』よりも尊いなんて、誰が決めた?」
「はぁ……?」
英里奈さんがおれを見上げて次の言葉を待っている。
見切り発車で話し始めてしまった。
なにか思いつけ。
神様、仏様、amane様、ついでにazuma様……!
そう祈っていると、『降りて』きた。
「英里奈さん、イギリスからの帰国子女なんだろ?」
「うん、そうだけど……?」
「じゃあいいじゃねえか、だって、」
ユリポエムの力を見やがれ。
「だって?」
「どっちもラブだろ!」
おれがそう言うと、英里奈さんは目を丸くして少しの間おれをほけーっと見ていた。
ややあって、ぶふっと吹き出す。
「たくとくん、ダサすぎなんだけど!」
そう言って、爆笑し始めた。
「あれ、え、ええ?」
ユリポエムは効果がなかったらしい。いやまあ、ユリポエムじゃないんだけど。
これはタクトポエムです。代表作は『日常は良い』です。
「ラブって、ラブって。 あははは」
爆笑し続ける英里奈さん。
もういっそ、殺してくれ……。
しばらく笑っていた英里奈さんがおれをもう一度見上げる。
「はぁー、シリアスな感じだったのに、たくとくんのせいで笑っちゃったじゃんかぁ」
「笑わそうとしてねえよ……」
「ふへへぇー」
気の抜けた笑い方をしたあとに、
「ありがとね、たくとくん」
と目尻の涙をぬぐいながら、そう言った。
その涙が、笑い涙ならいいな、とおれはそう思った。




