9.ラスト!
「——次の曲が、最後の曲です」
「「「ええ〜!」」」
……とお決まりの反応が返ってくる。
「それで——」
でも、お決まりじゃないのは、このあとだ。
「今日、アンコールはやりません。正真正銘の最後の曲です」
どよめきが起こる。
アンコールをしないバンドがないわけではない。しかし、amaneがそうではないことはロック部の面々は知っているし、ロックオンではいつだってトリのバンドがアンコールをしている。
だからこそ、冗談みたいに安心して「ええ〜」などとじゃれていたわけだが……。
「今日、最後の曲であり……私たちamaneの最後の曲です」
市川は不意に上を向く。
そして、震える声で、笑いながら。
「ああーそっか……」
寂しいなあ、というかと思ったその口は。
「amaneで歌うのは楽しいなあ……」
その言葉は、寂しいなんかよりもよっぽど寂しくて。
「でも、もう決めたんです。お互いの夢のために」
ふう、と息を吐く。
心は、想像以上に落ち着いていた。
諦めなんかじゃない。
今持ってる全曲をやらせてもらって、ミスがないどころか、過去最大の感情を込めて演奏できた自負もある。
もし、これ以上のライブを出来ると思ったその日。
それは市川のいう、2025年とかになるのかもしれない。
また、集まって一緒に音を鳴らそう。
生きていれば、またいくらでもおれたちは集まれるんだから。
『「戻りたい」とか「もう一回高校行きたい」って思うくらい楽しい高校生活を送れたら、それは大成功なんじゃないの?』
いつか、おれは吾妻にそんなことを言ったことがある。おれにしては、良いことを言ってる。その通りだと思う。
そんな風に思えたことは、本当に、ありがたいと思う。
ふ、と笑った時——
——客席の中に自分自身を見つけた。
それは、中2の時のおれだった。
興味深そうに、amaneの音楽を聞いているそいつは、高校生になった時ほど擦れてはいない。
むしろ、希望の光をその瞳に灯して、こちらを見上げている。
今にもパソコンとオーディオインターフェイスを取り出して録音を始めたそうな顔をしていて、現在のおれは苦笑いをしてしまう。
なあ。
そこは長い長いトンネルの入り口だぞ。
最初は後ろから差す光に背中を押されて、意気揚々と歩き出すけれど、気付くとあたりはまっくらで。
視界には誰も映らず、また、ぽつんとひとりぼっちになる。
それでも、元々進んでいる方向に進めば良いんだろうと信じて歩み続けたら、壁にぶつかってしまうんだ。
どこで間違えたのか? どっちが前なのか?
わからなくなって、立ち尽くすことになるだろう。
まだおれもそこを抜けてはいない。
どこが前なのかは、まだ分からない。
そんな平坦で平凡で平和じゃない悩みは、お前を死ぬほど苦しめる。
でも、一つだけ言えることがある。
いや、これはお願いかもしれない。
今日帰ったらすぐに、歪なメロディでいいから作ってくれ。
下手くそな歌詞でいいから書いてくれ。
その曲は、あの教室でうっかり鳴って、お前を取り返しのつかないところへ連れて行く。
あの多目的室に、あのレクチャールームに、そして、この舞台に。
毎回ライブは一筋縄じゃ行かなくて。
苦しいことばかりで、届かないことばかりで、投げ出したくなってしまうことばかりで。
でも、それでいいんだよ。
大切だからこそ、こんなに苦しい。
おれの結論はたった一つだ。
本当に。
——amaneを組んで良かった。
「最後に、わがまま、一つだけ言っても良いですか?」
現在と過去の会話を待ってくれたようなタイミングで、市川が客席に問いかける。
「最後のメッセージです。この曲だけは、どうか、一言一句逃さないで聴いてください」
拍手が返ってくる。
——よし。これでいい。
じゃあ、未来を迎えに行こうか。
吾妻に指定された日本語のカウントで、
「1、2、3、4、1」
おれたちの最後の曲が始まる!
* * *
『ラスト!』
『正』の字
空を掴むようだった
理由もわからず書いた
その記号はまるでただの『五』
押すと
ライターが点けたあの火
解凍しようとして
その資格すらなかったことを知った
どんなに謝ったって
未来は真っ白だったんだ
デモはもう聴かないよ
バンドじゃないと聴かない
『おまじない』読んだから
こんなにも強い気持ちになった
ずっと夢を見ていた
今日まで醒めることなんてなかった
いつか一緒に音を鳴らせるかな
だからこそ
ラスト!
だってもう決めたんだ
その先のわたしたちを迎えに行こう
たとえそれが死ぬほど苦しい道だとしても
どうせ他に生きる意味なんてないし
ラスト!
きっと明日のさらに
その先で「私とあなた」を塗り替えよう
たとえ それが今を否定したって
あなたにもらった声 出ないと意味なんてないし
一緒に見た夢 何一つ叶わなくても
次の夢を見よう
なんてことないよ
だって、初めて鳴らしたあの音が
この耳の中に残り続けてる
『本当』は見にくいけど
『本当』はずっと痛い
優しくなんてなくていいから
全部離そう
一つ残らず 全部
ラスト!
だってもう決めたんだ
その先のわたしたちを迎えに行こう
たとえそれが死ぬほど苦しい道だとしても
どうせ他に生きる意味なんてないし
ラスト!
きっと明日のさらに
その先で「私と貴方」を塗り替えよう
たとえ それが今を否定したって
あなたにもらった声 出ないと意味なんてないし
ねえ、聞こえる? 最後の言葉
決して振り返らないで
行っていいかなんて もう迷わないで
ほら、これで未来は空欄になった
ぽっかり空いた穴を
その声で満たして
離れ 欠けても 夢に向かう
物語を今、
一度ちゃんと結ぼう
そのための常套句だよ
せーの、
『おしまい!』
* * *
じゃーん!!と音を鳴らす。
たまらない、止まらない。
最後の一瞬まで走り切る。
ああ、器楽部引退の時の吾妻もこんな気持ちだったんだな。
『amaneで歌うのは楽しいなあ……』
でも、だからこそ。
終わりがあるから、今は輝くんだから。
「ラスト!!!」
おれが叫び、3人で腕を振り下ろす。
じゃん!!!
と、大きな音が鳴り響き、最後の曲が終わった。
やりきった。
完璧なエンドロール。
ひとりだった音楽がみんなの音楽になって、ゴールテープまで全速力で駆け抜けた。
「ありがとうございました!」
だけど。
そう叫んだおれたちの元に届いたのは。
「アンコール!」「アンコール!!」「アンコール……!!」
手拍子も揃わない、不揃いすぎるアンコールだった。
「いや、だからやらないって——」
高校生らしい悪ノリはよくないぞ……? と思って客席を見ると。
そこには、一人一人の真剣な表情がそこにあった。
誰もふざけてなんかいない。
誰も茶化してなんかいない。
すがりつくように、懇願するように、彼らは、彼女らは、アンコールを叫んでいた。
「本当にもう終わりなのか?」と、そう問いかけていた。
でも、あいにく、もう曲はやりきってしまった。
ずるずると、やるべきじゃない。
なのに。
……なのに。
『それにしても、バンド……amaneだっけ? すごかったな。さすが新部長って感じだわ』
おれたちの音楽を聴いてくれた人たちの言葉がリフレインする。
『良い曲だねぇ……!』
『この曲を、amaneが作った曲として、発表させてください』
『はい、ライブ、ものすごく良かったです……! お世辞なんかじゃなくて、あの曲に背中を押されてわたしも頑張れました』
『……お願いします、先輩。人の人生を変えた責任を、とってください。先輩は、amaneは——自分の、憧れなんです』
きっと、おれの耳に届いてないだけで、他にもきっとたくさんの思いがあるのだと、そのアンコールの声を聴きながら思う。
「アンコール!」「やめるなんて、言わないでください……!」「どうして、やっと出会えたのに……!」「アンコール!!!!!」
いつまでもアンコールは不揃いなまま、それぞれが願い事みたいに祈りみたいに、思いを唱え続ける。
『——自分ひとりの人生を変えて、それで満足ですか、小沼先輩』
「なんだ——」
あの時。
おれは、青春リベリオンを通過したバンドたちに、IRIAに、amaneの夢を先に叶えられてしまった気がしていた。
人生は椅子取りゲームだ。誰かが自分の夢を叶えてしまったら、もうその夢を叶えることはできない。
……そう、思ってたけど。
「——もう、叶ってたのかよ……!」
吾妻もたまには間違ったことを言うんだな。
世界をひっくり返すのは主人公の仕事?
そんなこと、全然ないじゃないか。
世界をひっくり返すのは、いつだって聴いてくれる人だ。
だってそうだろう?
やっと気がついた。
こんな最後の最後の瞬間に、やっと気がついた。
おれが音楽をやってるのは、オリコンランキングに載るためじゃなかった。
おれが音楽をやってるのは、ミュージックステーションに出るためでも、紅白に出るためでもなかった。
おれが音楽をやってるのは、武道館に立つためでも、夏フェスに出るためでもなかった。
おれが音楽をやってるのは、憧れ倒したバンドと対バンするためでもなかった。
おれの音楽が一番鳴って欲しい場所は、そこじゃないんだ。
おれたちの音楽が一番鳴って欲しい場所は——
——聴いてくれるあなたの鼓膜の内側だ。
あなたが苦しい時。戦えないかもしれない時。挫けそうな時。諦めそうな時。痛む時。
どうしても打ちのめされて、膝から崩れ落ちてしまった時。
その鼓膜の中で、その心臓の近くで、おれたちの音が鳴ったのなら。
それでもう一度あなたが立ち上がれたのなら。
それがあなたの何かを変えて。
あなたが何かを変えたのなら。
——それこそが、世界をひっくり返したってことじゃないか。
だったら、解散してる暇なんてないよな。
そんな瞬間を一つでも多く増やすために、休んでる暇なんてないよな。
『次の夢を見よう。なんてことないよ』?
そんな風にお利口に受け入れられるほど、夢って簡単なものだったか?
やっぱり吾妻らしくもない。
そうじゃなくて……
「次の夢を見よう」なんてこと、無いだろ。あり得ない。
——と、その時。
何かが弾ける音がした。
『大丈夫だよ、小沼。諦めがいいのはあくまでも、A面の話だから』
……ああ。
そういうことか。
「アンコール!!!!」「アンコール!!!!!!」「アンコール!!!!!」
まだ、アンコールは鳴り止まない。そのボリュームは大きくなっていくばかり。
困りあぐねたらしい市川が、涙をぬぐって、
「アンコール、ありがとうございます。でも、ごめんなさい、私たちは——」
「わあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
その時、おれは大きな声をあげていた。
……あーあ、馬鹿の一つ覚えだな、これじゃ。
「小沼くん……?」
かつておれは彼女の背中を押すために叫んだ声だが、今は彼女の言葉を遮るために。
「拓人……!」
沙子は顔を伏せたまま、おれに同調してベースを大きくうならせる。
——解散だなんて、言わせてたまるか。
「沙子さん……?」
「天音!」
おれが呼ぶそれが天音なのかamaneなのか、そんなことはもうどうでもよかった。
「『お利口なだけの私』に戻るつもりか?」
「……!」
「引き際とか、効率とか、数字とか! もう、そんなのいいんだろ!?」
「……でも!」
「『でも』はもう聞かない!」
おれの叫びに、市川は、ようやくハッとした顔になる。
「それって……!!」
「言っていいかなんて、もう迷わなくていいんだ!」
意味なんていらないって分かってたじゃないか。
それが将来何になるかとか。おれたちじゃもうデビュー出来ないかもしれないとか。
全部全部そんなのはどうでもいいことなんだ。
デビューできないなら、アマチュアを続ければいい。
広がるとか、売れるとか、求められるとか、役に立つとか、でかい舞台に立つとか、そんなの全部、関係ない。
誰かの鼓膜の中でおれたちの音が鳴り響く限り。
鳴り続ける限り!
「この『ラスト』は、『ラスト』じゃないんだよ!」
「ああ、そっか……!」
「やっと気づいたんだ、ばか天音!」
沙子が声をあげて、口角を上げる。
「歌え、amane!!」
フロアから、吾妻の叫びが聞こえる。
「全部、ひっくり返せ!!」
あの吾妻が、うちのバンドの最強の作詞家が、あんなに諦めのいい歌詞を書くはずがなかった。
なんにも仕掛けてないわけなかった。
『だって、あたしは、amaneの作詞家だぜ?』
そして、ついに、市川がマイクに向き直る。
「まだ……」
大声で叫んだ。
「——まだやってもいいですか!?」
市川には珍しく、声がひっくり返って、不恰好だ。
「「「「「「「わああああああああ!!!!」」」」」」」」
でも、沸き立つ会場は、そんな言葉の些細な違いなどお構いなしで。
「だって……だって! このLastは、『最後』って意味じゃなかったんだ!」
市川の潤んだ声。
客席で大きく張り上げられた歓声。一つ目は吾妻の声で。
それに呼応するようにどんどんと歓声が上がっていく。
真っ暗なその空間の熱量は尋常じゃないほどに膨れ上がっていく。
ずっと、このトンネルから抜け出す方法を考え続けていた。
どこに出口があるのかって、そんなことばかり考えていた。
探しても、見つからなくて。いくら歩いても、見えなくて。
でも。
別に、トンネルの中だって良かったんだ。
抜け出す必要もなかった。
「このLastは、『前』って意味じゃなかったんだ!!」
だって、どんなに真っ暗な場所にだって。
歌えば、音楽は鳴り響くんだから。
「このLastは——」
市川がそう告げるタイミングを待って、おれと沙子はアイコンタクトで音を止める。
「——『続く』って意味だったんだ!!」
「1、2、3、4!」
同じ曲を2回やるのかよ、だなんて野暮なこと言うなよ?
『ラスト!』が『Last!』にひっくり返った今。
「「「「いっせーの!」」」」
全く同じ音が、全く違う意味で響くんだから。




