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8.私小節

「ふう……どの曲も、あまりにも大切で。演奏するのがすごく大変です」


 汗をぬぐって市川いちかわは微笑む。


「というかたくさん曲やっちゃってます、すみません。チェリーボーイズのみんなが、『オレたちどうせ1曲しかやんないから』って、その分の時間をくれて……。今日だけは甘えさせてもらっちゃいました。ありがとう、はざまくん」


「おう!」


「俺たちは?」


 安藤あんどうが後ろからぼけぼけのツッコミを入れる。久しぶりに声聞いたぞ、チェリーボーイズのギターでおれの後ろの席の安藤。


「『私小説』という言葉を知っていますか」


 そして、市川はそっと語り始めた。


「作者自身の体験とか感情をそのまま小説にしたもののことを言うみたいなんですけど。主人公が自分自身の小説っていうような意味で」


 唐突な話題ではあるが、彼女のよく通る声は、聞く人が不思議と耳を傾けたくなる。


「私は、人生を一つのアルバムみたいに思ってるところがあって。人生をかけてアルバムを作っていくみたいな……1日1日が1小節で、それが連なって曲になっていってそしてアルバムになっていくというか」


 独特の身振り手振りをまじえて、そんな詩的で私的な考えを表現する。


「今年の6月に、新しい曲が始まりました。1小節ずつ大事に大事に重ねて……気づけばとても長い曲になっていて……私は、この曲がすごく気に入ってるんです」


 やがて、その手振りは止まり、その手は、ギターにそっと添えられる。


「でも、いつまでも同じ曲を演奏しているわけにもいきません。次の曲を始めないと、前には進めないままです」


 市川はもう一度前を見据えて。


「だから、そんな曲の大事な1小節を、しっかりと刻み込むために。この曲は——」


 明るい声でこういった。


「私がamaneのために作る最後の曲です」


 お辞儀するようにC G Cのコードを弾いてから。


 その曲を歌い始めた。


「聴いてください、『私小節ししょうせつ』」


* * *

『私小節』


 それは私自身よりも私自身だった

 ひとりぼっちで書いた歌が

 遠い街に住む運命の人たちに届いて

 私の名前は

 「私たちの名前」になった


 それは『わたしのうた』よりも私の歌だった

 1を4回掛け算した音に

 70億分の私じゃ届かなくなって

 「私の名前」に

 私の声は小さすぎた


 ねえ 自分にしか出来ないこと

 やっと一つだけ見つけた

 それはあなたの手を離すことだ


 この場所が原点だから

 放射状 踏み出す最初の一歩は

 どうしても分かれ道で

 進むほどに離れていくけど

 それこそが ここにいた証拠になるのなら


 言葉は難しいな

 前に進まなくちゃって思うのに

 『前』って『過去』のことで

 『前』って『ラスト』のことだ


 この星は球体だから

 まっすぐ進んだらいつか辿り着けるかな

 文字通り一回り大きくなったら

 もう一度一緒に鳴らせるかな


 それならその場所を

 どうかこの旅の目的地にさせて

 ここに向かうことを『前進』と呼べるなら

 私はきっと前を向いて歩いていけるから


 はじまりは私の歌で

 きっかけはあなたの歌だった

 平日に始まった私たちのキョウソウを

 明日からの日々のおまもりにして


 ううん

 やっぱり思い出は

 ちゃんとこの場所に埋めていこう

 今日の涙を吸い込んで芽吹いた言の葉が

 いつか待ち合わせの目印になるくらい

 大きな木になりますように


 旅の目的地の目印になるくらい

 大きな木になりますように

* * *


「ありがとうございます。では——」


 目尻を軽く拭った市川は、それでもまっすぐ前を見据えて、よく通る綺麗な声で宣言する。


「——次の曲が、最後の曲です」


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