第28小節目:わたしのうた
英里奈ちゃんとお別れして、家に帰った私は、早速撮影を試してみるため、スマホを三脚に挟んで、画面をこちらに向けて、インカメ(インカメラの略だそう)を起動する。
画面に映った私はどこか呆けていたし、私は私自身に呆れていた。
『天音ちゃんは、なんのために歌ってるの?』
ショックだった。
英里奈ちゃんに痛いところを突かれたこともきっとそうだし、何よりも、それしきの問いかけに即答できない自分自身に愕然とした。
だって、まだ出会ったばかりの頃、他でもない私が小沼くんに問いかけたことなのに。
『小沼くんは、音楽がしたいの? それとも、音楽で何かをしたいの?』
あの日のあの質問が、今の私に投げかけられたとしたら、私はなんて答えるんだろう?
『私は、音楽がしたいんじゃなくてね、音楽で自分のことばを誰かに届けたい。今は、自分の言葉、歌えないけど、伝えたいこと、いっぱいあるんだよ』
そう、あの日の私は言っていた。
『amaneがどうとか、まがい物だとか、そんなのはどうでもよくてさ。小沼くんは、何を音楽にしたいの?』
今の私は音楽で何をしたい? 何を音楽にしたい?
歌いたいことなんて、果たして今の私にあるんだろうか。
画面の中の自分と目が合う。
「ねえ、歌いたい歌なんてある?」
私が問いかけると同時、当たり前なんだけど、
『ねえ、歌いたい歌なんてある?』
画面の中の"わたし"は私に問いかけてくる。
「歌いたい歌、かあ……」
私は空を見上げて。
「……もう、分かんなくなっちゃった」
子供みたいに拗ねた声が零れた。
「歌いたい歌、歌ってたつもりなんだけど、これしかないって思ってたんだけど。……でも、私の声じゃなかったんだ。同じ曲を、もっと多くの人に届けられる声が、この世界にはある。それも、きっと一つじゃなくて、たくさんある」
私の言葉に苦笑いするわたし。
「だったら、いくら私が歌いたがったって、そんなの意味ないでしょ?」
『意味?』
「いや、もちろん、これまでが無意味だったとは思わないよ? 意味はあったと思う。小沼くんが自分で曲を作ってるって言えるようになって、由莉が作詞を自分の名前でできるようになって、沙子さんがもう一度ベースを弾けるようになって……それで、大きく羽ばたくきっかけになった。だからこそ、amaneの役割は、ここまででおしまい」
『amaneはみんながデビューするための踏み台だったの? 歌が売れなかったから続ける意味なんてないって、そう言ってるの?』
「そうだよ? だって、私たちは音楽を届けるためにやってるわけだから……」
『本当に?』
「本当だよ。小沼くんの夢だってそれだし、私だってまた誰かを変えられるような曲を……」
『本当に、はじめから、そう思ってた?』
「それは……」
そこで初めて、私は言い淀む。
私が初めて自分で作った歌を歌った日。
そしてきっと。
小沼くんが初めて曲を作った日。
由莉が初めて歌詞を書いた日。
沙子さんが初めてベースを弾いた日。
最初からメジャーデビューしようとなんて思ってなかった。
プロになろうとか、そんなんじゃなくて……もっと素直に。
——ただ、音楽が楽しくて、……楽しそうで、やってみただけだった。
『ねえ、もう一度だけ、歌ってみようよ』
「でも……」
『大丈夫。始めた日と一緒。誰も聴いてないから』
その言葉に、私は、すぅー……っと息を吸う。
C。
G。
C。
気付くと、その音が鳴っていた。
私の指はいつの間にか弾かなくなったコード進行を、ずいぶん久しぶりに弾いていた。
『一旦封印したいんだよね』
『あのね、今回は、バンドamaneとして正規のルートでデビューを目指すっていう話でしょ? だから、シンガーソングライターの時のamaneの曲を使うのは、なんか違うかなって思って』
あの日、もっともらしいことを言って封印した曲。
半分は本当だけど、半分は嘘だった。
……本当の本当は、痛かったから。
私は、この曲でデビューをして、この曲で引退をした。
この曲は、最初に私の夢を叶えてくれた曲であり。
——同時に、その曲は私の叶わなかった夢そのものだったから。
大切だなんだと言っていたくせに、そのフレーズは歌うたびに、聴くたびに、胸のどこかをチクリと刺すようで。
それでも、私は口にする。
「ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?」
そこまで歌って。
……あの日みたいに、声が出なくなりそうになる。
でももう、不安をかき消してくれる声はここにはいない。
それでいい。はじめはたった一人だったんだから。
だから私は、今の自分なりに、自由に歌い進めていく。
もう一度息を吸って。
C。
G。
C。
* * *
『わたしのうた』
ねえ 自分にしか出来ないことなんて たった一つでもあるのかな?
教室のすみっこ 黙って座ってる おりこうなだけの私
ねえ かけがえのない存在なんて たった一つでもあるのかな?
遠い街に住む運命の人を 私は知らないままかもしれない
何にも持ってないから自信がなくて
自信がないから勇気がなくて
「そばにいて」だなんて そんなこと言えはしないまま
痛みとか傷を避けて歩いてたら
いつの間にか 大切なものから遠ざかった
それはきっと 本当の本当はそこにいたいから
苦しいことばかりで 届かないことばかりで
今日を投げ出したくもなるけど
何者にもなれない 70億分の私を
「いてくれてよかった」と言ってくれる人に いつか出会えるかもしれない
* * *
弾きながら、歌いながら、一つ一つの思い出が浮かんでくる。
最初のロックオンで、『平日』を奏でて。
合宿で『ボート』を編み直して、
学園祭では『キョウソウ』が生まれて、
そして、歌でしか伝えられない気持ちを『あなたのうた』に託した。
英里奈ちゃんのために、『おまもり』を結んで、
『スタートライン』でわがままをわめきちらして、
そしてもう一度、『キョウソウ』に想いを込め直して、
『あしたのうた』で誓いを立てた。
全部、この歌が導いてくれたんだ。
だから、私のいた意味はそこにあった。
この曲を作った意味はそこにあった。
それで十分だったんだ。
それこそ、私にしか出来ないことだったんだと、今なら思える。
——思える、のに。
『違う、そうじゃないよ』
最後のサビ前に、わたしが首を振った。
* * *
ねえ 自分にしか出来ないことなんて たった一つでもあるのかな?
本当はきっと そんなこと どうだってよかったんだ
* * *
歌いながら気がつく。
……そっか。
意味なんて、どうだってよかったんだ。何かにつながるからとか、そんなことじゃなくて。
amaneと、みんなと過ごした時間そのものが私にとってはたまらなく特別だった。その時間こそがかけがえのないものだった。
キラキラに輝いていて、胸が苦しくて、切なくて、だけど愛おしくて、平坦で、平凡なくせに、全然平和じゃない、私の平日。
そこに、意味も、意義も、理由も、全部いらなかったんだ。
何一つ成果がなくたって、結果が残らなくたって、それでもいい。
あの日。
暗い部屋で、一人ぼっちで、やり方も分からないくせに、それでも丁寧に、一つ一つ作った音。一つ一つ作った言葉。
たった一人で見た夢。
そして、あの日から、それは一人だけの夢じゃなくなって、みんなの夢になった。
それだけで、良かったんだ。
ううん。過去形にする必要すらない。
それだけで、良いんだ。
どうしてデビューなんかに、プロなんかにこだわっていたんだろう。
自主制作でも、アマチュアでも、インディーズでも、なんでもいい。
それがamaneなら、なんでも良かったんだ。
* * *
もしも私がここに立ってることで
息を吸ったことで 笑ったことで 泣いたことで 歌ったことで
生まれたものがあるのなら
それがどんなに小さなものだっていい
勲章みたいに 誇りみたいに
とびきりの笑顔でかかげて生きていよう
* * *
「これが——」
そこまでで胸が詰まって、声が出なくなってしまった。
ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。嗚咽がこぼれ落ちる。
なんだ、なんだよ。
本当に大切なことは、最初の最初に分かっていたんだ。
答えはたった一つだった。
「私は、私の——」
言いかけて、そこまでで口をつぐむ。
だって、死ぬほど悩んでやっと辿り着いた答えがこんなに陳腐でありきたりだなんて。
実際、こんなこと口にしたら、逃げているように見えるかもしれない。
甘んじているように見えるかもしれない。
でも、そうじゃなくて——。
私はどうにもたまらなくなって、この一言をどうしても伝えたくてスマホを手に取ろうとする。
「……ありがとう」
スマホの中のわたしに手を振ると、彼女はにこりと笑って手を振り返してくれる。
私はカメラを止めると、電話をかける。
2コールくらいでその声がした。
『市川、どうした?』
その少し掠れた声はかっこよくて、私はまたしても胸がいっぱいになる。
「ねえ、小沼くん」
『ん?』
「あのね——」
喉が詰まる。
ああ、本当に私はバカだなあ。
誰がこんな私を天才だなんて呼んだんだろう。
こんなにも愚かで、同じところを何周もして。
七回転んで、八回転んで。3歩下がって2歩下がって。
これだけのことをいうために、どれだけ遠回りをしたんだろう。
これだけのことを言えるようになるまでに、どれだけ回り道をしたんだろう。
でもね、これを口にするのは本当に、すごくすごく勇気のいることで。
だって、独りよがりだし、分不相応で、自意識過剰だ。
だけど、もう、それでもいい。
「私ね、私——」
いつかの彼女がそれを教えてくれたんだから。
「私、自分の歌が好き」
「……っ!」
「数字はついてこないし、流行りじゃないかもしれない。不器用で、偏屈で、頑固で、そのくせ弱気で、自信がなくて……でも、」
たったそれだけでよかったんだ。
「私は、私に歌って欲しいって思う。もっと、私の歌が聞きたいって思う」
「だから、さあ……」
電話の向こうでは彼が何かをこらえるような音がする。
「最初っから、おれは、ずっとそう言ってんだろうが……!」
小沼くんの言葉に、もう一度涙が流れる。
私は、さっき歌いきれなかった言葉を、改めて、大事に大事に、アカペラで歌う。
やっと見つけた大切なフレーズは、ずっとここにあったものだった。
「これが、わたしのうた」




