第24小節目:好-じょし-
その日の放課後、私はIRIAさんの家に行くために、正門で待ち合わせをしていた。IRIAさんの家にはIRIAさんの機材と、私たちのレコーディングもしてくれたIRIAさんのお姉さん——広末日千歌さんもいるから、専門的な話を聞くにはうってつけ、というわけだ。
私はIRIAさんを待ちながらもそわそわしてしまい、両手のひらを擦り合わせてみる。
それまで毎日一緒に帰っていた小沼くんに何も言わずに教室を出てしまった罪悪感がまず襲ってきて、罪悪感を感じる権利なんてないことの寂しさが後から押し寄せていた。
自分でやったことなのに、勝手に決めたことなのに、私はどういうつもりなんだろう。
『小沼くんのバカ!』
不意に、6月のある日、由莉の働くコンビニの駐車場で言った言葉がリフレインして、やっぱり今日くらいは一言「先に帰るね」と声をかけるべきだったのかな、とか思う。
付き合う前から、私は小沼くんが勝手に帰るのに怒ったりしていたんだもんなあ。
……いや、私、どういうつもりだったんだろう?
半年前の自分に眉をひそめていると、
「誰か待ってるの」
と、声をかけられる。
顔をあげると、そこには、amaneのベーシスト、波須沙子さんがダッフルコートのポケットに手を突っ込んで立っていた。
「さ、沙子さん……!」
「何、その浮気の待ち合わせが見つかったみたいな顔」
「い、いや、そんなんじゃないけど……。あれ、今日、部活は?」
「今日は帰れって言われた」
と、沙子さんはポケットに突っ込んでいた左手を胸元まであげて見せてくる。
その手首には、テーピングが巻かれていた。
「どうしたの、それ!?」
私が驚いて声をあげると沙子さんはめんどくさそうに0.数ミリ目を細める。
「そういう反応されると思った……。英里奈も市川さんも大袈裟だから。腱鞘炎にならないように巻いてるだけ。あくまでも予防だから」
「それならいいけど……」
「……練習くらい思う存分させてくれっての」
沙子さんの呟いたその一言がふと、私の心のどこかに突き刺さる。
そんな私のチクっとした感覚を知ってか知らずか、
「明日からは剥がしてこよう、みんなめんどくさいから」
と沙子さんは言った。
「ごめん……」
「で、うちの質問」
——にまだ答えてもらってないんだけど、と睨まれる。
「ああ、ちょっとIRIAさんの家にいくことになって、その待ち合わせを……」
「は、なんで」
不愉快そうにした沙子さんに、私は今自分がしようとしていることを説明する。
数字のこととかは端折って、あくまでも自分一人で弾き語り動画をあげようとしていることを。
「……それ、拓人に相談したの」
「してない……です……」
「今日先に帰るっていうのは」
「言ってない……です……」
身をすくませながら答える私に対して、
「あっそ。じゃ、戻る」
沙子さんは淡白にそう言い放つと踵を返した。
「どこに戻るの?」
とはいえ、やっぱり沙子さんは優しくて、私が問いかけたらまた振り向いてくれた。
「拓人を迎えに行くんだよ。教室にいるかもしれないじゃん」
「やっぱり、そうかな……?」
「別にそんな申し訳なさそうな顔しなくてもいいんじゃない」
下唇を噛んだ私に、
「だって、市川さん、元カノだし」
沙子さんは『元カノ』のところを強調してそんなことを言った。
「元カノと一緒に帰る方が変だと思うよ。その点、うちは幼馴染だから一緒に帰るのが自然だけど。うちは幼馴染だから」
「ぐう……」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。(出たけど)
いつもの沙子さんのこの論法には無理があることが多いのに、今回は正論すぎるなあ……。
「じゃあ、さよなら」
沙子さんは見せつけるように右手を挙げて立ち去る意思を表示する。
「っ……」
なんとなく素直に「うん、また明日」と言えずにじっと彼女を見ていると、
「『待って』『行かないで』『いやだ』」
沙子さんはなぜか私に一歩近づいて、正面に立つ。
私よりも少し背の高い彼女は、まるで聞き分けの悪い妹を見るような顔で私を見つめる。
「——そんなことを言う権利が、自分にあるなんて思ってないよね」
「……うん」
「じゃあ、なんで睨んでんの。ばーか」
沙子さんは言葉とは裏腹に、私の頬に優しく手をあてて、私の目尻を親指でなぞる。
「……睨んでない」
「じゃあ何、元々そういう顔なの」
「……そうです」
沙子さんは呆れたように——だけど優しい顔で0.数ミリ微笑み、そして。
「ねえ、そんな顔するなら、どうして拓人と別れたりなんかしたの?」
その暖かい声色のまま、私にそう問いかけた。
それが責める口調であってくれたなら、冷たい口調であったなら、口を割らずに済んだのに。
「——今の私じゃ、小沼くんに釣り合わないから」
私は、隠しておくべき言葉をつい口にしてしまっていた。
「はあ」
そして今度こそ呆れたように沙子さんはため息をつく。
「本当に、市川さんは拓人に並び立ってないね。まだそこにいんのかよって感じ」
「だから、そう言って——」
「気が変わった。うちも広末の家に行く」
「え、なんでそうなるの?」
自分でも分かるほど、私は目をぱちくりさせてしまっていた。
「市川さん、広末の家の機材に感動してそのまま楽器屋に行って口車に乗ってもっと高い機材とか買わされそうだから」
「それはっ……そうかもだけど……! え、その前の話はどこに行ったの?」
「うっさい」
「うっさくないよ!?」
「じゃあ、めんどくさい」
「めんどくさい!?」
取り合ってくれなくなった沙子さんにしつこく「ねえ」と問いかけていると、そこに。
「うげ、波須沙子さん……!」
嫌そうな顔をしたIRIAさんが立っていた。
「おい広末、今、うげって言ったでしょ」
「も、申し上げておりませんでございます……!」




