第13小節目:キョウモハレ
翌日になっても、世界は通常運転だった。
嫌味なほどの晴天に恵まれ、鳩の声に起こされて、電車は決まった時間に駅にやってきて、新宿駅を乗り換える人たちは歩みを止めることなく目的地へ急ぐ。
どのように気持ちを整理していけばいいのか。
『たくとくん、そこでずっと泣いてたら、足下がぬかるんで、どんどん立ち上がれなくなるよぉ?』
『お願い。無理してでも、立ち上がって』
どのように無理をすればいいのか。
無理をして立ち上がれたとして、一歩目はどの方向に踏み出せばいいのか。
そんなことがさっぱり分からず、おれは、行動の原理をどれだけamaneという存在にもっていかれていたのかということを痛感する。
あの日から、amaneのために生きていた。
せめて有終の美を、と思うものの、どうなったら美しく終わることが出来るのか、そんなことも見当すらつかないままだ。
ぼんやりとしたまま登校すると、新小金井の改札を出たところ、おれを見つけてぴょこぴょこと手を振る人物がいた。
「小沼先輩っ! おはようございますっ! こちらです、こちら!」
飛び跳ねるみたいな動きとは裏腹に、なんだか焦ったような表情の小動物的後輩——平良つばめのもとに寄っていく。
「おはよう、平良ちゃん。なんか、朝会うの珍しいな?」
「ですです、自分は普段ギリのギリまで家で惰眠を貪っておりますので、先輩たちよりも全然遅い時間に到着するのですよ」
「惰眠ねえ……」
引きこもり気質だからか、敬語キャラのくせに少し怠惰なところがあるっぽいんだよな、この後輩さん。
「それで、惰眠を押してまでおれを待ってた理由は?」
「……師匠から聞きました。亜衣里さんからお二人の連絡先を教えてくれと言われたので、これ幸いとばかりに師匠にお電話を掛けたのです」
「これ幸い」
弟子ちゃんはなるべく師匠と連絡を取り合いたいものらしい。
「……そしたら、その……」
……ま、その話しかないよな。
「……こっちから行くか」
おれは、分岐路の右をさす。
「なんですか、この道は……!?」
「リア充御用達のルートらしい」
ずいぶん久しぶりに通る気がするが、新小金井から武蔵野国際高校への登校道には、2つある。
『通常ルート』と、リア充御用達の『遠回りルート』だ。
「なんで遠回りのルートがリア充御用達なのですか!?」
「遠回りで人通りが激減するから、らしいよ……」
「激減するから……?」
はい……?みたいな顔でほけーっとしてから、1……2……3秒後、
「破廉恥ですね!?」
と目を剥く。
「ど、どどどどどうして小沼先輩がこんな道をご存じなのですか!? 誰に教わったのですか!?」
「吾妻」
「師匠かぁー…………!」
残念そうな顔になる平良ちゃん。別に吾妻と破廉恥なことしたわけじゃないからね?
ていうか、
「その頃、多分平良ちゃんは吾妻を憎んでたよ? 星影さんをいじめてたとかって」
「わたしが愚かだった時の話はやめてください」
「はい……」
なぜか急に真顔になった平良ちゃん。
「……それで、小沼先輩」
真顔ついでに、ということでもないだろうが、おれをじっと見つめる平良ちゃん。
「amaneが解散するって……本当なのですか? 冗談……ですよね?」
「冗談で吾妻はそんなこと言わないだろ……」
「です、よね……。……本当、なのですか?」
「だな」
「どうして、ですか……?」
平良ちゃんは、怪訝な顔をしていた。
「おれたちは、おれたち4人じゃない方が上手くいくんじゃないかって」
「でもでも、ずっと4人でやってきたんじゃないですか。デビューが4人の夢だって言って。それなのに、どうしてここでやめちゃうなんてことになるんですか?」
「……4人揃ったamaneには、才能がなかったんだよ」
つまるところ、そういうことなのだろう。
一人一人では輝ける場所があるかもしれないが、バンドamaneには、才能がなかった。一人一人で輝ける場所があるだけ、恵まれていると考えるべきだろう。
「才能……」
「むしろ、この方が自然なんだよ。上手くいかないことの方が多くて、そんな中トライアンドエラーを繰り返して、成功する方に段々寄せてくしかない。4人とも初めて組んだバンドなんだぜ? 初めてのバンドで……いや、成功するバンドなんて、ほんの一握りなんだって。誰だって知ってることだ」
渇いた笑いと共に吐き出したその言葉に。
「先輩たちが、今さら確率の話をするんですか……?」
平良ちゃんは、かつて見たことないほど——沙子に怒りをぶつけたあの日の何倍も鋭い目つきでおれを睨む。
「そんなの、大前提じゃないですか!」
その小さな体から出てるとは思えない咆哮があたりにこだまする。
「それを乗り越えるための努力じゃないですか、それを乗り越えるための奇跡じゃないですか! 先輩は、先輩たちは、それでも、ここまで来たんじゃないんですか!? 天音部長と再会して、師匠と出会って、波須先輩と仲直りして、自分からしたらこの4人が揃っただけでも、もう出来過ぎた奇跡です! その上、ロックオンでも、学園祭でも、オーディションライブでも、奇跡みたいなライブをしてきたじゃないですか! 今まであれだけの数の奇跡を起こしてきておいて、今さら確率のせいになんてなんてしないでくださいよ!」
「だけど、もう——」「無理じゃありません!」
彼女はおれの胸元にすがりついて、俯いて、絞り出すように、潤んだ声でつぶやいた。
「無責任ですよ……!」
そして、もう一度顔を上げて、おれの目をまっすぐ見つめる。
人見知りのはずの彼女が、おれの目をこんなに近くで。
「自分の人生を変えたのは、amaneの音楽なんですよ? 先輩の作った音楽なんですよ?」
「……!」
「……お願いします、先輩。人の人生を変えた責任を、とってください。先輩は、amaneは——」
そして、おれは、いつの間にか、自分が想像よりも遠く。
彼女と同じ場所にいたことを、知ることになる。
「——自分の、憧れなんです」




