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第10小節目:赤黄色の金木犀

「今日は、おれ、ひがし小金井こがねいから帰るよ」


「うん、分かった。……また明日、ね」


「おう。……また、明日」


 金木犀の帰り道。おれは足が覚えている方向にただただ歩き続ける。


 もっと、泣いたりするのかと思った。


 もっと、わめいたりするのかと思った。


 高校に入ってから良いことなしだった——いや、悪いことすら何もなかったおれが、今年の6月に奇跡的に手に入れたもの。


 それがもうすぐ終わりを迎えることと、終わりを迎えたこと。


 事実としては理解しているはずなのに、どうにも感情が生まれ出てこない。


 不謹慎かもしれないが、まるでテレビでニュースを見てるみたいだ。


 円安で続々と閉店が決まっているとか、海外の偉人が病気で亡くなったとか、大きな事故があったとか。

 むしろ、そっちの方が心が動いているかもしれない。


 ……それもそうか。


 これは、どんなニュースよりも矮小わいしょうな出来事だ。


 きっと今日、何十個の無名なバンドが解散や活動休止を決めて、きっと今日、何百組の恋人たちが別れ話をするのだろう。


 それこそ、6月までの自分だったら、そんなことで心がいちいち動いているやつらのことを非生産的だと冷笑していた。


 わきまえろよ、お前のやってることなんて、そんなもんだっただろ。



 気が付くと、カレー屋さん『サイのツノ』の近くの公園に来ていた。


 この公園でも、いろんなことがあった気がする。


『『戻りたい』とか『もう一回高校行きたい』って思うくらい楽しい高校生活を送れたら、それは大成功なんじゃないの?』


 そうだ。ここで、おれがそう言ったんだ。


 だったら、もう十分じゃないか。


 奇跡は、確実に起こったんだから。


『小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?』

『大した曲じゃない、なんて、どうして小沼くんが言うの?』

『私とバンド組んで、ロック部員になってよ!』

『嬉しいなあ、そんな風に、私の曲、歌ってもらえて……。そんな風に、誰かの心に、届いていたんだったら、本当に作ってよかった……』

『小沼くん、明日、一緒に帰ろ?』

『小沼くんは、何を音楽にしたいの?』

『小沼くんは、私の、憧れなんだ。』


 原点であり、憧れである、あのamaneと一緒に音楽をして。


『楽しかったなあ、今年の合宿。去年よりもずーっと楽しかった。嬉しいことも笑うことも……ムッとすることもすっごく沢山増えた。それはきっと、小沼くんがいたからだよ』

『小沼くん、これから、用事(デート)しよう?』

『振らないんだ! 縁起えんぎいいね! それにする!』

『私、小沼くんと出会うあの日まで、『ぼっち』だったんだよ』

『だって、小沼くんにとっての『世界で一番聴きたい曲』は、いつだって私の曲が良いもん! ……そこだけは、誰にも渡したくないんだ』

『だから、学園祭、覚悟しててね?』

『……私も、小沼拓人のことが、好きだよ』


 市川天音と少しの間、恋人にまでなって。


『段々、慣れていけばいいよね! ……だって、これからずっと、一緒にいるんだから。ね?』

『大好きだよ、拓人くん』

『小沼くん! 今日きょう一日(いちにち)、にやけないようにするの大変だったんだから!』

『おかえり、小沼くん。売店、長かったね? 16分23秒!』

『明日の朝も、私を改めて好きだって思ってくれたらいいなあ』


 戻りたいくらいの青春をもらった。


 それだけで、十分だ。


 十分どころか、過分だ。十分が過ぎる。




 だったら、ラストライブまで、しっかり駆け抜けよう。


 そうしたら、きっと楽になれる。


 ラストライブが終わったら、もうこれ以上思い出が増えることはなくなる。


 否が応でも、時計は前に進んで、今はどんどん過去になっていく。


 今はこんなに大事に抱えている痛みだって、きっと少しずつ薄れていく。


 そしていつか、寂しくもなくなるんだろう。


 ……ああ、そっか。





「寂しくなくなるのは、寂しいなあ……」





 つい漏れ出た声が引き金になって、ずっとのどと胸の間につかえていたモノが、ぽつり、ぽつりと浮かんで、にじんで、あふれて、こぼれて、道の上に一滴ずつ染みを作っていく。


 ずっとおれは、期待しないようにしていたはずなのに。


 自分にも、他人にも期待しないでいたはずなのに。


 わきまえて、諦めて、痛みとか傷を避けて歩いていたはずなのに。


「くそっ……! なんで……!」


 誰から見たってありきたりなこんな失恋がどうしてこんなに苦しいんだよ。成就する恋の方が少ないのに。


 誰から見たってありきたりなバンドの解散がどうしてこんなに悔しいんだよ。成功するバンドの方が少ないのに。


 誰から見たってありきたりな、夢が叶わなかったってだけのことがどうしてこんなにきついんだよ。叶う夢の方が少ないのに。


 自分に期待してたっていうのか?


 おれならもしかして、って思ってたっていうのか?


 おれたちならもしかして、って思ってたっていうのか?


 ……そうだよ。


 そう思ってたんだ。


 全てが上手くいく未来に、おれたちだけは辿り着くと思ってたんだ。


「おれ、思い上がってたんだなあ……」


 悔しくて、どうにもならなくて。


 何が苦しいのかも、もはや分からなくなって、たまらなくなって、伏せた顔の真下、どんどん黒い染みが広がっていく。


「くそ、くそ……!」


 噛み切ってしまいそうになるほどに下唇を噛み締めて、震える体をどうにか押さえつけようとする。


「くそ、くそ、くそ……!」


 その時。


「人には『無理するな』とか『苦しい時はそばにいる』みたいなことうくせに、自分の時はひとりで泣くんだね」


 ふわり、と甘い声が耳をくすぐる。



























「たくとくんは、本当にたくとくんだなぁ」


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