第1小節目:新世紀のラブソング
「私の声じゃなかったんだよ。小沼くんの、由莉の、沙子さんの……私の、amaneの夢を叶えるのは、私の声じゃなかった」
「いや、——」
否定しようとした口を、彼女がかざしたスマホの画面が塞がせる。
「でも、ううん、……だから、さ。せめて、それでもamaneを組んで良かったんだって思えるように、いつか、『amaneがあったから今の自分達がいるんだ』って思えるように、」
「おい、市川……!」
「天音、まさか……!」
「市川さん……」
おれたちの制止を無視した市川天音は、そっとハの字の眉で微笑んだあと、
「……amaneが出会って良かったって思えるように、」
真顔になって、はっきりと告げた。
「amaneを、……ちゃんと終わらせよう」
「何これ……落ちたってこと?」
ロック部のスタジオ。
amaneの4人でおれのパソコンを覗き込んでいた。
上から下に何回かスクロールした後、ページ内検索窓を開いて『amane』と入力した吾妻由莉は、それでもその名前が出てこないことを確認すると、スライムになったかのように、全身を脱力させて背もたれにへたりもたれかかる。
波須沙子は目をつぶって0.数ミリ眉間に皺を寄せ、市川天音は「あぁー……」と、こぼれていく水をただ眺めるように声を漏らした。
おれは、実感が沸かないのかなんなのか、悔しい気持ちもわからず、「まあ、……こんなもんだろ」みたいなことを口走った気がする。
その言葉は他の3人を怒らせるわけでも、かといって当然納得させるわけでもなく、無味乾燥な空気に溶け込んでやがて消えていった。
……いや、正直予想外ではあった。
大手レコード会社バディ・ミュージックからのデビューを賭けた18才以下限定のバンドコンテスト『青春リベリオン』の審査は、4段階に分かれていた。
音源審査→リスナー投票→ライブ審査地区予選→ライブ本選。
音源を応募して、最初の音源審査は通過したのだ。
その通過が『難なく』だったのか『かろうじて』だったのかは、審査員に聞いた訳じゃないから分からない。だけど、少なくともおれたちは通過した音源が並んだサイトを見て、「まあここはとりあえずそうだよね」なんて話していた。
だからこそ、次のリスナー投票も当然通るものだと思っていた。
おれたちが備えないといけないのは、その次のライブ選考だと思い込んでいたのだ。
リスナー投票。
2週間の投票期間中、視聴者は毎日投票が可能で、その得票数に応じて次のライブ審査に参加できるかが決まる。
それを通過したバンドと楽曲が掲載されたさながら合格発表じみたwebページに。
『おまもり / amane』の文字はなかった。
どうやら、おれたちは、二次審査に落ちたらしい。
それも『難なく』だったのか『かろうじて』だったのかは分からない。
公平を期すために、投票数は可視化されていないし、バンドの表示される順番もページを開くたびにランダムに表示されるようになっていた。
ただ、チェリーボーイズの4人+マネージャーの英里奈さん、後輩筆頭のロック部平良ちゃんに、器楽部(元器楽部)の面々(星影さんとか真野新部長とか、大友豊くんとか)、Butterの3人などなど、周りのみんなは「今日も投票しましたよっ!」と教えてくれていた。
逆に言えば、そんなバンドメンバー全員の両手で数えられるくらいの人数しか観測できていなかったということなのかもしれない。日本には1.2億人もいて、その中でamaneを知っている人なんて、ほんの一握りどころの騒ぎじゃないわけだから。
だとしても。
「これ、どれくらい聴かれたんだろう……?」
聴かれた上で投票されなかったのか、そもそも聴かれなかったのか。
「他のバンドと条件は一緒のはずだろ? 聴かれた上での投票数ってことは——」
「”まったく”一緒じゃないよ、小沼」
「どうして……?」
「それは……」
吾妻はその先を言いづらそうに下唇を噛む。
「SNS、かあ……」
その答えを、市川が呟く。
「そっか、そうだよね……。私たちはSNSをやってないから……」
なんと単純な理由だろうか、と呆れ返ってしまう。
「……ごめん」
そう謝ったのは沙子だった。
amaneがSNSをしていない理由は市川がSNSを触れないからだが、その原因を作ったのは沙子だ。
「沙子さんのせいじゃない。それは、とっくに解決した話だよ」
「でも、市川さんはまだ……」
市川が言い切り、沙子が言い淀む。
「だとしたら」
おれは、そこまでを理解した上で、差し挟んだ。
「……だとしても、そのハンデをひっくり返すほどの強さの曲にはなってなかった。そういうことだろ」
「だね。誰のせいでもないし、全員のせいでもある。まあ、それがバンドってことなんだろうし」
おれの言葉に、吾妻が頷く。
SNSのことだって、リスナー投票が始まる時にまったく考えなかったわけじゃなかった。
ただ、おれは。
「——そんなの、簡単に超えられると思ってたのにな」
「驚いちゃったなあ……」
「そうなあ……」
中央線は暮れきった夕暮れを光の点線を引くように走る。
12月のロックオンに向けて、気の抜けきった練習をしたおれたちはとぼとぼと家路に着いた。沙子は英里奈さんと帰る約束があったらしくスクールバスの方に行って、吾妻とは武蔵境の駅で手を振った。
ガタゴト、と揺れる帰宅時の上り電車は空いていて、おれと市川は並んで座っている。
「私、いつの間にか調子に乗っちゃってたんだなあ……。ライブ審査のことばかり考えちゃってた。……慢心もいいところだね」
呆れたように、気まずそうに市川は笑う。
さすがに、恋人らしい甘酸っぱい空気は1ミリも流れてはいない。
「おれもだよ」
「そうなんだ? その割にはあまり落ち込んでないように見えるよ」
「あー……」
図星をつかれた、というほどではないが、なんとなく胸の中のもやっとしたところをつかまれた気がした。
「あ、もちろん、落ち込んでて欲しいとかじゃなくてね?」
市川は取り繕うように胸の前で手を振る。
「ただね。小沼くんってあんまり表情に出す方じゃないし、それは分かるんだけど、なんかそれにしてもちょっと何も感じてないみたいな顔してるから」
「いや、うーん……。……なんというか、心のどこかではこうなる可能性も考えてはいたのかもな。心の準備っていうか……予防線というか」
おれは自分の言ったことを咀嚼しながら言葉を連ねる。
「もちろんいけるって思ってたし、今の全力だったんだけど、そんなに全部が全部上手くいくはずもないっていうか……。あ、いや、全力出し切ったからそれで納得してるのかもしれない。自分が納得してれば、それでいい、みたいな……感じか?」
「あはは、聞かれても分からないけど。でも、小沼くんの中でも整理がついてないってことは分かった」
「そうなあ……」
「色々聞いちゃってごめんね」
「ううん。まあ、」
おれは自分の肺の空気を変えるような心持ちで、努めて明るく口に出す。
「青春リベリオンがすべてじゃないだろ」
「それはそうだよね。私たちの夢はバンドamaneでデビューすることだし」
「ああ、それに、デビュー自体も夢じゃなくて通過点だろうし」
「うん、デビューできたら終わりじゃないもんね」
おれの狙いを読み取ってくれたのか、市川も明るく話を盛り上げてくれる。
「あのね、だとしたらさ。小沼くんの夢って何?」
「おれの夢は、」
おれは、そっと、あの日の光景を思い出していた。
『ねえ 自分にしか出来ないことなんて たった一つでもあるのかな?』
彼女を初めて観た、あの光景を。
「——おれの夢は多分、誰かの人生を動かすことなんだと思う」
「人生を……」
おれはやけに素直に、最近考えていたことを口にしていた。
「amaneの——シンガーソングライターamaneの音楽がおれにしてくれたみたいに。おれの作った曲も、誰かのそういう曲になってくれたら嬉しい」
「そっか、そうなんだ」
市川ははにかんだように笑う。
「小沼くんがそんな風に思ってるって知れて嬉しい」
「そうか?」
「うん、いつもだったらそんなの教えてくれなかったでしょ?」
「そうなあ……」
認めるのもなんだが、今日のおれはやけに口が勝手に喋ってる感じがする。
「それじゃあとにかく! 12月のロックオンに向けて、もう一回頑張らないとだね。そこでダメな演奏したら、それこそダメになっちゃうもん」
「……だな」
コンテスト1つ落ちたところで、おれたちの音楽が止まるわけじゃない。
夢が潰えたわけでもないし、むしろまだ何も始まってない。
だけど、なんでだろう。
まどろっこしい感情を全部押し流せるはずの、
誰もが口にして乗り越えてきたはずの言葉、
『次があるさ』
と、その一言だけが、おれの口からはどうしても出てこなかった。




