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第36小節目:BEAT

 朝の4時半まで約6時間ほどスタジオに入って、ドラムセットを全体で存分に叩かせてもらえたのは最後の1分間だけだった。


 それでも、スタジオを出たおれは、


神野じんのさん、本っっ当にありがとうございました……!!」


 土下座どげざせんばかりの勢いで深く、深く頭を下げていた。


 それほどまでに成長を実感する、ものすごい時間だった。


「はっはー、いいってことよ」


 後輩のために徹夜をしたとは思えないほど快活に彼女は笑う。


「本当にすごいんですね、神野さんって……」


「なめんなよ? 基礎中の基礎だっての。アタシはこんなもんじゃねーから」



* * *


「……小太鼓スネアリムだけな」


 姿勢の矯正のあと、やっとドラムを叩けると思ったおれに神野さんが伝えたのは、これだった。


「そんなあ……」


 スネア、正式名称『スネアドラム』は、日本語では小太鼓とも言われる、ドラムの顔とも言えるようなパーツだ。


 ドン、パン、ドドパン、の『パン』の部分がスネアドラムの音である。


 そのふちを『リム』と呼び、これは、金属製であることが多いので、「カッ」と乾いた音がする。太鼓の達人の「カッ」を想像して貰えば、あれが『リムを叩く』ということだ。


 まあ、つまり、スネアのリムを叩くと言うのは、『やっとドラムが叩ける!』と期待したおれにとっては、太鼓の面を叩くことすら許されていない、非常に物足りないメニューだったということだ。


 神野さんは、部屋の大きなスピーカーからメトロノームでBPM120を鳴らす。(BPMは1分間に鳴るビートの数で、数字が多いほどテンポが速いと言うことになる)


メトロノーム(これ)に合わせて、四分しぶ音符おんぷで左右交互に叩いてみろ」


「……はい」


 かっ、かっ、かっ、かっ……。


 初めてスティックを持った時にやるような基礎中の基礎のトレーニングだ。


『思いあがんな、タクト。お前にはどの曲にも共通して求められる基礎中の基礎が足りてねーっつってんだ』


 ……とはいえ、おれだって、さすがにこれしきのことは出来ているはずだ。というか、これが出来てなかったら、そもそもドラムを叩けるだなんて言ってはいけないレベルである。


 テンポ通りに叩けているし、厳密に見たブレの範囲だってそんなに大きくない。


 現に、メトロノームの音は聞こえない。


 これはスーパー銭湯でも吾妻あずまに話したことだが、メトロノームと完全に同じタイミングで叩くことができると、メトロノームの音をかき消すので、メトロノームの音が聞こえなくなるのだ。


「あの……」


 と声を出したその時、振り上げたスティックに違和感を感じた。


 振り上げた時に、音が鳴ったのだ。


 おれの叩くスネアのリムの音とは別に、スティックとスティックが打ち合わされるような音がする。リムの音はしっかり刻まれているにもかかわらず、そのスティックの音はかなり不揃いだ。


「……?」


 顔を上げてみると、暗がりの中、おれが振り上げたあたりに、神野さんのスティックが高さを制限するバーのように浮いているのが見えた。


 向かい側から、神野さんがスティックを両手で持ってその高さに掲げてくれているらしい。


「……これよりも高く振り上げるなってことですか?」


「違う。アタシの持ってるスティックに裏拍うらはくで当てろ」


 裏拍というのは、もしも叩くビートを『1、2、3、4、』と表現するなら、この『、』の部分のことだ。


「裏拍で……?」


「ま、いきなり言われてもわかんねーよな。見せてやる」


 神野さんはおれに演奏をやめるよう指示をする。


「お前のスティックを両手で持ってみ」


 おれは、スティックの頭とお尻をそれぞれの手で持って、胸の高さくらいにかかげる。それを神野さんはおれの腕ごと動かして、


「この高さで持ってろ」


 と固定した。 


「じゃあ、聞いてろよ」


 すると、神野さんは、BPM120でスネアのリムを、そして、その裏拍で、おれの握っているスティックを鳴らした(・・・・)


 裏拍ごとにおれの両手にビリビリと振動が走る。


 これは、さっきまでのおれの『当たってしまって鳴る不揃いな音』ではない。腕を振り上げる瞬間に、おれの持っているスティックを正確に裏拍でヒットしているのである。


 おれは度肝を抜かれてしまった。


 以前、おれは神野さんのドラムをみた時に、「休符を演奏しているようだ」と感じたことがあるが、それは真実だったのだ。


 今おれのスティックと神野さんのスティックが鳴らしている音は、要するにスティックを振り上げているだけの動作だから、普段は無音である。


 だけど、神野さんは見えない空気の打面をヒットして、耳には聴こえないビートを打ち込んでいたのである。


「こーゆーことだ。わかったか?」


「はい……!」


 眠気も覚めるような発想に目から鱗が落ちる。


 おれも試してみたい……!


「神野さん、やらせてください」


「おう。……あとその発言、際どいからな」

 

「そういうの今いいです」


 おれが師匠の言葉を失礼にもいなしつつ、再び叩く姿勢を作ると、神野さんが先ほどと同じ高さで、スティックを両手で握り持ってくれる。


 また叩き始めるが、それを意識すると、途端に今まで叩けていた四分音符すらもパラパラと足場が崩れたように散り散りになっていく。


「……くそ」


「心を乱されるな。お前は、間違ってない」


 叱咤しったなのか激励げきれいなのか、似合わない言葉を聴きながら、おれはそのあと2時間以上かけて、少しずつ、それが出来るようにトレーニングを積み重ねた。


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