第34小節目:They Call Me The Breeze
「愛妻弁当は美味かったか?」
22時に退勤したらしい神野さんが、ロビーで座っているおれのテーブルのそばに仁王立ちして、不機嫌そうに聞いてくる。
「ああ、はい、まあ、そうですね……!」
「なんだその煮え切らねー態度は。アタシも腹減ってんだから、そんなならよこせよ」
言いながらどかりとおれの向かい側に腰掛けた。
「いや、もう食べちゃいましたよ」
「じゃあ、吐け」
「むちゃくちゃっすね……!」
ていうか、吐いたら食うのか、この人は。……いや、想像するんじゃなかった。
後悔したその時、
「お。『青春なんて嘘っぱちだ』じゃんか」
ロビーの壁に取り付けられたモニターに、今日散々おれたちを振り回した声が流れてきた。
ていうか、あれ、広末と初対面したの、今朝のことか。なんか悠久の時を超えた気がするぜ……。
「神野さんも、こういうの知ってるんすね」
「まー、スタジオで働いてると、流行りの曲はいやでも耳に入ってくるよな。それに……」
そこまでいうと、神野さんは前屈みになってこちらに顔を寄せてくる。
「おいタクト、聞いて驚け」
「はい?」
ていうか、闇の情報屋みたいな顔してるな。
「……これ録った人がお前らのレコーディングやってくれるんだぜ」
「はい、今日電話かかってきました」
そう答えた瞬間、おでこに鈍痛が走る。
「いてっ……! なんでデコピンするんですか?」
「『聞いて驚け』って言ったのにお前が驚かねーからだろ」
「理不尽……!!」
「ドラマーの指の弾く強さを思い知ったか?」
「弾く方向違うでしょ……じゃない、そもそも弾かないでしょ」
額を押さえて抗議する。吾妻にも以前デコピンされたことがあるが、その時もそんなようなやりとりをした。似てるな、相変わらず。
「つーか、ヒチカさんがわざわざお前に電話したときに『私、「青春なんて嘘っぱちだ」録ったんですよー』って言ったのか? あの人、意外とミーハーっつーか自分でそういうこというタイプなんだな……。なんか残念だな……」
「あ、いやそうじゃなくて、妹の方。IRIA本人がそう言ってました」
広末日千歌(姉)さんの名誉のために慌てて否定する。すると、神野さんは顔をしかめて首をかしげた。
「……どーゆー意味?」
「いや、だから、IRIAって武蔵野国際の一年なんですよ。」
「…………はあっ!!!???」
神野さんの大声におれの反射神経が耳を塞いだ。
「お、お前、そういうことは『聞いて驚け』って言ってから言えよ!」
「神野さんの大声の方が驚きますから!」
おれは今日IRIAとamaneの間であった諸々を神野さんにかくかくしかじかした。
「ほー……。そんで、IRIAへの加入を迫られてると?」
「まあ、そんな感じです」
「なんで悩んでんだ? 複数バンド出られるとはいえ、最終的に勝つのはどっちかだろ? どっちか手を抜くことになるじゃねーか」
「やっぱりそこですよねえ……」
おれは、自分でもまだ整理できていないがなんとなく落ち着いてきたことをぽつぽつと話してみることにした。
「……おれ自身が青春リベリオンに出たいのって、バンド・amaneとしてデビューしたいからなんですよ」
「はあ」
「だったら、知名度が上がるなら悪いことはないんじゃないか、という気持ちがあって。でも、一方、『え、掛け持ちってなんか、何様?』みたいな気持ちが混ざってまして……」
「ほーん」
……他人に『ほーん』って言われた。
「それで、あと、市川……市川天音は、多分青春リベリオンで『優勝』したいんです。おれはどこに一番の目標があるのかよくわからなくなって……」
あたふたとおれが説明すると、神野さんが目を細める。
「はー、なんかうぜーな、お前」
「う、うざいって……!」
「ま、好きにすりゃーいーさ。……明日の朝も同じこと思っていられるならな」
神野さんは勢いをつけて、立ち上がる。
「すみません。せっかく教えていただくのに。曲が増えたり変わったりしたら、教えることも変わってきますよね」
「思いあがんな、タクト。お前にはどの曲にも共通して求められる基礎中の基礎が足りてねーっつってんだ」
「へ……?」
おれが顔をあげると、片眉を吊り上げて、かっこよく笑う。
「みっちり叩き込んでやるよ。ほら、スタジオ入るぞ」
「……はい」
ごくり、と唾を飲み込む音が、スタジオのロビーに響いた気がした。




