第30小節目:徒然モノクローム
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「知ってるか亜衣里ちゃん、『青春』っていう言葉は日本にしかないんだ」
お姉ちゃんが高校生でわたしが小学生の時。
学園祭の曲決めか何かでうちに遊びに来ていたお姉ちゃんのバンドメンバーのうちの一人が言っていた。
「阿賀、あんたその話好きだねー」
「孝典は青春に夢見てるからなあ……」
テーブルの上にはバンド用の楽譜と、コーラやファンタやポッキー。
みんなに茶化されながらも得意げに目を輝かせる彼に、
「……日本語なんだから、そりゃそうなんじゃないの?」
わたしがそう言うと、そうじゃないんだ、と返ってくる。
例えば、語源となった中国の『青春』は単純に季節を表す言葉でしかないらしいし、じゃあ英語ならどうだと思って辞書を引いてみると「youth」と出てくる。それは単に「若者」ってことであって、青春とはちょっと違うんだそうだ。
甘酸っぱいような、むずがゆいような、そういうニュアンスを当たり前みたいに伴って思春期を語る言葉は、『青春』以外にないんだ、ということらしい。
あの人だって別にすべての言語を調べたわけじゃないだろうし、そもそも本当に中国や英語圏では「青春」とか「youth」という言葉にそういった情感が込められていないかどうかだってネイティブじゃないんだから怪しいものだ。
今思えば一介のロマンチストな高校生だった彼は、小さな子供にちょっと何か感心されるようなことを吹き込みたかっただけなんだと思う。
だけどその目論見は多分彼が思う数倍成功して、わたしはそれ以来なんとなく「青春」という言葉に興味を持って過ごすようになっていた。
そのせいもあるかもしれない。
両親について海外に行ってしばらくしてから、初めて日本の学園もののアニメを見た時、胸がいっぱいになった。
海外に住んでいるわたしからすると、高校生活の輝きをちょっと過大評価しているというか、あたかも「高校生活が終わったらあとは余生です」とでも言いたげなくらいで首をかしげたりもしたけど。
だとしても、日本の高校生活っていうのは、青春っていうのは本当にそんなに良いものなんだろうかと興味が湧いた。
そして去年の今頃、ウチはパパとママに頼んでみたのだ。
「ウチ、日本の高校に行きたい」
反対されるかと思いきや、パパとママは日本の高校で出会ってそのまま結婚したカップルだったもんだから大喜びで、あれよあれよという間に武蔵野国際高校への9月生としての入学が決まった。
想像していたよりは多少地味な制服に袖を通し、入学してから2週間ほど経ったあたりで、ウチは気付く。
実際の日本の高校生活にあんな輝きはない。
『青春っていうのは本当にそんなに良いものなんだろうか』
答えは簡単で残酷だった。
青春なんて嘘っぱちだ。
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