第24小節目:海から出た魚
「タクトさん、IRIAに加入してくれないかしら?」
「…………は?」
突然おれの教室に来た一年生・広末亜衣里の、そしてつい昨晩ラジオに出ていたIRIAの唐突な要求に思考がついていかない。
「いや、えっと、IRIAに加入って……。あれは個人プロジェクトなんじゃないのか?」
聞くべきはそこじゃないだろうが、おれはとりあえず浮かんだ疑問から口にしていた。
「あら。その口ぶりだと、聴いてくれているの?」
「……耳に、入ったことは、ある」
いや、なんだその言い方は。普通に、『昨日初めて聴いた』とかでいいだろ。
IRIAのことを意識していることが透けて見えてしまっていることを自覚して、そっと顔を伏せた。
追って、そもそも『IRIAに加入してくれない?』という言い方が、IRIAを知ってる前提での問いかけになっているのに気付く。向こうは向こうで、傲慢な自意識が透けて見えてるな……。
「タクトさんの言う通り、今のところは個人プロジェクトね。でも、最近、事情が変わったの。だから、」
「亜衣里さんっ」
横に立っていた平良ちゃんが声をあげて広末のブレザーをぎゅっと掴んだ。
「何かしら?」
「そんな用事だって分かっていたら連れてきていませんよ。先輩方は既にバンドを組んでいるのです。それを勧誘するなんて……!」
「なんの問題があるの? 別に今のバンドを辞めてって言ってるわけじゃないわ。ただ、兼任してくれればいいだけ」
「そんなそんな、浮気みたいなことっ……」
「あら、随分と狭量なのね?」
広末はなぜか平良ちゃんの頬にそっと手を添えて、やたら艶かしく微笑む。
「同じミュージシャンがいくつかのバンドをやることなんて、よくあることよ?」
「で、でもっ……」
「平良ちゃん、大丈夫」
焦っている平良ちゃんが気の毒なので、声をかける。
「平良ちゃんが仕向けたわけじゃないってことは、わかってるから」
「小沼先輩……」
それに、実際、平良ちゃんの主張は分が悪い。というか別に広末も広末で、態度は悪いものの、言ってること自体は何も悪くない。
同じミュージシャンがバンドをやることも、バンドに所属したミュージシャンが他のソロミュージシャンのサポートでツアーを回ることも、しょっちゅうある。
むしろ、それがドラマーであれば、プロの世界において、それをしていないプレイヤーの方が少ないだろう。
たとえば平良ちゃんが『あのあの、小沼先輩、もしよろしければなのですが、自分のためにドラムを叩いていただくことは可能でしょうか……?』と聞いてきたら叩いちゃうかもしれない。……昔そんなことを言われた気もする。
平良ちゃんを見ていたら、なんとなく頭の中が整理されてきた。
「言ってること自体は分かった。でも、どうしておれのところに来たんだ?」
「昨日、あなたのバンドの演奏を聴いたわ。この子がミキシングしてるのを聴かせてもらったのよ」
「すみません、勝手に……! そのその、ミキシングで行き詰まっていたところに、経験者と思しき亜衣里さんがいらっしゃったので……!」
「全然大丈夫。ミキシング、一生懸命ありがとう」
「うう……」
平良ちゃん、もう縮こまらなくて良いのに。
「……で、音源は、どうだった?」
質問を投げかけると同時、ドクドクと心臓が音を立てる。
なんだ、この妙な緊張感。
「このドラマーとベーシストはうってつけだと思ったわ」
「うってつけ……?」
おれと、沙子が……?
「ええ。歌を邪魔しないし、不要な主張もしない、ちょうどいい伴奏だと思った」
「ちょうどいい伴奏……」
褒められているのか、貶されているのか、どっちなんだろう。
悪いことは言われていないし、きっと彼女は良い意味で言っている。
それでも、なんだか、それじゃ、まだおれたちは……。
「あら、ベーシストもいるじゃない。……二人も?」
思考の沼にはまりかけたその時、広末は、おれの後ろに立っている吾妻と沙子を見つけて、目を細めた。
「……どっちが本命?」
「本命って……」
二人の方を指差して、首を傾げる。
その時、
「amaneのベーシストは、うち」
沙子が足を踏み出して、
「つーか、それよりも、」
広末の人差し指を握って引っ張って、ぐっと顔を近づける。
「敬語使えよ、一年。あと人を指差すな」
「……っ!」
沙子にすごまれてさっきまで傲岸不遜そのものだった広末の顔に初めて恐れの感情が走った。
沙子ちゃん、意外と体育会系なので、そういうのは厳しいんだよな……。
「そ、そういう、いかにもジャパニーズライクなものをウチに求めないでちょうだい」
「敬語使えっつってんの」
「…………」
「敬語」
じっと見つめられて固まる広末に、沙子がもう一度言うと、
「求めないで、くださる……?」
広末もやっと応じた。まあ、緊張と不慣れでお嬢様みたいになってるけど……。
「うん。それでいい」
沙子は握っていた広末の手をそっと下ろして放した。
「で、うちと拓人の演奏が欲しいのは分かった。でも、そもそもそれはどうして」
「…………?」
「あ、これ、沙子的には質問してる」
「ああ、質問なの……です、ね……」
さこはす特有の語尾上がらない系質問に慣れていない広末が、『これ、なんですの……?』と、おれを見上げるので、教えてやった。なんか、この子も縮んでれば年相応で可愛らしいところがあるな……。
「小沼、さすがにちょろ過ぎだって……」
……背後から心を読むな吾妻。
「それで、どうして?」
「高校生とバンドを組む必要があるのよ」
「今のまま、ソロプロジェクトじゃダメなのか? 上手くいってるっぽいのに」
「ええ。だって、ウチは、」
そして、広末は大真面目な顔で、おれを見上げる。
「『青春リベリオン』で優勝したいの」




