第23小節目:Morning Paper
翌朝。
一泊分の荷物を持って一夏町駅に行くと、改札を入ったあたりに、見慣れたベーシストの姿が二つ並んでいた。
「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ……」
「さこはす、それ違うやつ」
「はっ……」
金髪が一点を見つめながらぶつぶつ呟いて、茶髪が呆れ目でツッコんでる。
「昨日、あのあとエヴァ見たのか?」
「あ、小沼」
おれが声をかけると、吾妻は一瞬顔を明るくしてから、
「……てか、挨拶」
と、ジト目で詰ってくる。久しぶりに挨拶部部長に怒られた。
「おはよう」
「はい、おはよう」
素直に挨拶をしたらちゃんと返してくれる。こだまでしょうか。吾妻です。
「目標をセンターに入れてスイッチ……」
「おい、沙子? おはよう」
「拓人をおはように入れてスイッチ……」
「何言ってんの……?」
目の焦点の合ってない幼馴染にも挨拶するが、あやうく狙撃されるところだ。
「で、なんで沙子はこうなってんの?」
「一晩中、メトロノームに合わせて練習してたの」
「ああ、なるほど……」
たしかに、メトロノームにストイックに合わせる練習を数時間行うと、こういう感じになるのも分からないではない。
「あのね、拓人。メトロノームの音を聞いてから弾いてたらもう遅いの。0.数ミリ秒、ずれてしまう。クリックの音が自分のベースから鳴るような意識で弾かないといけないの。これが、ジャストタイミングということ」
「そうなあ……」
いや、何その口調。
「拓人は知ってたの」
「まあなあ……」
沙子の今言っていた感覚は、ベーシストよりもドラマーに身に付きやすいものではある。
第一の理由は、ドラムはそもそもリズム楽器なので、他のパート以上に、タイミングには厳密でないといけないから。
そして第二の理由は、音を鳴らす動作の動き出しが他の楽器よりも早いから。
例えば、高く手を挙げた状態から、「いっせーのーせ」の「せ」のタイミングで太ももを叩こうとしたら、「のー」の部分ではもう手を動かし始めているはずだ。
その点、ベースは、弾く前に指はもう弦の上に置いてあるため、「せ」と言いながら指を動かしても、大きなズレは生まれない。
なので、あまり意識を持ちづらいのだ。
だが、この小さなズレも、ズレはズレ。狙って行わない場合、音楽的に悪く作用することが多い。
「で、その練習をずっとやっていた、と……」
「うん。まあ、さすがに睡眠とったけどね? 眠気は集中力の敵だから」
「……でも、おかげで、大分身についてきた」
自分の手をグーパーさせながら充実感ありげに口角を0.数ミリあげる沙子。
その姿を見て、おれもなんだか微笑ましくなる。
「まあ、沙子は元々、勘所はめちゃくちゃ良いもんな」
「そうだね。さこはすは、なんとも言えない良いスポットに音をすぽっとはめてくるよね」
「いきなりなんで駄洒落だし……」
「ん……? はっ、無意識だやばい」
吾妻も疲れてるなあ……。
「おつかれ、吾妻。ありがとう」
「ああ、うん……。は!? 何いきなり!?」
顔を赤くしてピーピー言ってくる吾妻。いや、なんでだよ。
「で、なんで改札内に、たむろしてたんだ?」
「ゆりすけがみんなで登校してみたいって。なんだっけ……幼馴染体験とか言って」
「そうなの!」
吾妻が瞳を輝かせる。
「何それ……?」
「いや、これ、珍しくまじで他意はなくて。あたし、中学から私立だからさ、友達と地元の駅で待ち合わせして登校、みたいなのしたことないんだよね。憧れがあって……」
「なるほど……」
まあ、たしかに、吾妻にとっては、そういうものなのかもしれない。
「あ、拓人、これ」
ホームに降りると、沙子がおれに紙袋を手渡してくる。
「何これ?」
「寝袋とエアマット」
「はあ……なんで?」
「だって、今日徹夜なんでしょ。明日早めに学校来て寝るとかするかもしれないじゃん」
「ああ、なるほど……。ありがとう」
中を見ると、キャンプで使うような代物が入っていた。
エアマットが何か分からなかったが、要するに空気を入れて使える簡易のベッド(っていうほど大きくはないけど)らしい。
「これ、沙子の?」
「うん」
「え、さこはす、キャンプとか行くの?」
「うん」
昔は誘われて一緒にいったこともある。
最近はそうでもなかったから、沙子もそんなに行ってないんだと勝手に思い込んでいた。ええ、自分が誘われないから行ってないだなんて、小沼くんすごい自意識過剰……。
それにしても、こんな金髪の娘がキャンプに着いてきてくれるなんて、パパはすが娘を溺愛するわけだよ。
「ありがとう、沙子」
「ん。あ、それ、口で膨らませるタイプのエアマットだから」
「ああ、うん」
……うん!?
せっかく駅で会ったものの、満員電車に揺られて吾妻ともそんなに話もできない中、新小金井駅に到着する。
「おはよう!」
すると、改札の外、うちのバンドのギターボーカルが立っていた。
「楽しそうだねー? 小沼くん?」
「楽しいとかじゃないけど……」
「ふーん?」
貼り付けたようなニコニコの笑顔で首をかしげる市川の後ろで、
「あー、結構きてるね……」
と吾妻が呆れたような声をあげた。
「ねえ、市川さん」
「ん?」
「メトロノームの音を聞いてから弾いてたらもう遅いの。0.数ミリ秒、ずれてしまう。クリックの音が自分のベースから鳴るような意識で弾かないといけないの。これが、ジャストタイミングということ」
「へえー、たしかにそうかも?」
「ふふん」
……『ふふん』って口に出ちゃってるよ、沙子ちゃん。
沙子の練習成果の発表を聞いているうちに、学校に到着する。
「ん……?」
すると、2年6組の前に人だかりが出来ていた。
「どうしたんだろう? 6組に有名人でも転校してきたかな?」
「英里奈かな」
「今さら?」
おれもなんとなく気になって人混みの後ろ、背伸びをして教室の中を覗き込むと。
「はあ……?」
金髪ショートカットの一年生が、おれの席に座っている。
「あの子、この間、学食で会った……」
「ああ、小沼せんぱぁい……! やっとやっときてくださいましたぁー……!!」
そして、傍に立っていた平良ちゃんが泣きそうな目でおれを見つけて声をうるませた。
「平良ちゃん……?」
金髪一年はおれを一瞥してから、「この人?」と確かめるように平良ちゃんの方を見て、平良ちゃんが頷くのを確認して立ち上がり、カツカツとこちらに歩み寄ってくる。
人混みが割れて、おれの方に近づいてくる。
周りにはたくさんのギャラリー。
なんだこの状況……?
「あなたがオヌマタクトさん?」
「そ、そうですけど……?」
「ウチは広末亜衣里」
「ど、どうも……」
なに、おれ、告白でもされんの? などと下らないことがよぎった直後、その声を昨日の夜に聞いたことを思い出す。
「って、もしかして……!」
「ねえ、タクトさん」
朝日の差し込む学校の廊下。
頬の真ん中あたりで切り揃えられた金髪、苛烈さを感じさせる瞳、小さな唇。
かなり整った顔をしている。
混濁した頭の中、必死に状況を理解しようとするおれに、広末亜衣里は口にする。
「タクトさん、IRIAに加入してくれないかしら?」
「…………は?」




