第15小節目:Bad Love
「……不良少年になる覚悟はあるか?」
「……はあ?」
質問の意味が分からず、眉間にしわを寄せるおれに、神野さんは質問を重ねた。
「アタシがなんでスタジオで働いてると思う?」
「音楽が好きだから……?」
「いや、そうだけどそうじゃねーよ……。否定しづらいこと言うなよ……」
「じゃあ、そこにスタジオがあったから、ですか?」
「アタシは登山家か……? おい、なんだそのドヤ顔は」
呆れたようにため息をついてから、「ちげーよ、そうじゃなくて、」と首を振る。
「ドラムが無料で練習できるからだ。こないだも言っただろーが」
「無料で? 社割的なことですか?」
「まー、半分正解だな。平日の深夜、全部の部屋が埋まってることってほとんどねーんだよ。そんで、電気つけなきゃ、電気代も使わねーし、別にドラムを練習していようが、店的には一銭もかかってねーってわけだ。それで、深夜に上がった店員はどうせ電車もねーし、それまでの時間潰しも兼ねて練習させてもらえるんだよ」
「なるほど……!」
それはたしかに理に適っている気がする。
「アタシは週に4、5日そうやってドラムを練習してる。おかげで、ほとんど毎日練習が出来てる。つーかそうでもしねーと、ドラムセットで毎日練習するとか高校生のお小遣いじゃ無理だからな」
「それはそうですよね……」
おれは、中学の時には吹奏楽部の部室が、今はロック部の部室が使えるからまだ練習出来ている方だけど、それでも毎日本物のドラムセットを叩けるというわけではない。
ゴムパッドを叩くのもれっきとした練習ではあるが、やはり本物を叩くことで学べることはまた別物だ。
「え、じゃあ、平日ほとんど毎日夜中練習してるってことですか?」
「そー言ってるだろ」
「神野さんっていつ寝てるんですか……?」
「吉祥寺からの始発に乗れば、5時半までには家の布団で寝られる。2時間くらい寝てから準備して、授業中爆睡すれば、睡眠時間はかなり確保できる」
おれが首を傾げると、なんてことないことのように神野さんは答えた。
「卒業できるんですか……?」
「アタシはこう見えて頭はいいからな? 音楽と体育と英語以外は全科目Dだけど、別に留年になるほどの成績は取ってない」
「それって頭いいんですか……?」
「あーうるせーうるせー、お前ユリボウかよ」
煙たそうに手で払われる。吾妻だったらもっと言ってるんじゃないかな……。
「ていうか、不良ってそういうことか……!」
「ちげーよ。授業中寝たくらいで不良とか、お前本当に大丈夫か? 坊ちゃんか? 野口英世か?」
……坊ちゃんは夏目漱石の作品だし、野口英世は小説家ですらない。
「じゃあ、不良っていうのは……?」
「深夜外出だよ」
神野さんは真面目な顔つきに戻る。
「タクトもアタシと一緒に入るってことになったら、お金払わずに使わせてもらえるはずだ。アタシのレッスン料もいらない。教えることで学ぶこともあるから。だから、深夜にスタジオオクタに来い。どーせ、夕方は全部バイトだからレッスンしてやる時間もねーし」
「まじですか……!」
その申し出を文字通り受け取るなら、深夜にスタジオに行けさえすれば、無料でドラムを習うことが出来るということらしい。
「でも、高校生が深夜に徘徊してたらまずいからな? まあ、それはアタシもなんだが……。あくまで、友達の家にお泊まりってわけだ。お前は今日から店長とお友達だ。分かったか?」
「おれは構いませんが……。店長はいいんですか?」
「店長はお前らのバンドを応援してるからな。それに、金を取ったらそれこそ『お泊まり』って言い訳がきかなくなるだろ。まあ、ちょっと相談しておいてやるよ。ダメだったらすまん」
「すまんだなんて、そんな……。ありがとうございます、おれたちのために、わざわざ」
来る前は、『弟子は取らない主義だ!』と突っぱねられるかもなんて思っていたのに、圧倒的に好条件でおれを鍛えようとしてくれる。なんてありがたいことだろう。
「ま、あとは、親がなんていうかだなー。タクトの家って厳しいのか?」
「いえ、そこまででは……。事前に友達の家に泊まると言っておけば」
「そーかそーか。じゃあ、そうしておいてくれ。アタシは4時53分の始発に乗るから、夜10時半から朝4時半の6時間だな。休憩は挟むけど」
「分かりました。いや、でも、そうなると……」
その時間だと、おれは一旦家に帰ったらもう起きる時間になってしまうので、着替えだけして、正真正銘の徹夜で学校に行くことになってしまう。
「ん、どーした?」
「……いえ、なんでもないです」
……別に、そんなのどうでもいいことだ。
神野さんがここまで言ってくれている。成長の機会を、睡眠時間ごときでふいにすることはない。
「そーか。悪いな、なんか、まじで悪いことさせて」
「いえ、こちらこそ、すみません」
「んじゃ、今夜はさすがに無理だから、じゃあ、まずは明日の夜からだな」
放課後。
「へえ。他の女性と外泊ですか」
学校のスタジオで、市川に深夜練習のことを話すと、沙子のように無表情で平坦な反応が返ってきた。
「いや、外泊っていうと言葉が強いというか……」
おれがしどろもどろになっていると、市川の頬がゆるむ。
「あはは、冗談冗談。それが特訓ってことだね? でも、不良だね?」
「そうなあ……」
「でも、小沼くん、それじゃあ、寝る時間ないんじゃない? 往復3時間かかるでしょ?」
頬に人差し指をあてて、小首をかしげる。相変わらず天然であざといなこの人。
「まあ、そうなんだけど、そうも言ってられないというか。こんな機会、なかなかないだろうし」
「うーん。そうかもしれないけど、体調がもつかな?」
「ああ……」
なんとも返せないまま口籠もってしまうおれに、市川は続ける。
「夜寝られないこと自体も心配だし、夜寝られないなら、学校終わってから深夜練習までの間に上手く睡眠取るとかしないと帳尻合わないよね? 気合いで無限に起きていられるわけじゃないし。練習にも支障が出るんじゃない?」
「すごい正論いうじゃん……」
「ご飯とかもどうするの? 夜ご飯マックは、体調崩れちゃうかもしれないよ?」
「ああ、はい……」
あれ、これってもしかして、外泊をやめろというのを別角度から言われている……?
「……あのさ、小沼くん?」
「はい……」
「スタジオってさ、吉祥寺にあるよね?」
「ああ、うん……?」
今さら当たり前のことを言い始めた市川を見上げると。
「その、それでね、」
彼女は、頬を赤く染めて、言いにくそうに身をよじりながら、小さくつぶやく。
「……私の家も、吉祥寺にあるよ?」




