第6小節目:ラヴ・パレード
おれの地元、一夏町駅の改札前でそわそわと立っていると、やがて改札の向こうから、アコースティックギターを背負った黒髪女子がハの字眉の笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄ってくる。
天窓からさす光のハシゴに照らされて、まさに天使降臨って感じだ。
「お、お待たせ小沼くん!」
「あ、ううん、だ、大丈夫……! えーっと……行きましょうか……」
「そ、そうだね……!」
照れくさそうに顔を伏せて隣を歩いてくださっているのは市川天音様。
「ひ、一夏町来るの初めてだよな? と、遠かっただろ?」
「う、ううん、大丈夫……! で、でも、小沼くんと沙子さんは毎日これを往復してるんだね?」
「そ、そうなあ……」
地元の駅というこの上なくホームな環境において、緊張がやばい。
それもそうだろう。この状況で緊張しないやつがいるならその人はもはや人間じゃない可能性がある。
……本日、ついに、市川天音様、小沼家へご来訪である。
昨日のスタジオへの電話のあと、市川にかくかくしかじかと連絡をしたところ、市川の家はお母さまが御在宅とのことで空いておらず、結果としておれの家でやることになってしまったのだ。
他に空いてるスタジオないのか探せよというご意見はごもっともだし、吉祥寺に限定しなければきっとなくはないだろう。(ちなみに学校はスタジオも含めて日曜は完全に閉鎖しているため使用出来ない)
だが、無料で出来る環境であれば、お金がかからないことはもちろんだし、それ以上に時間を気にせず試行錯誤が出来ると言う大きなメリットも存在する。
いやいやお前そんなこと言って、家に連れ込みたかったんだろと思われるかもしれないが、断じてそんなことはない。小心者オブザイヤー受賞者であるところのおれが、こんなに緊張するって分かってることを進んでしたがるはずがない。
ということで、今日は特別ゲストをお呼びしている。
……いや、呼んでいるという表現は明らかに誤ってるな。ゲストは市川天音さんの方だ。
家に帰って、玄関の扉を開けると、
「よよよようこそおこしくださいました!」
そこには正座をしてかしこまっている我が妹がいた。
「どどどどどうもこんにちは!!」
それに対して市川までめちゃくちゃどもってる。珍しいな、ははは。
仕方ない、ツッコミニケーションで空気を和らげることにしよう。
「ふ、ふふ、ふたりともきっ、緊張しすぎだゃから!」
……いやいやそりゃそうだ、おれが一番こうなるに決まってる。
当たり前だろ、おれは小沼拓人だよ。
「そ、粗茶ですが……!」
「あ、いえ、お構いなく……!」
ゆずが今日のために即席で覚えたであろう常套句を披露しながらお茶を出す。
おれとしては妹と3人でいるのも恥ずかしいし単純に作業も進めたかったので、こんなティーブレイクの時間はなくてもいいんだが、そうは問屋がおろさないらしい。
家にいてもらうようにお願いした手前、むげにも出来ず、ダイニングテーブルを囲んで3人座っていた。
ちなみに、今、粗茶だと言って出したお茶は兄妹2人で今朝、焦りながらスーパーに向かい、とりあえず一番高いのを買ったものだからそこまで粗茶というわけではないだろう。……いや、でも、市川の家は金持ちだから、やっぱり粗茶か?
そして、テーブルの上には市川が持ってきてくれたケーキがのっている。吉祥寺の美味しいケーキ屋さんらしい。気遣い力……!
「えっと、イチカワアマネさん……ですよね?」
「は、はい、そうです……!」
膝に手を置いて、顔を赤くしてうつむく市川。
「ねえ、たっくん、こんなに綺麗な人だって聞いてないんだけど……!?」
向かい側に座るおれに小声で言ってくるが、なんせ3人しかいないから余裕で市川には聞こえている。
「別にわざわざ言ってないし」
「言うでしょ!? こんな人彼女だったら、ドヤ顔して写真見せるでしょ!」
「写真持ってないし」
「写真持ってないの!?」
彼女の写真がスマホに入ってるとかどこのリア充だよ……。いやまあ、正確に言えばバンドamaneのアー写は持ってるからそこには写ってるけど、あれはそういうんじゃないし、ノーカンだ。
「そういえば小沼くんと二人で写真撮ったことないなあ……」
「天音さんもそういう感じなんですか!? いや、まあ、この男と撮っても仕方ないか……」
「そうなあ……」
本来否定なりツッコむなりするところなのだろうが、残念ながら同意である。
「そっか……恋人っぽいことってそういうのもあるよね……」
一人でぶつぶつと言っている市川さん。
「あ、そうだ、ご挨拶が遅れました、えっと……兄の妹の小沼ゆずです。今日は両親は出張で……。なんか、兄にいろって言われたのでいます、お邪魔かと思いますが、これは兄の指示ですので、兄が全面的に悪いです」
「は、はい……! ありがとうございます……!」
ちぐはぐな会話だな……。あと、ゆずちゃん、人を指差しちゃいけませんて教えましたよね?
「……ていうか、そもそもなんでゆずが必要なの?」
ゆずがおれをじろっと睨んでくる。
「いや、昨日説明したじゃん。市川のことはあくまでも音楽やるために呼んだわけだから、二人でうちにいたら、……その、なんとなく、他のメンバーに顔向けできないだろ」
「他のメンバーって沙子ちゃんとかアズマユリさんとかでしょ?」
「そう」
沙子はともかく、よく吾妻の名前まで覚えてるな。
「その言い分がゆずにはよく分かんないんだよなあ。二人が付き合ってることは沙子ちゃんとアズマユリさんも知ってるんでしょ? 別によくない?」
「いや、なんていうか、そこらへんは……」
デリケートなんだよ、と思いつつ、そこまで言われるとおれが意識しすぎなのかと思ったりもする。
「まーいいや。とりあえず、たっくんの指示だってことが天音さんに伝わっていればそれでいいんです」
その言葉に、謎に市川が「わあっ……!」と声をあげた。
「そうだ、たっくんって呼ばれてるんだよね?」
そして、こちらをにやにやと笑って覗き込んでくる。
「そうなあ……」
別にもうバレてるからいいんだが、改めて言われると恥ずかしい。
「何かおかしいですか?」
ほけーっと首をかしげているゆず。
「ううん、おかしくないです! ただ、お兄ちゃんとかって呼ばないのかなって思って。どうして?」
「さあ、ずっとそう呼んでるのでわかりません……。どうしてだろう、たっくん?」
ゆずが質問をスルーパスしてきて、二人の視線がおれに向く。
「えっと……」
単純におれが小さい頃は親がおれのことを『たっくん』と呼んでて、それを真似したゆずがそのまま育っただけの話なのだが、親に『たっくん』などと呼ばれていた過去を自分の口から話すのはかなり恥ずかしい。
「……まあ、とにかくいろいろだよ」
「そっか……。いつか教えてくれる?」
「まあ、そのうち……」
「分かった、それじゃあそれまで待ってるね?」
「はい……」
市川に見られて視線を逃していると、ゆずがぽかんとした顔でこちらを見ている。
「ゆず、どうした?」
「へ? あ、ううん、別に。なんか……思ったよりもずっと恋人っぽいな、と」
「「……!」」
不意に放たれた一言におれと市川の顔がほぼ同時に火を吹く。
妹にそれを言われるのはなかなかにえぐい……いや、居てくれって言ったのはおれなんだけど……。
「えっと、じゃあ、おれたち部屋で作業するから……」
沈黙から逃れるために席を立つ。
「ああ、うん……。あの、ゆずは隣の部屋にいるからね?」
念を押してくるゆずに、そういえば、と思い立った。
市川は今日歌うかもしれないから、その注意をしとかないと。
「あのさ、今日そこまでいけるか分からないんだけど、市川がもしかしたら結構大きい声出すから、その時はイヤホンとかで音楽とか聞いといてくれた方がいいかも。もしよかったらおれのノイズキャンセリングのヘッドホン貸すよ」
ライブでもないのに、初対面の相手に歌声を聴かれるのは市川もなんだか恥ずかしいかもしれないし。
と思ってると、
「…………は?」
ゆずが固まってこちらをものすごい顔で見上げていた。
「ん?」
「あ、あのね! 今日、私が歌うので! 小沼くんは多分それを気遣ってくれたんだと思います! あの、聴かれて困るものではないので、全然お気になさらず!」
赤面した市川が慌てた様子で横から差し込んでくる。
「え、そういうことで合ってる……よね?」
そして、こちらを向いて首をかしげた。




