第68小節目:うん。
「……で、なんで小沼が泣いてんの?」
「泣いてないし……心を読むなし……」
「いや、そんなに目を赤くしてたらあたしじゃなくても分かるし……」
沙子と英里奈さんが2人で市バス方面に帰っていくのを見送ったおれが新小金井方面の出口へ向かうと、校舎裏の駐輪場で吾妻がブレザーのポケットに手を突っ込み、ペンキのはげかかった柱に寄りかかって待っていた。
スタジオを出る時に、
「ねえ、英里奈とさこはすが一緒に帰ったら、小沼は1人で帰るんでしょ?」
「そうなるなあ」
「じゃあ、待っててもいい? 校舎出たあたりで」
「そりゃ、別にいいけど……気遣わなくていいからな?」
「いや、2人がどうなるか気になるし。もし英里奈と帰ることになったらLINEだけちょうだい」
という会話があり、それでその約束を律儀に守ってくれていたらしい。
「まあでも、あんたがこっちに来たってことは、上手くいったってこと?」
吾妻は優しく微笑む。
「そうなあ……」
おれはしみじみと先ほどの二人の会話を思い出す。
『うちが英里奈のこと大好きなのも、仕方ないことだよ』
沙子はそう言っていた。
「『大好き』なんて言葉が、沙子から出てくるなんてなあ……」
「へえ、そんなこと言ったんだ。それは一大事だね」
吾妻がそんなコメントをしながら歩き出すので、おれも横に並ぶ。
「まあ、さこはすと英里奈って本質的には似た者同士だもんね」
「そうなのか? むしろ真逆に見えるけど」
沙子は口数は少なく、表情の変化が薄い。
対して英里奈さんはよく喋り、感情表現が豊かだ。
どちらもやや派手な見た目をしているところはたしかに似ているが、それも理由とか性質が違うものだろう。
「うーん、表面的にはたしかに真逆くらい違うかもなんだけどね。なんていうかな。さこはすのことは小沼の方がわかると思うけど、少なくとも、万人に気を許すタイプではないでしょ?」
「そうなあ……」
万人に気を許すタイプではないどころか、気を許している相手自体がかなり少ない。
「で、英里奈って、学級委員長とかやってるし、『誰とでも話せます』って感じだけど、『誰とでも仲良し』ってタイプでは実はないじゃん?」
「たしかに……」
「自分にとっての『大切な人』と『そうじゃない人』の扱いの差みたいなものは結構強いタイプだと思うんだよ」
なんとなく分からないではない。
市川への態度とかもそうだけど、英里奈さんは意外とドライなことがある。
だけど、それもそうだろう、とは思う。
英里奈さんの愛だの恋だのについての考えは、良くも悪くも他の人よりも重い。一見あんなにわがままなくせに、自分が選んだ『愛』のためには自らを進んで犠牲にすることもある。蓋を開けてみれば、今回の沙子との件だってそうだ。
あの愛やら恋やらを成立させようとしたら、博愛主義ではいられないだろう。
「さこはすも英里奈も『本当に大事にしている人』ってたった数人しかいないところが、似た者同士だなあって思うんだよね。そして、その『たった数人』の中にたまたまお互いがいるっていう。すごいよねえ」
「なるほどなあ……」
おれは感心して頷く。
「英里奈が『大好き』っていう相手なんて武蔵野国際だとさこはすと健次くらいなんじゃないかな。まあ健次に対してはそういう言葉は使ってないだろうけど」
「そうかあ……ん?」
一瞬納得しかけてふと今日の昼休みに売店前で英里奈さんに言われたことが頭をよぎる。
『えりなねぇ、たくとくんのそぉゆぅとこ、大好きぃー!』
あれは……?
「『ん?』ってなに?」
なんとなく反射的に、おれの方を向いた吾妻からさっと顔をそらす。
「……あ」
……遅かったらしい。吾妻ねえさんが頬をひきつらせる。
「小沼、もしかして……?」
「い、いや、おれ悪くなくない?」
「悪くはないけど、悪いやつだね……」
呆れたように息を吐く吾妻の言う前者と後者の微妙な違いがおれにはわからない。
ただ、今の話を聞いて、改めて思う。
「吾妻は本当に人のことよく見てるよなあ……」
「……こんなの、顔色をうかがう癖が抜けないだけだよ」
苦笑いしながら頬をかく吾妻。
「いや、立派な長所だろ」
そう言うと、こちらを見て少し目を丸くしたあと、その大きな瞳は呆れたような半目になる。
「だから、そういうのをやめろって言ってんの……」
「そんなこと言われた覚えがないんだけど……」
「言ってないけどさあ……はあ……」
「何回もため息をつかせちゃってすまん……。幸せ逃げるらしいよ?」
おれがそう言った途端、すぅっ! とそこらへんの空気を一気に吸い込んだ。
「……吸い戻したから大丈夫」
「子供かよ……」
あはは、と吾妻は、さっきより少しだけ幸せそうに笑う。
「ねえ小沼、帰り、アイス買おうか」
「いや、寒くないか?」
もう10月なんですけど。
「そうかもだけど、アイスでも目に当てて、そのまぶたの腫れをおさえた方がいいよ」
「うそ、そんなに腫れてる?」
おれは自分の目尻に指をあてる。
「うん、そのまま帰って妹ちゃんに見られたら、『兄貴、カツアゲにあったの?』って聞かれるレベル」
「まじか……」
鏡がないので分からないけど、それはまずい。
何がまずいって、ゆずがおれのことを『兄貴』などと呼ぶようになったらたっくん凹んじゃう。
「じゃあ、アイス買うか……」
「うん。そうしよう」
吾妻はコクコクと頷いてから、少しもじもじとしながら、
「じゃ、その……東小金井から帰ろうよ」
と言った。
「なんで?」
「いや、新小金井からだと、コンビニって、あたしのバイト先のファミマしかないじゃん。男子と2人でバイト先行くのはさすがにバイト先の人たちに冷やかされるから……」
「ああ、そういう……」
おれはバイトしたことないから分からないけど、そういうこともあるだろうな……。せっかく冷やかされるならもっといけてる人の方がいいだろうし……。
「あ、言っとくけど別にあんたといるのが恥ずかしいとかそういうことじゃないからね? 勘違いしないでよね?」
おれが一般男子高校生の例に漏れない通常レベルのネガティブ思考を始めた瞬間、それを遮るように、ツンデレになってないツンデレセリフを挟み込んでくれる。
さすが元陰キャ。こういう時の理解とフォローがすごい。
「ああ、ありがとう……。でも、東小金井遠くないか? 新小金井の倍くらい時間かかるんだけど」
帰るの遅くなっちゃうけど大丈夫か? と思って尋ねると、吾妻はまた声をあげる。
「そ、それを理由に東小金井にしたわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」
「いや、それはツンデレ成立しちゃってるんだけど……」
おれがツッコむとまたしても吾妻は笑う。
「あはは、小沼と話してると、ほんと楽しい」




