第65小節目:アスパラ
翌日以降も、そのふわふわ頭(物理的にも精神的にも)の女はうちにまとわりついてきた。
「ねぇねぇさこっしゅ、ビートルズ以外に好きな音楽あるのぉ?」
「別に」
「ねぇねぇさこっしゅ、えりなねぇ、ダンス部に仮入部してるんだけどぉ、さこっしゅも入らないー?」
「やだ」
「ねぇねぇさこっしゅ、ダンス部に仮入部してる男子でカッコいい人がいるんだけどぉ……」
「あっそ」
こっちがなるべく素っ気なく対応しているにも関わらず、そんなこと気にしていないのか、小学生の時に作文の授業でやった『せんせい、あのね』みたいに『ねぇねぇさこっしゅ』と冒頭につけて、毎日毎日話しかけてくる。
そしてあらゆる質問や報告の最後には必ず同じやりとり。
「ねぇねぇさこっしゅ、今日一緒に帰ろぉ?」
「無理」
うちは、登下校時には音楽を聞きたいんだ。この女の発する甘ったるい声はノイズにしかならない。
それに。
2人で一緒に帰ったら、さすがにそれは『無関係』ではなく、『友達』と呼ぶべき間柄になってしまうだろう。
その一線は越えたくない。
もう、これ以上傷つきたくも、傷つけたくもないから。
数日経ったある日。
「ねぇねぇさこっしゅ、ラブレターって書いたことあるぅ?」
今日の昼休みの『ねぇねぇさこっしゅ』はそんな質問だった。
いつも突飛な話題だけど、今日は特にすごい。
どうせ、こちらの回答の質は変わらないからいいんだけど。
「ない」
「そっかぁ……分かったぁー」
「そう」
うちがあしらうとふわふわ頭は、
「はぁー……」
とため息をつきながら、なぜか肩を落として、とぼとぼと教室を出て行く。
……今日は、『一緒に帰ろう』って誘われなかったな。別にいいけど。
その日の放課後。
「あ」
階段を降りながらうちは、ヘッドフォンを机の引き出しに置きっぱなしだったことを思い出す。
帰り道に音楽は絶対必要だ。
高校からうちの家まで1時間半。そんなに長い時間を無音で過ごせるはずがない。
降りかけていた階段をたったっと駆け戻り、教室のドアに手をかけたその時。
「さすがにそれはエリナちゃんがひどくない?」
「いや、まあ、俺も時期が早すぎたのかもしれないし……」
「そんなことないよー。永沢、席となりじゃん」
「まあ、そうだね……」
女子と男子の話す声が聞こえた。
扉の窓から見えるのは、はじめてあのふわふわ女と話した時に助言をくれた女子と、もう1人本当に知らない男子。
一瞬なんとなく入室をためらってしまったけど、別にうちには関係ないし、気にする意味もない。
ヘッドフォンを取って帰ろう。
コクリ、と自分に対してなんとなく一度だけうなずき、ガラガラと扉を開けて入る。
「あ、波須さん……!」
すると、こちらに気づいた女子の方の顔がバツが悪そうに少しゆがむ。
「おっす、波須……さん」
知らない男の方も挨拶してくるので、軽く会釈だけしながら自席に向かう。
引き出しには当たり前だけど忘れたヘッドフォンがちゃんとあったので、それを首にかける。
「あの……今さっきの話って、聞こえたよね?」
女子が不安そうに、顔色をうかがうようにこちらを見て質問してくる。
「別にうちに関係ないから」
「え? でも波須さんって、エリナちゃんと仲良しだよね?」
「仲良くない」
「そ、そうなの……?」
それはそれでどうなんだ……という顔をしているが、うちは言い切る。
「うん、どうでもいい」
そう言いながら、教室を出ようとした。
……した、のに。
「……あの女が、何かしたの」
うちの口は、扉の内側で振り返り、そんな質問をしていた。
「ああ、うん……」
女子は結局訊かれてしまったことに再びバツが悪そうな顔をしてから、男子の方を見る。
男子は「ああ、うん、別にいいよ」と何かの許可を出した。
「あのね、永沢がエリナちゃんに告白したんだ」
「はあ」
誰だ永沢。
内心で顔をしかめていると、男子の方が話を引き継いで、言う。
「そしたら、エリナ、おれに『誰ですか?』って……」
……こいつか永沢。
「……はあ」
ため息がこぼれる。
いや、そもそも、あんたはあんたで、こんな出会ってからたった数週間であの女の何が分かったんだとか、あんな女の何を好きになったんだとか、そういうことは思う。
とはいえ、あの女の返事もたしかに、悪い。かなり悪い。
正当な陰口なんか本当はきっとありはしないんだろうけど、それでもこの女子が永沢を慰めるに足る理由というか、同情の余地はあった。
「それで、その言い方はさすがにちょっとひどいよねって、話してたんだけど……。ね?」
その女子が永沢とやらに上目遣いで首をかしげる。
その視線が、妙に熱っぽい。
……こいつも、恋に落ちるのが早いな。
うちの視線から同情を感じ取ったのだろうか、それとも無言を同意と取ったのだろうか。
いずれにせよ、女子はまた男子の方をはげましはじめる。
「ねえ、永沢、だから全然気にする必要ないよ。もう忘れちゃった方がいいよ。もっと相性のいい人がきっといるって」
「そうかなあ……」
2人で話しているので、もう、うちがここにいる意味もないだろう。ていうか最初からそんな意味なんかなかったのか。
……どうも最近、調子がおかしい。
今度こそ教室を出よう、ともう一度外を向いた瞬間。
「うん、だって、エリナちゃんって可愛いけど、変な噂立ってるし」
「え、そうなのか?」
「うん、3年生何人とも付き合ってるビッ……」
「おい」
気づけばうちはまたしても引き返していて、気づけばうちはその女子の肩をぐいっと掴んでいた。
「……な、なに」
「それ以上は口にすんな」
努めて冷静に言いながら、その目を覗き込む。
あの女の素行なんか、うちにも分からない。
だけど、それが事実であれなんであれ、それが『噂』や『推測』なんだったら。
「嫉妬に任せて人を傷つけるようなこと言ったら、あなたがずっと後悔することになる」
あんな変な女のために、高校生活を棒に振ることない。
うちみたいに、灰色の生活を送る必要はない。
「……う、うん」
女子は気圧されたようにうなずく。
「……だから、やめといたほうがいい、と思う」
念押しするみたいに、うちはもう一度口に出した。
『どの口がそれを言うんだよ?』
心のどこかで黒い顔をした誰かが話しかけてくる。
『お前は、それを謝ってもいないくせに』
下唇をそっと噛んだ。
「ごめん、それだけ……じゃあ」
そっとその肩を離して、出口に向かう。
「じゃ、じゃあね……!」
後ろから絞り出された声を聞き流しながら、自己嫌悪を奥歯で噛み殺しながら、廊下に出る。
昇降口に向かおうと、すぐ右に曲がり、ヘッドフォンを耳にかけようとしながら顔を上げると、そこには。
「何してんの……」
教室の外側の壁に背中をつけて、どこか嬉しそうに、
『しぃーっ……!』
と、人差し指を唇にあてる女がいた。




