第48小節目:LV30
「すごいことになったね?」
「いや、『なったね?』とかじゃなくて普通に結構ピンチなんだけど」
スタジオで楽器の準備をしながら、なんだか嬉しそうにしている市川の言葉に沙子が0.数ミリの呆れ目でツッコむ。『なったね?』の真似っぷりに悪意を感じるなあ……。
「舞花部長、どうしたんだろう……?」
神野さんの宣言のおかげですっかり目が覚めたらしい吾妻が腕組みして唸っている。
「そうなあ……」
* * *
「アタシら……Butterで、やっぱりそのライブ出るから!」
その神野さんの言葉に、「「はあ!?」」とおれと吾妻が大声をあげる。
「え、他のおふたりは受験生なんですよね!? 出られるって言ってるんですか?」
「おう! まーアタシらブルースだから、ほとんどぶっつけ本番でも大丈夫だからなー。前日に1回練習とかならいーよって! ヨユーだ、ヨユー!」
その割には『ぶっ殺す』などの脅しめいた言葉が聞こえた気がするけどな……。
「ねえねえ、小沼くん、ブルースってそうなの?」
市川がこそっとテーブルの向かい側からおれに耳打ちで質問してくる。
「ああ、まあ……。ほとんどアドリブみたいなもんだから……」
「そうなんだ、さすがよく知ってるね」
「拓人は、知ってるよ」
沙子が久しぶりの0.数ミリのドヤ顔を披露する。
「小沼くんが詳しいことは私も知ってますけど……」
市川が口をとがらせる。
話が長くなるのでざっくりとの説明になったが、ブルース音楽はもともと毎回同じコード進行でその時の不満とかをダラダラと弾き語っていたのが起源らしい。そこに、感情を歌だけではなくギターとかの楽器でも演奏されるようになっていった。
なので、出自からして、全体がその場のアドリブで成立しているのだ。
ただ、何も決まっていないからこそ、音楽的な空気の読み合いや、読んだ空気に対してその場で対応できるだけの技術や、引き出しの多さが問われるジャンルでもある。
……って何かの本に書いてあった気がする。
「舞花部長は、どうして突然このライブに出たいってなったんですか? 先週は出る気なかったのに」
おれたちの小声のコミュニケーションなど無視して、吾妻が神野さんに質問をぶつける。
「えーと、その……」
少し目を泳がせた神野さんは、
「ほ、ほら! 200万! 欲しいんだよ!」
と言いながら、壁に貼ってあったポスターをズビシッと指差して答える。
「嘘ですよね……?」
「う、嘘じゃない! バイトが大変なんだ! 海外留学すんだから!」
「本当ですか……?」
吾妻が目を細めると、神野さんが両手で顔を隠す。さすが先輩。後輩の読心術を回避する術を心得ている。
「本当だ!」
口も両手で塞がってるからなんか声がこもってて子供みたいだけど……。
そのやりとりを見ながらおれは、国分寺の楽器屋で神野さんがポスターを見ていた時の横顔を思い出す。
本当に賞金目当てなのかもしれないが、なんとなくそれとは別に『青春リベリオン』に対してなんらかの思い入れがあるようにも見えた。
「わかりました、もう心読まないので手を外してください……」
「本当か!?」
「本当ですよ、何歳児なんですか……?」
小学校の先生みたいなため息をつく吾妻ねえさん。
両手を外した神野さんは、もう一度ニカっと笑う。
「とにかく出るから! ユリボウと愉快な仲間たちも観るの楽しみだなー!」
「……amaneです。次言ったら本当に怒りますからね?」
* * *
「あの人たちを上回らないとレコーディング権もらえないんでしょ。そしたら『おまもり』もレコーディング出来ないじゃん」
沙子の言葉におれはうなずく。あの曲は、ライブよりもむしろレコーディングしていつでも聴けるようにすることに意味があるのだ。
「いや、まあ、お金を払えれば出来なくはないんだが……」
「お金あるの」
沙子はこちらを睨んでくる。
「ありません……」
おれは情けないため息をついた。
「でも、あの人たち相当うまいからなあ……。おれあんなに感動したことは、あ……んまりないし」
amane以来だ、と伝えそうになるが、amane信者の件が気になっていたこともあり、誤魔化す。
すると、当の市川は、
「どちらにしても、やれることやるしかないよ! きっと大丈夫だって。それよりも、対バン出来るの嬉しいなあ」
ニコニコとそんなことを言ってのけた。(ちなみに『対バン』はなんの略か知らないが、同じライブに出演するバンドのこと、もしくは同じライブに出演すること自体を言う)
「市川は余裕があるなあ……」「さすが、肝が据わってるね……」
おれと吾妻は感心のため息をつく。
「つーか、どうしてそんなに自信があるの」
おれたちを代表するように、沙子が質問した。
すると、市川は少しうつむく。
「……逆に、どうしてそんなに自信がないの? 今までのライブだって、いい演奏を出来たと思うけどなあ……」
微笑みながら、だけど芯の強さを感じさせる声で問いかけてくる。
「そりゃ、amaneの……」
おれはほぼ反射的にそこまで言って息を呑んだ。
そして、頭の中で続いた言葉に、また、ぞっとする。
だっておれは、
『そりゃ、amaneの曲があったからだろ』
と、そう言いかけたのだ。
おれは、バンドamaneの存在意義を、市川天音以外のメンバーの存在意義を、また自分で否定しそうになった。
むしろ、言葉にしなかっただけのことで、本心では既に否定しているということを自覚してしまった。
「小沼……」
吾妻もほとんど同じことを思ったのだろう。悔しそうに下唇を噛んでいる。
沙子もうつむいてしまった。
寂しそうに笑った市川は、空気を変えようとするように、おれたちを励ますように、パン、と手を叩く。
そして、本来ならめでたいはずの、だけど今は一番聞きたくないセリフを口にした。
「私ね、今日、新しい曲作ってきたんだ」




