第46小節目:SUPERSTAR
「おはよう、小沼くん」
「おお、市川……」
寝不足の身体にはまぶしい朝日に目を細めながら新小金井駅の改札を抜けると、ブレザーにマフラーをした市川が待ってくれていた。
今朝、『今日はバンド練習で一緒に帰れないので、朝、一緒にいきませんか?』とメッセージが来ていたのだ。なんで敬語だよ。
「小沼くん、大丈夫? 眠そうだね?」
「そうなあ……」
「昨日、由莉が寝かせてくれなかったの?」
「そうなあ……」
「んんー……!」
不満げに目を細めて頬を膨らませる市川。いや、自分で言ったんでしょうが……。
おれはぼんやりした頭で昨日のことを思い出す。
* * *
有賀さんの会社のビルを出たところで、いたって真剣な顔で吾妻がこちらを見上げてきた。
「小沼、あたし、今めっっっっちゃ話したいんだけど流石に帰るのが遅くなりすぎるから、帰ったら電話してもいい?」
「わかった、そうしよう」
そんな約束をして、家に帰った。(帰り道の乗り換えでもう一悶着あったが、それはまた別の話。)
そして、準備万端、気合十分で通話を開始する。
『風呂入った。メイク落とした。パジャマ着てる。あたし、超戦闘モード』
「いや、リラックスしきってるじゃねえか」
『そういう小沼はどうなの?』
「いや、メイク以外は同じようなもんだけど……」
そんなくだらない導入から入り、
『まず、あたしたちがamane……の信者だというところから見つめ直さないとね』
「そうだな、よく『様』付けずに言えたな……、目覚ましい進歩だぞ……!」
『なめないで、今、あたしの唇からは血が出ている……!』
「まじか……! たしかに、歯軋りみたいな音がギリギリしてるもんな……」
そんなくだらない踏絵めいた行動をし、
『結局、「キョウソウ」と「あなたのうた」の違いって、作った人の違いじゃんって気がするんだけど、正解それだと思う?』
「それって、市川じゃなくておれたちが作った曲でamaneは活動していくべきってことか? なんか、そうじゃない気がするんだよなあ……」
『だよねえ……』
そんな割とまともだけど、的を射てないことだけは分かるやりとりをし、
『ねえ小沼、もともとのあたしの算段だとこの電話中に覚醒回を迎える予定だったんだけど……』
「おう、頑張ってそうしようぜ」
『いや、でも、もう2時だよ?』
「わかってる。大丈夫、まだこれからだ。ここまできたら引き返せないだろ」
『中学受験の時に読んだ文章題で、『コンコルドの失敗』っていう話があってね……』
夜通し電話をしたものの、結局まったく答えには到達せず、やがて。
『小沼あ、朝チュンが聞こえて来たよお……。一緒に朝を迎えちゃったねえ……』
「ああ、こっちは鳩だな、朝ポッポだわ」
『あはは、汽車ポッポみたいじゃん。ほんとはうちの方もチュンって言ってない……。うける……』
「そうなあ……」
と渇いた笑いを浮かべたあたりで、電話の向こうから寝息めいたものしか聞こえなくなり、おれも「おやすみ」とだけ伝えて電話をそっと切った。
* * *
「電話、だよね? お泊まりとかしてないよね?」
「電話だけど……」
「じゃあ、まあ良いけど……。というか、有賀さんに何を言われたの? そんなに話し込むことになるほどのこと言われたの……? いじめられた?」
「んーと……」
なんと説明するべきだろうか。
シンガーソングライターamaneの信者じゃ、一緒にバンドをやる価値がないと言われたなんて伝えたら、市川はどんな顔をするんだろう。
もしかしたら『たしかにそうだね?』と納得してしまうかもしれないし、『何それ、ひどい!』と有賀さんに対して怒るかもしれないし、『そんなの分かってたよ? むしろ2人は自覚なかったの?』と呆れられてしまうかもしれない。
さすがに最後のはないと信じたいが、いずれにせよ自分の無価値さをわざわざ本人に伝えるなんて、辛すぎる。
「いや……とにかくいじめられてはない。なんていうか、有賀さんの市川への愛の重さがよくわかったよ」
「ふーん……?」
「すまん、情けなさすぎてちょっと言えなくて。乗り越えたらちゃんと話すよ。今は、まだちょっとだめだ」
「分かったっすー……」
不満げではあったがしぶしぶ納得してくれたらしい。口がとがってるのは語尾が「す」だからという理解でよろしいか?
「それにしても、待ち合わせして登校するの初めてじゃないか?」
話題を変えようと、さっき思ったことを話してみる。
「ああ、うん、そうかも?」
そう言った後に、市川はそっとマフラーを口元まで上げる。
「……小沼くんがその日一番最初に会う人は私がいいなあ、と思って」
「ああ……ん!?」
なんの前兆もなしにいきなり殺し文句みたいなことを言うので、おれはノリツッコミみたいな状態になる。
おれが心臓を跳ねさせながら市川を見ると、当の市川は少し憂鬱そうにため息をつく。
「はあ……。あのね、なってみて分かったんだけど、小沼くんの彼女って結構大変なんだよ。いつ何があるかわかんないっていうか、彼女になっても気が抜けないというか、手を抜いてもらえないと言うか……」
「なんの話……?」
こればかりはおれが鈍感というわけではないと思うのだが……? おれが眉をひそめると、市川は諦めたようにもう一度ため息をついた。
「別に大丈夫だよ。こっちが勝手に色々考えてるだけだから」
「いや、そんなこと言ったって……」
「小沼くんが、有賀さんに言われたこと教えてくれるなら教えてあげるよ?」
「うっ……」
おれが答えに詰まったのを見て、市川は「ね?」と苦笑する。
「でも、そう言われてみると、こんな風に一緒に登校出来る日が来るとは……って感じだね? 最初にお話した頃の小沼くんだったら、『あ、おれは、1人で行くから……リア充の人に迷惑かかるし……』とか言って、一緒に歩いてくれなかったもん」
「ああ……。え、それおれの真似?」
「付き合ってることも『隠したい』とか言い出しそう」
……質問はナチュラルにスルーされたが、まあ他の人の真似なはずがないのでよしとしよう。
「まあ、それは確実に言ってただろうなあ……」
恥ずかしいとかではなく、単純におれなんかと一緒にいたら市川の印象というか評判というかそういったものを損ねると思っただろう。
ぶっちゃっけ、その気持ちは今でもないではない。
というか、本当はきっと、そんなことをおれが言って市川にかえって落胆されるのが怖くて言えていないだけだ。
まだ、こんな人に付き合ってもらって……という、引け目は残ってる。
「憧れの向こうに、っておれは誓ったはずなんだけどなあ……」
あまり寝てないからだろうか、それともそのことばかりを考えていたからだろうか。
気がつけば、右手をグーパーさせながら、そんな独り言をつぶやいていた。
「もう……私、ちゃんと言ったはずなんだけどなあ」
「ん?」
市川の方を見ると、困ったように、寂しそうに、そっと笑う。
「ねえ、小沼くんが、私の憧れなんだよ?」




