第20小節目:翼をください
翌日、土曜日の放課後。
武蔵野国際高校は私立なので、土曜日も午前中だけ授業がある。
昼のホームルームが終わり、例によってスキル《ステルス》を発動させていた。
すると。
「小沼くんっ! 早く早く!」
市川がアコースティックギターのケースを背負っておれの席までやってきた。
「え、ちょ、い、市川、さん……」
その天使の降臨にキョドりまくるおれ。
なぜなら、まだ教室に人がたくさんいたからだ。
クラスの視線が集まっている。
後ろの席の安藤が、
「小沼、お前、大天使アマネルまで……!」
とか言って息を呑んでいる。
え、ていうか、市川は大天使アマネルって呼ばれてんの? 安藤のセンスのやばさがまじでやばい。
「小沼くん、どうしたの?」
市川は首をかしげている。
「え、いや、だって……」
「今日はアコギ、教室に置きっぱにしてたから!」
にこーっと市川が笑う。いや、そんなこと全然訊いてないんだけど……。
あたふたとしていると、
「拓人、市川さん、1時からでしょ。もう行かなきゃ」
次は、教室の後ろのドアから、金髪女子がベースを背負って現れた。
「さ、沙子……!」
「沙子様を……呼び捨てにしている……だと……!?」
安藤うるせえ……。
「拓人、早く」
「お、おう」
そう。
今日は、昨日歌詞のついた『平日』を早速バンドで合わせてみよう、ということで、放課後にスタジオを予約したのだ。
ダンス部も、土曜日は自主練日らしい。
武蔵野国際高校は寮生の多い高校だ。
その寮も日曜は休業してしまうために、寮生は毎週末実家や関東近郊の泊めてくれる親戚の家に帰るのである。
だから、土曜日は強制参加ではない部活が多いのだ。
「よーし、行くか」
気を取り直して、教室を出る。
出口のあたりですれ違った英里奈さんがこちらを見て少し憂鬱そうな顔をしているのを、黙って見過ごした。
吉祥寺の昨日と同じスタジオに到着する。
スタジオの防音室に入ると、また市川がストレッチを始めた。
「んしょ、んしょ」
今日はおれはドラム椅子に座って、高さの調節をする。
「アンプで音出すの久しぶり……」
そう言いながらベースをアンプに繋ぐ沙子。
「沙子さん、家にはアンプないの?」
「うちマンションだから……って市川さん!?」
沙子が珍しく大きな声を出す。
「ほぇ?」
おれはちらっとそちらを見て、すぐに目をそらした。
また、昨日のように床に座って、開脚前屈をしている。
「そんな、拓人が、男子が、いるのに……」
「え? スカートの中に短パン履いてるよ? ほら」
「見せなくて良いっての。拓人、こっち見たら殺す」
「見てねえよ!」
なんだ、この状況。
「市川さん、やっぱり、amaneって……」
「へ?」
「はあ.……なんでもない。準備して」
「はーい!」
返事だけはいい市川さんは、すくっと立ち上がって、ギターのチューニングを始める。
「そういえば、そのギター、エレアコなのか?」
「えれあこ?」
市川が首をかしげる。いや、あなたの使ってる楽器のことだよ……。
「エレクトリック・アコースティック・ギター。アコギだけどケーブルも繋がるやつなのかってこと」
「ああ、うん! 刺さるよ!」
そう言って、市川はギターケースに入れていたらしいシールド(ケーブルのことだ)を取り出してみせる。
「おー、良かった」
ケーブルにつながらないと、音を増幅出来ないため、ドラムやエレキベースが通常の音量で音を鳴らした時に、どうしてもアコギの音がかき消されてしまうのだ。
ということで、3人の準備が整った。
「よし、そんじゃ、合わせてみるか。沙子、コードとか大丈夫か?」
「うん、昨日練習してきた」
「そっか、ありがとう」
……なんだか、沙子のベースと合わせるのも2年ぶりくらいだな。
「あ、そうだ!」
市川が手を叩く。
「ん?」
「この曲の歌詞、紙に書いてきたんだ」
市川がカバンからルーズリーフの切れ端を出す。
「小沼くんも!」
おお、amane様直筆の歌詞カードだ……!
ただのファンとして喜んでいると、
「この歌詞……」
沙子がつぶやく。
「市川さんが書いたの」
沙子特有の語尾上がらない系疑問文。
う……。
「えーっと、いや、それは、おれが……」
「拓人じゃないことは分かってる」
ぴしゃりと言われる。
「あ、はい……」
なんでバレたんですかね?(自明)
「市川さんて、曲はダメでも、歌詞は書けるんだ」
「んーとね……」
市川が困ったように笑う。
対外的には市川天音の曲として発表するが、バンドメンバーの沙子にまで、このまま隠しておくわけにはいかないだろう。
ただ、これは市川でもおれでもなく、吾妻の問題だ。
おれたちが勝手に明かす訳にも……。
と思っていると、スタジオの扉が開いた。
「ごめんごめん! やっぱり居ても立ってもいらんなくて!」
そう言って入ってきたのは、吾妻だ。
「ゆりすけ……どうしたの」
沙子が戸惑っている。
吾妻には昨日のうちに、今日初めてのバンド練習があるということはLINEで伝えていたのだ。
でも、昨日の段階では、
由莉『さこはすがいるんだよね? さこはすに歌詞書いてるの分かっちゃうのか、どうしよう…』
と返事が来ていたのだ。
「由莉……良かったの?」
「うん」
吾妻は迷っていないような表情でうなずいた。
「amane様があたしの書いた歌詞を歌うところ、どうしても見たかったから。それに、」
吾妻は沙子の方を見ていう。
「さこはすは、そんなことであたしのこと馬鹿にしたりしないと思ったから」
沙子はまだ、驚いている。
「え、この歌詞、ゆりすけが書いたの」
「うん、そう」
「いつの間に、みんな……」
一緒にバンドなんかやるようになったのか? ということだろう。
「あたしが歌詞を書くことになったのは、火曜日!」
「あ、そう、なんだ」
吾妻が沙子に向き直る。
「さこはす、あのね、」
ふう、と緊張をほぐすように息を吐くと、
「あたし、歌詞とか書くんだ」
と、伝えた。
「うん」
沙子は目を丸くしてうなずく。
「……気持ち悪いなって、思う?」
「え、なんで」
本当によくわからないといった顔で首をかしげた。
「えへへ、分かんないならいいや!」
吾妻はその反応が嬉しかっただろう、くしゃっと笑ってみせる。
「そしたら、一回合わせてみよっか!」
やりとりを見ていた市川がニコッと笑って号令をかけた。
「分かった、それじゃ、やってみよう。1、2、3、4……」
おれのカウントで曲が始まる。
初合わせらしく、たどたどしくて、下手くそで、ガタガタな演奏だったけど。
たった一人の観客が、ぼろぼろ泣いてくれたから、最初の演奏としては上出来ではなかろうか。




