第40小節目:No Way
「小沼くん、この道は何?」
「えっと、新小金井駅までの遠回りの道ですね……」
怒ってるのか拗ねてるのかなんなのかよくわからないが、おれと目を合わせることもなく前を向いたまま、市川はやや無表情で首をかしげる。
「ふーん……小沼くんは遠回りしたかったの?」
「そうなあ……」
いや、遠回りしたいという気持ちはなくはないが、どちらかといえば人気のない道を歩きたかったという方が正しい。……が、口には出さない。
「……ふーん?」
その声のトーンが少し上がった気がしてその顔を見ようとすると、ふいっと顔をそらされる。
おれが諦めてまた前を向くと同時、こほん、と右耳から咳払いが聞こえる。
「なんで小沼くんなのにこんな道を知ってるの?」
「小沼くんなのにって……。吾妻に教えてもらったんだよ、結構前に」
「由莉に?」
「痛い痛い……。いや、違うって! ……いや、違わないけど、その……付き合う前に、amaneの話をするために使っただけで」
「ふーん……」
痛みは少し引いたものの、さっきちょっと上向いたっぽい声のトーンは元どおりになってしまった。
はあ、今、切り出しづらいなあ……。切り出しづらいけど、もう言わないといけないなあ……。
ふう、と息を吐く。
「あの、それでですね、このまま行くとそろそろ新小金井駅なんだけど……」
「それはそうでしょ、新小金井駅に向かってるんだから。それがどうかしたの?」
もう、遠回りの道が終わるT字路にさしかかっている。
ここを右に曲がると吾妻がバイトしているファミマの前に出て、いつもの新小金井駅までの道と合流することになる。
それにはちょっとだけ気がかりな点が……。
「いや、だから、みんないるから、その……」
「私、手を離すのはやだって言ったよ?」
そう、市川の左手はまだおれの右手をぎゅっと握ったままなのである。
校門を出たところで『手を離さないから』と意固地になった市川も、駅に着く頃にはさすがにその気持ちも収まっているだろうと思い、とりあえずはリア充御用達(吾妻談)の遠回りの道を通り、人と会わないように歩いていたのだが……。
でも、もうタイムアップだ。突き当たってしまった。
「えーと……」
と、その時、閃く。
最近お世話になっているあっちの駅があるじゃないか。
「じゃあ、こっち行かないか? 東小金井駅」
東小金井駅はギリギリ徒歩圏内ではあるものの、学校から30分程度かかるため、武蔵野国際生からあまり人気のない駅だ。利用者はかなり少ない。
今おれと市川が立っている分岐路を左に折れれば、東小金井までの道に入ることができる。ということを、英里奈さんと吾妻のおかげで知っている。
「どうして東小金井なの?」
市川さんは眉間にしわを寄せる。
「ほら、その……そっちの方が遠回りだし」
「ふーん……? ここから東小金井駅って何分くらい?」
「15分くらい、かな……」
「新小金井駅は?」
「2、3分「じゃあ、東小金井にしよう」
市川は食い気味に言い放って、直角に左に曲がった。
「おう……」
せっかくの遠回りなのだが、市川はあまり何も話さない。
おれも何を言っていいのかいまいち分からず、「あの自動販売機、ペットボトルのお茶が2種類売ってるね」とか「この駐車場、車があるね」とか「ほら、あれ……信号だね」とかの差し障りのない話題しか振れない。(その度「そうなあ……」とか返してくれる市川さんは怒ってるようで結構優しいかもしれない)
そんなダメダメな感じのまま、東小金井駅にたどり着き、改札前でおれは一つ提案をした。
「あのさ、市川」
「……」
無視。
「あの……天音さん」
「はい、なんですか、拓人さん」
なんだその呼び方新しいな……。
「今日の……その、今日のデー……、出歩くの、吉祥寺じゃなくてもいいか? 国分寺とか、立川とかそっち方面がいいんだけど」
「……どうして?」
「いやー……」
東小金井駅から吉祥寺に向かうために上り電車に乗ると、結局、武蔵境駅から乗って来た武蔵野国際生に出くわす可能性がかなり高い。(出くわすっていうかこの場合害悪なのは多分こっちだけど……)
一方、下り電車を使っている生徒は少ないので、ここからは下って行く方が安全だ。
この人はおそらく強情モードに入っているので、どうせ離す気などないのだろう。
であれば、『この状態』とうまく付き合っていく方法を提案したい。
「ほら……その方が、このままでも大丈夫だから……?」
「このままって?」
「……手」
おれが頬をかきながらそういうと、二つの手の結び目をしげしげと眺めながら、
「……ほう」
とつぶやく。ラスボスかよ。
「小沼くんは、その方がいいの?」
「そりゃそうだろ」
下り電車に乗ろうと提案してるのはおれなのだから、小沼くんはその方がいいに決まっている。
「ふーん?」
突然声を再び上向きにし、何かをこらえるように唇をもにょもにょしている市川さんだけど、おれは気が気ではない。
人気がないとはいえ、利用する人が全くいないわけではないのだから、この改札前に立ち止まっているのは結構危ないのだ。
「ほら、早くいこうぜ」
そう言って、市川の手を引っ張ると、
「ほえっ? あ、うん……!」
となぜか驚いたような顔をして付いて来た。
改札を入ったあたりで、市川が質問してくる。
「……小沼くん、どこにそんな強引なところ隠してたの?」
「強引って?」
「自覚ないの……?」
周りに生徒がいないかキョロキョロしまくっているこの俺様のどこが強引なんだよ。
……あ、腕を強く引っ張ったからか。
「すまん、痛かったか……?」
ホームに上がるエスカレーターで一段上に乗った市川に問いかける。
左はギターを押さえる方の手だ。握力が必要になる。
その腕をおれが負傷させたとあっては方々に頭が上がらない上に、『はあ……それで、どういう状況で痛めたの?』『その時一緒にいたのって拓人なんでしょ』などと2人に追及された日には、目も当てられない。その釈明会見は、する方にとってもされる方にとっても拷問だろう。
「ど、どうしていきなり心配してくれるの……?」
「いや、心配するだろ……大事な腕なんだから……」
「ふーん……?」
また少し声が上向いた気がする。
と思ったら、市川は、小さく首を振り始めた。
「いや、違うよ、天音…… 。これはマッチポンプなんだよ、天音……。この人はみんなにこうなんだよ、天音……」
「はあ……?」
天音さんがなにやらぶつぶつと失礼そうな呪文を唱え始めるのでおれが市川の方を向き直ると、うつむいていたその顔を想像以上に近くから覗き込む形になり。
「はぅっ!?」
と、聞いたことない声とともに、ふいっと顔をそらされてしまう。
「心臓に悪い、暑い……!」
耳元を真っ赤にして自分を右手で扇ぎながら、市川は口にする。
「もう、マフラー持って来ておけばよかったあ……」




