第32小節目:大洋航路
月曜日の朝。
新小金井駅から1人歩いていると、最初の信号のあたりで肩を強めに叩かれる。
「おはよう、小沼」
振り返ると挨拶部部長が朝の挨拶をしてくれた。
「おお、おはよう、吾妻。最近朝よく会うな」
「うにゃ!? べ、別にそんなことなくない? 偶然じゃない? 小沼が最近この時間に変えたんじゃない?」
何の気なしに言った言葉にやけに焦ったような反応が返ってくる。なんで質問責めだし。
「いや、おれは1年の頃から基本的にずっと同じ電車で来てるけど。吾妻が最近時間変えたんじゃないの?」
「か、変えてないっての。いや、その……ほら、あたし、器楽部の時は朝練してたから! だからだから!」
「だからだからってなんだよ。ていうか時間変えてんじゃん……」
どうしたの吾妻ねえさん……。
「うるさいうるさい! 別に、小沼がいるからこの時間にしてるわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」
「そのツンデレのテンプレみたいな言い方するとおれに合わせてこの時間にしてるように聞こえちゃうから気をつけた方がいいよ……?」
「そんなことは、日本語は小沼より得意だから分かってます! 逆にです! あえてです!」
「分かったよ……」
本当はまったく分かってないけど、たしかに日本語で吾妻に勝負を挑むほどおれも無謀ではない。
「ていうか、小沼ともう一曲どうするか決めたかったんだよね。それは本当に」
「ほーん……」
それは本当に、って、何か嘘だったのか? とは思ったけど、話が進まなそうなので心の中で思うだけにしておく。
「今日、小沼の心がうるさい……。こほん、話したかったのは3曲目の新曲のことね。天音が作ってくれるかもしれないけど、あたしたちも用意しなきゃでしょ?」
「そうなあ……おれも昨日考えてみたんだけど、考えてる時点でもう負けてる感じがするんだよなあ」
実際昨日は丸一日ギターを持ってパソコンの前に座っていたが、結局何も浮かばなかった。
「まあ、ギターもパソコンも小沼の感情を伝えるための媒介であって、そこに表現したいもの自体はないからねえ……。今回のことで、やっぱり小沼は感情が先に来ないと曲作れないってことがはっきりしたところあるし」
「それでいいのかっていう感じはするけどなあ……」
おれはぼやく。ドラマチックなことが起こり続けないと曲が書けないとしたら、作曲する人間として欠陥があるようにも思う。
「それは実際、根深い問題だね……。まあ、とにかく、あたしが歌詞書いてそれに曲つけてもらうのまだやってないから、そっちがいいかな?」
「そうなあ……吾妻はなんかあるのか? その、ネタ的なもの」
「んんー、ないことはないんだけど、あんまり小沼に曲をつけてもらうイメージがないんだよね……。『おまもり』で一旦出し切った部分はあるし……」
うーんうーん、とうなってから、思いついたように手を叩く。
「あ、でも、このあいだ小沼と歩いたのは結構楽しかったよ」
「ああ……それは良かったけど……」
夕陽に照らされた吾妻の宣言が思い出される。おれにとってもあの土曜日は意義深いものだった。
改めてあの時の、というか吾妻の覚悟に対してお礼を言おうと思ったけど『ありがとうとかじゃないんだって。あたしがやりたくてやってることだから』とまた同じことを言わせてしまう気がした。
言うか言うまいか迷っていると、吾妻の表情が少しむっとし始めた。
「ていうかそうだ思い出した……あの、さこはすのベースは何? さこはすを家に連れ込んだの? あたしとデー……散歩した直後に?」
「連れ込んだとか言うなよ、人聞きの悪い……。沙子がうちに来てたんだよ。ゆず……えっと、おれの妹と飯を食いに来たんだと。カレー作って食ってた」
「なるほど?」
「なんだよ……?」
吾妻はじーっとおれの顔を覗き込んでくる。
「ちょっと、こっちから行かない?」
吾妻が指さしたのは、いつか教えてもらった遠回りの道への分岐路だった。
「さこはすって小沼の家に頻繁に出入りしてんの?」
周りにはあまり聞かせるべきではないと思ったのだろう。遠回りの道に入って少し経ってから、吾妻は質問してくる。
「いや、もともとそうでもなかったんだけど、最近来るんだよ。曲作りしてた日もうちに来てたし」
「なるほどねー……。やっぱりケンジと英里奈と、あんまりうまくいってないんだ」
「さすが吾妻ねえさん……」
今の情報でよくそんなところまでつながるなあ……。
「そんで、主人公・小沼拓人は『おれが仲を取り持ってやるよ!』と約束をしたと……」
そして吾妻の悪意があふれててやばい。
「いや、そこまでは言ってないけど。英里奈さんと話してみるって言っただけで」
「それ、ほぼ一緒じゃん……。小沼にうまく出来んのー?」
意地悪ではなく、純粋に心配といった感じで吾妻は首をかしげた。
「いやーその自信はないな……。なあ吾妻、どうしたらいいかな?」
「あたしに聞かないでよ、そんなの……」
「だよなあ……」
そりゃそうだ、とおれは肩を落とした。おれが請け負ったことはおれが解決しないといけないに決まっている。
「ちょっと、そんな顔しないでっての……」
すると、吾妻が苦笑いをしながらおれの肩を撫でた。
「えーと、じゃあ、シミュレーションでもしてみる?」
「シミュレーション?」
「ほら、あたしを英里奈だと思って話しかけてみて」
吾妻は両手を広げてこちらを向く。
「え、そんなのしてくれんの……? まじいいやつだな吾妻……」
「気づくのが遅い。あたしはずっといいやつだし」
「た、たしかに……。まあ、とにかく、分かった。吾妻を英里奈さんだと思って、な」
ううーんと考えて、とにかく最初に出たセリフを試してみることにした。
「えーっと……。英里奈さん、沙子から聞いたけど、なんかあんまいい感じじゃないんだろ?」
「はああああああああああ……」
盛大なため息が返って来た後、
「却下よ却下、ど却下よ!」
と断じられてしまう。
「まじかー……」
「まじかーじゃないっての。ほんと練習しといて良かった。まず『沙子から聞いたけど』から始めるセンスが無理すぎる! そこは少なくとも最初は隠さなきゃ! そんでもって『なんかあんまいい感じじゃないんだろ?』って何その曖昧だけどネガティブな印象だけを与える百害あって一利なしな形容は! そんなんじゃ心の扉を閉ざしちゃうでしょ? 『話してみようかな』って思わせないといけないのに」
「じゃあ、なんて言ったらいいんだよ……? 吾妻だったら、なんて言われたら『話してみようかな』って思う?」
つらつらと語られたダメ出しに、質問を返してみた。
「あたし? んー……」
吾妻は眉間にしわを寄せて考える。
やがて、再び口を開く。
「『由莉の歌詞は最高だな』とか?」
ほう。
「由莉の歌詞は最高だな」
物は試し。とりあえずおうむ返しに言ってみると。
「うにゃっ!?」
吾妻の顔がボン、と音を立てて真っ赤になる。
「あ、あたしに言ってどうするの!? っていうかなに、指定したセリフを言ってくれるコーナーだったの!? だったら先に言ってくれない!? 色々他に候補があるんだけど!」
「いや、そう言えって吾妻が言ったからとりあえず試してみただけだし……」
「試す意味ないでしょ!? っていうかあんた今、由莉って……!」
わたわたとする吾妻ねえさん。
「いやそれこそ、吾妻が自分のこと由莉って言ったんだろうが」
「そ、そうだけど……! ま、まあ、いいか、役得ってことでノーカン、あたしは悪くない!」
「何言ってんの……?」
何かを打ち消すように、吾妻は何度も首を振る。
「と、とにかく! 英里奈の何かを褒めてあげたらいいんじゃないかってこと! あの子はおだてれば大丈夫!」
「なかなかひどい言い草だけど、たしかにいける気がする……。でも、何を褒めたらいいんだ……?」
「知らないよ、今日のコンディションにもよるでしょ……。あっ」
そんな話をしながら、角を曲がったところで、吾妻が口をあけて、すっと前方を指さす。
「小沼、早速本番の時間が来ちゃった」
その視線の先を見やると、おれのクラスのホームルーム委員長がふわふわの髪を揺らしてとぼとぼと歩いているのが目に入った。




