第30小節目:Whatever
「ただいまー」
吾妻はあのまま西荻窪駅の方に進んでいったので、てっきりこのまま西荻窪駅から電車に乗るのかと思っていたら、途中で「あ、やば、着いちゃうじゃん」とか言って道を左に折れた。
結局たっぷり寄り道だか回り道をして吉祥寺駅まで戻り、解散。
おれが家に着く頃にはすっかり外は真っ暗だった。
キッチンの方から美味しそうな匂いがする。今日はカレーか。
顔をほころばせながらダイニングに顔を出すと、
「あ、おかえりたっくん。遅かったからご飯先に食べてるよー」
とゆずが振り返って笑った。
そこで、おれのほころんだはずの顔は一瞬であきれ顔に変わる。
「おう、それは全然構わないんだけど……」
おれの視線はゆずの向かい側に当たり前みたいに座っている金髪の女子に注がれた。
「……なんで沙子が飯食ってんの?」
「友達とご飯食べてる」
ゆずをスプーンでさしている幼馴染さんは、一旦帰ることもせずにうちに来たらしく、制服を着たままだ。最近よく来るなあ、沙子……。このあいだのパーカー返してくれないかな……。
「友達って……」
「ゆず、うちらは友達だよね」
「うん、友達!」
笑顔のゆず。素直なのは良いことだ。
「そうかもしれないけど、だったら……。いや、まあ、いいや」
だったらさっきおれと一緒に帰ればいいじゃんとか、色々言いたいことはあったのだが、吾妻が気遣いがどうとか言ってたから、またこれをツッコむのも無粋というやつなのだろう。
「えーと……おれも一緒に食っていいか? 友達水入らずのところ悪いんだが」
「いいよ。うちも一緒に作ったから。隠し味に焼きそばのソースを入れました」
「それは隠し通して欲しかったな……」
あんまり美味しくなさそう……。ため息をつきながらもとりあえずキッチンに向かい自分の分のカレーをよそう。
ダイニングに戻って沙子の隣、おれがいつも座っている席を見ると、そこにはベースケースが立てかけてあった。
「さこはす、ジャズベどかすよ?」
「いいけど、別に『ベースどかすよ』でよくない」
その『はあ?』みたいな顔やめろよ、元々さこはすが言ったんだよ(多分)。
ジャズベをどかして席につき、食べるとゆずが質問してくる。
「たっくん今日何してたのー? アマネさんとデート?」
「なんでゆずがあの女の名前を知ってんの」
不機嫌そうに沙子ちゃんが質問する。
「いや、最近たっくんが電話してるから」
「ふーん……あの女と拓人はどんな話してんの」
あんまり追及しないで欲しいなあ……。とおれは黙ったままもぐもぐとカレーを食べる。美味しい。隠し味は見事に隠れきっている。
「さあ? なんかこないだはね、たっくん、電話出た瞬間にキレられて切られてた。なんか、めんどくさい人っぽいよね?」
「ははは、最高」
「さ、沙子ちゃんが笑った……!?」
そういう時だけ笑うのやめなよさこはす……。
くだらない話をしながらカレーを食べ終わり、「ごちそうさま」と手を合わせた頃に、ふと思い立つ。
「そうだ、沙子。せっかくうち来たなら、やって欲しいことがあるんだけど、まだ時間あるか?」
「うん、大丈夫だけど」
「よかった。そしたら、ちょっとおれの部屋に来て」
「え、え、なに?」
立ち上がるおれに、語尾があがる沙子。
「ねえ、たっくん、ゆずいるよ? ゆず、いるからね?」
「知ってるよ……何を想像したんだよ。じゃあ、行こう、沙子」
おれは妹がそんなませた想像をすることが受け入れられず頭をふりながら、沙子のベースを背負い、自分の使ったお皿を持って移動をした。
「ご、ごちそうさま……」
「沙子ちゃん、がんば……!」
「う、うん……」
部屋に入って、おれはパソコンを開くと、沙子にヘッドフォンとジャズベを渡す。
「なに」
「あのさ、新曲……えっと、『おまもり』のベース、録音してって欲しいんだよ。デモとはいえ、ベースが入ってないままだとちょっと気持ち悪くて」
「はあ、なにそれ」
当てが外れたという感じで肩を落とす。
「なにそれじゃねえよ……はい、ベース出して、つないで」
「はいはい」
沙子はベースケースに入れていた自分のケーブルを取り出して、ベースに片方を挿す。
そして、もう片方の端子を持って、
「ねえ、どこに挿れればいいの」
と、聞いてくる。
「ああ、いいよ。おれが挿すから」
おれは沙子からケーブルを受け取って、オーディオインターフェイス(パソコンと楽器を繋ぐ機械)にもう片方を挿す。
沙子はヘッドフォンをしてベースを弾き始める。
「わ、おおきい」
自分の出した音に驚いたらしい。
「すまん、でかいか?」
おれは出力音量を調整してすっと下げる。
「ん……初めてだからびっくりしただけ、大丈夫。普通に出していいよ」
「そうか、じゃあ……」
おれはつまみを再度さっきのところまで戻す。
「ねえ! ゆず、いるからね!」
ドアの外から妹の声がする。何言ってんだよ……?
おれは妹のコメントは無視して沙子に向きなおって説明する。
「最初に4カウント……えっと、4回メトロノームが鳴ったら演奏始めて。ドラムに合わせてくれればいいから」
「わかった」
ヘッドフォンをした沙子がうなずいて、軽く練習をする。
その姿に、なんだか黒髪時代の沙子の姿が重なった。
中学の初めて音源を作ってパソコンごと沙子のところに持っていったあの日、きっと。
「おれはこれをやりたかったんだろうなあ……」
「なに」
口からつい漏れ出ていた言葉が聞き取れなかったらしく、ヘッドフォンを外して0.数ミリ眉をひそめる。
「……なんでもない」
「そ」
そう言ってもう一度沙子はヘッドフォンをかけて、演奏を始めた。その口元が少しだけ上がっているのをおれは見逃さない。
何回かやり直したり一部録り直したりして、とりあえずのデモが完成する。
「その音源、バンドのラインに送って」
パソコンに向かって、音を軽く整えているおれの後ろから前のめりに沙子が言った。
「ああ、もう少しちゃんとミックスしてからあとで送るよ」
「ううん、帰り道で聴きたい」
「はは、聴きたくなるよな。分かる」
おれはなんだかそのコメントも嬉しくて笑う。
録音したばかりの音源を無限ループで聴きまくってしまうのが宅録家の人情というものだ。そして聴きすぎてだんだんお腹が気持ち悪くなってくるところまでがセット。悪い時には吐き気がする。それでも再生する手を止められないのだ。
「じゃあ仮ミックス版で送っておくわ」
「うん、ほら、早く早く」
急かす沙子の口角が0.数ミリ上がる。ワクワクしてというよりは少しニヤニヤ顔に見えないこともないが、気のせいだろう。
おれは現状のデータをmp3データに書き出して、データストレージにアップして、そのURLをライングループ『amane』に送った。
「ナイス〜」
……『ナイス〜』?
およそ沙子から出たとは思えない言葉が耳元で鳴る。
するとすぐに、スマホが震えた。
そこで着信したメッセージを見ておれは沙子のにやけ顔の理由を悟る。
天音『どうして小沼くんの宅録音源に沙子さんのベースが入ってるのかな?』
由莉『さこはす、あんまり天音で遊ばないであげて』
こいつ、はめやがったな……!?
文句を言おうと振り返って、その表情に、おれは今言おうとしたことをつい飲み込んでしまう。
「ねえ、2人とも、拓人が弾いたかもしれないのにそんなの疑いもしないで、ちゃんとうちのベースだって分かってくれたんだね」
沙子がその白い歯を見せて、本当に嬉しそうに笑っていたから。




